第11話 食事事情

 食堂に着くと、つむぎは首を傾げた。

 何故か椅子が一つしかない。大きな椅子が一つだけ。どんなに部屋を見渡してもその一つしかない。しかしご飯はちゃんと二人分机の上に準備されている。


「椅子が一つしかありませんね」

「一つで充分じゃないか」


つむぎは目をパチクリさせた。何を言われているのか分からずリヒトを見つめるが、リヒトはつむぎと目があって嬉しそうに笑うだけだ。


ーーこれが常識なのでしょうか?


仕方なくつむぎはリヒトの言うままされるがまま動くことにした。

 リヒトは本当に本当に楽しそうにつむぎを座らせた。リヒトの上に。


ーーん?旦那様が私の椅子になってませんか?


本当にこれが正しいのかさすがに不安になってきた。助けを求めるように瀬戸の方を見るが、瀬戸は平然と部屋の隅で控えていた。

 そんな瀬戸の様子を見て、つむぎはこれが普通の夫婦の姿なのだろうと思う事にした。


「お箸も一つしかないですね?」

「一つで充分じゃないか」


さすがにこれはおかしい。そう思ったつむぎは慌てて瀬戸を見た。しかし今度は瀬戸から目を逸らされてしまった。


「ほらよそ見しないで。口を開けて?」


眩いほどの美しい蕩けるような笑顔を見せられると、抗えない。美人の気迫とは何とも恐ろしいものである。つむぎはされるがまま、口を開け、差し出されたご飯をぱくんと食べた。

 これで良かったのだろうか、と何度目かの疑問が頭をよぎる。しかし嬉しそうな旦那様の表情を見ると正解だったようだ。


ーーこれ、偽物だと知られたら大変なことになるんじゃないでしょうか。


つむぎは何度も何度も不安になる。リヒトの溢れんばかりの愛情は、つむぎが受け取るべきものではない。リヒトへの罪悪感を覚えると共に、我が身の今後への不安で胸がいっぱいになる。


ーーこんなに優しくしてくださるのに、本当に申し訳ないです。でも……。でも私はきよ様には逆らえません。


それはまるで呪いのようにつむぎを縛り付けていく。きよから受けたいくつもの暴言と暴力が、逆らうことを全力で拒否している。

 きよのそばから離れられたというのに、それは今もなお変わらない。


「美味しい?」


優しく微笑むリヒトを見るたび、つむぎは複雑な気持ちになる。

 そんなつむぎの気持ちを察したのか、リヒトは心配そうにつむぎの顔を覗き込んできた。ただでさえ近い距離がさらに縮まった。


「もしかして口に合わなかった?」


つむぎの浮かない表情を見たリヒトは、すっと表情を消した。それはここに来てつむぎが初めて見るリヒトの表情だった。


「そうか。調理人には俺から言っておくよ」


その感情のない口調に、つむぎは背筋が凍る思いをした。そして慌てて答えた。


「お、美味しいです!本当にとっても!」

「そう?良かった!じゃあ明日も用意させようね!」

「あ、ありがとうございます」


何となく、あまねが言っていたリヒトの「恐ろしい」姿を垣間見た気分だった。


「次はどれ食べたい?」

「え。あ、あの。もうお腹いっぱいです」

「え」


リヒトは目を丸くし、口をぽかんと開けていた。


「たったこれだけ!?」


まだご飯茶碗半分ほどしか食べていない。


「少食すぎるよ!」

「そうでしょうか?式町家では出されたものは全部食べてましたけど」


それもそのはず。つむぎは式町家では残飯しか食べてこなかった。そのため、食べられない日だってあったのだ。ご飯茶碗半分も食べられたらその日はたくさん食べられたほうだったのである。

 しかしリヒトにはそれが信じられなかった。


「それ本当?こんなに軽いし、それに腰も細い」


心配そうにリヒトはつむぎの腰を掴んだ。あまりに突然のことでつむぎは思わず変な声を出してしまった。


「ひゃん!」


そんな声を出してしまった事につむぎ自身も驚いた。顔を真っ赤にして両手を頬を隠した。

 恥ずかしがるつむぎに、リヒトは思考停止した。

 ゆっくりとつむぎの腰から手を離し、静かに頭を下げた。


「あ……。ごめん」

「い、いえ」


そしてつられてつむぎも頭を下げた。

 先程まで甘い雰囲気だった二人だが、今は何ともむず痒い雰囲気が流れている。


「と、とにかく。やっぱ少食すぎるからもっと食べなきゃ」

「え。これ以上食べれないです」

「だぁめ!」


リヒトは少し強引につむぎの口にご飯を詰め込まれていく。

 心なしか、リヒトの頬もほんのりと赤かった。

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