sense of wonder
「sense of wonder」をご存じだろうか。筆者の最も好きな本の一つであり、いつも心にとめている言葉の一つである。
「sense of wonder 」は レイチェルカーソンの最後の著書である。レイチェルカーソンはアメリカ出身の作家でもあり生物学者でもある人で、化学物質が生態系に与える影響について考察した人物である。「沈黙の春」が最も代表的な著書であろう。読んだことはないにしても、多くの人は一度は聞いたことがある名前ではないだろうか。今回は沈黙の春と「sense of wonder 」について書き連ねていこうと思う。
どちらの本も、読んだのは小学生の頃だっただろうか。はじめに読んだのは沈黙の春だった。沈黙の春は、DDTの危険性に警鐘を鳴らしたという側面があり、強く堅い語調が印象的だった。緊張感を持ちながら読んでいたため、読み終わったときどっと疲れたのを覚えている。「レイチェルカーソンはお堅い科学者」と読書ノートに記した。
その後数ヶ月して「sense of wonder 」を読んだ。単純に図書館で見つけて、ふと手に取っただけだったのだが、最初の数ページを読んだだけで大きな衝撃を受けた。語調、内容、行間から感じ取れる感情などすべてが「沈黙の春」と違ったのだ。やわらかなことば、文章の端々からかんじられる地球への愛、子どもへの愛。自然、科学技術、言葉からこの世界を生きる人間すべてまでもを愛してまるごと包み込むかのような優しさ。紡ぎ出された言葉の一つ一つが繊細で人間性にあふれていた。これは本当にカーソンが書いたものなのかという疑いすら生まれた。短い本だが、挿入されている写真や訳者あとがきまでもに感動していたので3時間もかかって読んだ。読み終わった後はなんともいえない穏やかな気持ちになった。
その後すぐにもういちど「sense of wonder」を読んだ。この体験は一回目と大きく異なるものだった。語調、内容は「sense of wonder」とは異なっているものの、その後ろから感じる声は「sense of wonder」と同じものを感じたのだ。
そして気づいた。カーソンは地球が大好きだからこんな口調になっているのだ、と。
愛する美しい地球を守って、愛する子どもたちにそれを手渡したいという願いを感じた。
「sense of wonder」 は主に「自然の美しさに目をみはる心」と訳される。道ばたに咲いた美しい花を見たとき、生命力あふれる森に入ったとき、生き生きと鳥や虫がうごめき、季節の変化をおしえてくれるとき、私たちは「わぁ」と声を出し、自然の恵みや美しさに気づくだろう。こんな新鮮で生き生きした気持ちを味わう機会を未来の子どもたちに残したい、そんな気持ちがあったんだろうと感じる。
「sense of wonder」 せわしなく進んでいく現代社会。そんな中でも私たちは自然の営みの中で生きている。生かされているといってもいいかもしれない。そんなことを忘れないためにも、これからもこの本はバイブルにしていたいと思う。
次回は言葉としての「sense of wonder」に触れていきたい。
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