第10話 旦那様の帰宅

「愛しの我が妻よ〜〜っ!!!」

「おかえりなさいませ、旦那様」


空が橙色に染まる黄昏時。リヒトが仕事から戻って来た。仕事の疲れをまるで感じさせない明るい様子に、つむぎは思わず安堵した。術師の仕事は何かと厄介事が付きものだ。下手をするとあやかしとのいざこざに巻き込まれて体の一部を失う事もあると聞く。しかし、今のリヒトを見ているとそんな様子は全く無い。嬉しそうに元気につむぎの周りをくるくると回っている。


「変わった事はなかった?不便なところとかあったら直ぐに言ってくれ。環境が変わったばかりだからな。体調は悪くないか?」


瞳をキラキラと輝かせてつむぎの様子を伺うリヒトはやっぱりどう見ても犬のようであった。一通りつむぎの様子を確認したリヒトは満足そうに、そして満面の笑みを浮かべた。


「うん元気みたいだね!」


その笑顔は老若男女を魅了する事間違いない。それほど眩しい笑顔だった。

 嬉しいという気持ちがとてもよく伝わってくる。

 それがつむぎにはくすぐったくて、嬉しかった。

 そして何より素直な旦那様が可愛く見えてしまった。


「ふふ」


つむぎまで釣られて笑みをこぼした。まるで見えないはずの尻尾が見えるような気持ちだった。

 つむぎの笑顔を見たリヒトは急に真顔になり、体が力が抜けたようにその場に崩れ落ちた。あまりに突然のことでつむぎはギョッとした。


「旦那様?どうかされましたか?」

「いやちょっと可愛すぎて動悸が」


やはり何を言っているのか分からない。これは大事かもしれないと、つむぎは慌てて瀬戸を見た。

 しかし瀬戸は哀れなものを見るかのような表情をして首を横に振った。


「安心してください。もう手遅れなんです。旦那様の持病ですから」


手遅れ、という言葉につむぎは顔を青くした。何も安心できないではないか、とリヒトを心配そうに見つめる。

 するとリヒトはデレデレと美しい顔を歪めた。

 正直、ちょっと気持ち悪い。

 つむぎは心の底から同情した。


ーーこんなに美しい人なのにかわいそうに。厄介な病気なのでしょうね。


 佳人薄明とはよく言ったものである。

 つむぎは優しくリヒトの手を取った。


「立てますか?」

「…………はい」


何故かリヒトは頬を赤く染めた。


「顔が赤いようですが、熱があるのでありませんか?」

「ではすぐに部屋へお連れしましょう。せっかくの料理も今日は奥様とは別に召し上がったほうがよいでしょう」

「それは駄目だ」


瀬戸の言葉にリヒトは我に帰ったようにしっかりと拒否した。見事な切替である。


「さあさあご飯にしよう!」

「は、はい」


先程の様子など微塵も感じさせないほど元気になっていた。嬉々としてつむぎの肩を抱き、体をピッタリとくっつけて歩き始めた。

 向かう先は勿論、食堂である。

 つむぎは右腕にリヒトの温かさを感じ、ほんのりと頬を染めた。


「……あの近くないですか?」

「金城家ではこれが普通だよ?」


当然のようにそう言われ、つむぎは返す言葉もなかった。式町家しか知らないつむぎにとって世間一般の常識など何も分からない。これが普通と言われてしまうと成程そうかと頷くしかないのだ。

 リヒトに大事に大事に守られるように抱き寄せられていたつむぎは気が付かなかった。

 瀬戸が「何言ってんだコイツ」という目でリヒトを見ていた事に。

 そしてすんなりとリヒトの言う事を受け入れてしまったつむぎに、瀬戸はそっと心の中で誓った。

 つむぎに常識の勉強の時間も設けよう、と。


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