第36話 変わり果てた式町家

 そう言えばあの日も、夜に逃げるように出て行ったな、と思う。まだ肌寒い季節だったが、今はすっかり温かくなった。凍えることはなく、温かくて過ごしやすい季節だ。道沿いに植えられた木には蕾がなっている。


「もう桜の季節なのですね」


淡い桜色をした蕾を見て、つむぎはそうぼやいた。桜を見ると春の到来を感じる。春は出会いと別れの季節だと言うけれど、まさにその通りだと思う。

 つむぎはゆっくりと式町家へと向かっていた。どうせ誰も待っていないのだから、遅くなっても構わないだろう。そうでなくても足が重いのだ。自然とゆっくりとした歩みになってしまう。

 考えることはもうやめた。

 これ以上考えたら、きっと涙が出て来てしまう。つむぎは今、涙を必死に堪えていた。瞳は濡れていて、いつ涙がこぼれ落ちてもおかしく無い状況だ。

 何度も何度もきよとリヒトの事が頭をよぎる。それを想像すると胸が苦しくて仕方ない。だから何度も何度も頭を振って想像を掻き消していた。

 どうせリヒトのそばにはいれないのだ。ならば早く忘れてしまいたい。そう思うのに、きっとずっと忘れられない。

 悶々と考えていると、空には星が散らばり始めていた。


ーーああ。式町家に着いてしまいました。


そうして気がついたら懐かしの式町家へとたどり着いていた。昔から他人を寄せ付けない雰囲気のある屋敷だったが、それは今も変わらない。

 いや。むしろ増したように感じる。

 もう暗くなり始めているというのに、屋敷にはまだ明かりがなかった。


ーーおかしいです。


なんせ会合で義父は亡くなったと聞いた。ならば今式町家は葬儀の準備で慌ただしくなっているはずだ。


ーーそう言えば、きよ様はご存知だったのでしょうか。


つむぎが義父が亡くなったと聞いた時には会合にいた子供たちが急いで術師達に知らせているよう見えた。リヒトだけでなく、他の術師達も現場に向かっているところを見かけたのだから間違いない。

 それなのに何故、きよは平然としていたのだろう。きよが真っ先に知らされる存在であるはずなのに。

 それにこの式町家の静かすぎる様子も何かおかしい。まるで何年も、何十年も前から空き家であったかのような静けさだ。


「何が、起こっているのでしょう」


つむぎは恐る恐る屋敷に足を踏み入れた。物音一つしない屋敷に嫌な予感しかしない。

 つむぎも足音を立てないようにゆっくりと歩いて行く。


ーー誰もいないようですね。


本当ならば門番がいるはずなのだ。しかし門番どころか侍女もいない。一体式町家に何が起こっているのかさっぱり分からない。

 つむぎはゆっくりと屋敷の中に足を踏み入れた。何の気配もしないが、警戒しながらなるべく物音を立てないよう最新の注意を払った。

 が、つむぎは気配なく突然押し倒された。


「きゃ!」


押し倒されて、首を締め付けられた。その時つむぎは小さな悲鳴をあげた。


「え?」


しかしつむぎの悲鳴を聞いて、首を絞める力がすぐに弱まった。ゆっくりとつむぎの上から降りて、優しくつむぎを起こしてくれた。


「な……んで、君がここに?」


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