学校で学ぶ意味
ある本を読んだ時以下のような内容が書かれていたことが印象に残っている。
ー学校では、学ぶ内容よりも学ぶ過程を学ぶ。
これは、生涯必要とされる学ぶ力である。ー
この文章を読んだとき、ある種の驚きと共感が混ざりあって、複雑な感情になったことを今でも覚えている。
共感したことは、学校の学習には価値があるということだ。この本を初めて読んだのは中学生、高校生の頃だったと思うが、同級生は勉強が嫌いそうだった。こんなことを学んで何の役に立つのかという声がたくさん聞こえてくる中で、勉強が大好きだった筆者は、異質な存在だった。そんな中、この本に出会って、自分の価値観はある種の大人に共感してもらえるという感動を覚えた。
驚いたことは、学ぶ過程は学ぶ内容に優劣するということだ。自分は、学ぶ内容も社会に必要だと思っている。
ここで筆者の学力についての考え方に軽く触れておこうと思う。学力はの種類に分類2つできると考えている。一つ目は普遍的な学力、もう一つな学力である。普遍的な学力は、いわゆる学校の勉強だ。ほとんどの問いに対して単一的な解が用意され、いかに情報を早く正確に処理するかが問われる。対して流動的な学力は社会生活で必要とされる力で、選挙での投票などが該当する。これらは正解がない。加えて社会情勢によって判断が容易に変化する。たくさんの情報を元に適切な判断をする必要がある。そしてこの流動的な学力を支えるのが普遍的な学力である。地歴公民で習った知識を使って社会情勢を理解する、現代文の自分と他者の意見を比較して発表することを生かして選挙の争点について理解するという具合だ。
この考え方に立った上で民主主義社会について考えてみることにしよう。民主主義社会では主権者である国民が適切な判断を下す必要がある。社会情勢、日本の文化、歴史、など自己の学びを使って判断する。学校の勉強を土台とした個人の社会情勢の理解が民主主義を作り、国を動かす。そう考えると、学校の勉強の内容も国の大事な財産であり、必要不可欠なものではないかと思う。
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