第37話 きよ様ではないんです。

優しい声、温かい手。つむぎが愛してやまないのに、手に入ることはないと思っていた。

 つむぎは驚いて目を見開いた。

 もう二度と会えない、けど、また会いたい。

 そのために術師として頑張ろうと覚悟した。

 それがつむぎの目標となっていた。

 そんな存在であるリヒトが、今、つむぎの目の前にいた。背中を支えられて、抱きしめられている。リヒトの温かさに包まれて、つむぎは我慢していた涙を、再びこぼしそうになった。


「旦……いえ、リヒト様」


嬉しい。けれど、もはやリヒトの事を旦那様と呼ぶ権利はつむぎには無い。

今の二人の関係は、ただの式町家の人間と、金城家の当主という赤の他人も同然の関係しかないのだ。その距離を感じ取ったのか、リヒトは眉間に皺を寄せた。


「君から名前で呼ばれるのは嬉しいけど、何でいつもみたいに旦那様って呼ばないの?」

「そ、それ、は……」


言うのが怖い。リヒトから怒られて、蔑まれて、突き放されると思うと、リヒトの顔も見れなかった。けれどもう後戻りはできない。ここで話してしまったほうが、きっと楽になれる。

 つむぎは深々と頭を下げた。


「申し訳ございません」

「え?」


リヒトは動揺した。頭を上げたつむぎの目は潤んでいた。ほんのりと頬が赤く染まり、上目遣いでリヒトの様子を伺ってくる。そんなつむぎにリヒトは生唾を飲み込んだ。


「私は謝らないといけないのです」


つむぎはポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。止めようとしても止まらない様子で、懸命に涙を拭っているが、目からはどんどん涙が溢れている。

 リヒトはつむぎを優しく抱きしめた。


「落ち着いて」


リヒトの温かさにつむぎはますます頬を赤くした。しかし、とくんとくんとリヒトの心臓の音が心地よく聞こえてくる。ちょっと脈が早い気もするが、それもまた何だか安心する。

 つむぎはゆっくりと口を開けた。


「私は……きよ様ではないんです」


そうしてリヒトから離れて、しっかりと向き合った。伝えなければ、と思った。真っ直ぐとリヒトを見て、勇気を出して話を始めた。

 たとえリヒトに軽蔑されようと、言わなければならない。


「私は、旦那様が結婚を望まれたきよ様ではないのです」

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