第23話






 私の前には、多数の手紙があった。

 自室。机の上。

 数十の手紙。内容は同じ。先日の交流会で私を見た名も知らぬ少年たちが、私との逢瀬を期待しているみたい。


「捨てちゃっていいですか?」


 とシクロ。というか彼女はもうすでに何枚か破いている最中なのだけど。

 それを横目に、イヴァンは笑った。


「流石マリアだね。Cクラスで参加者じゃなかったのに、参加者よりモテてる。これを公開するだけで、どれだけの人間が失墜するかね」

「ふふ」


 私は笑う。

 でも、別に満たされたわけじゃない。

 私にとって手紙はただの紙切れだ。見ても何も心を揺さぶられない。

 やっぱり揺れる心を瞳を直接見ないと、楽しくないわ。


「でも、冷静に考えると、少しまずいかもね」


 深刻そうなイヴァンの顔。


「どうして?」

「あそこには貴族の少女がたくさんいたよね。意中の少年に、あるいは婚約者に振り向いてもらおうと、自分を着飾ってた。当然自分が一番魅力的だと思って、そうしたんだよ。それなのに、ぽっと出の貴族でもない給仕女が人の目を虜にしてたなんて、どう思う?」

「気に入らないのかしら?」

「そうだね。報復されるかも」


 報復。それは憎しみから。

 私を妬んで、恨んで、むかついて。そういった負の感情で、私の前に現れる。

 今まであまり向けられたことのなかった感情。


「素敵ね」


 どうやって罵ってくれるのかしら。

 なんという言葉で、暴力で私を揺らそうとするのかしら。

 楽しみ。

 私が微笑みかけると、イヴァンは呆れたように、でも、同じように楽しそうに笑っていた。


「まあ、私もあまり大事にならないよう調整するけど、マリアも気をつけてよ」




 後日、学校。

 更衣室の自分の棚が、真っ赤に染まっていた。染料でもぶちまけられたかのような有様で、せっかくの教科書が汚れてしまっていた。


「……探して殺してきます、犯人を」


 シクロが青筋立てているけど、何をそこまで怒ることがあるのだろうか。


「別に教科書の中は無事だし、十分に読めるわ。孤児院の涎まみれの絵本と同じでしょう?」

「そういうことじゃないんです、マリア。これを行ったやつらは侮っているんですよ。マリアを舐めてるんです。たかだか良い家に生まれたくらいで、自分の方が上だと勘違いしているんです。マリアの方が美しくて綺麗で素敵なのに、それと比較すれば犯人なんか吹けば飛んでいくようなゴミの一種なのに、ふざけた勘違いをしてしまっているんです。すべてを正しい姿に戻さないといけません」


 鼻息が荒い。

 私を想ってくれているのはわかるから、その怒りだって心地いい。


 けれども。


「ふふ、いいじゃない」


 何が正で何が悪か。

 そんなことは、誰が決めることでもない。

 客観的にそれを判断することはできない。


 でも。

 自分の中だけでは、それをはっきりさせられる。

 私が許せないこと、許せることだけは、私だってわかっている。

 これは、私にとって、取るに足らないこと。だから、取るに足る様にしてほしい。


「むしろ、楽しみよ。人に嫌われると、厭われると、どういうことをされるのか、私は知りたいの。同時に、”相手にどこまでしていいのか”、気になっていたの。されるってことは、”していい”ってことだものね」


 されるだけ、できることが増えていく。

 憎しみを向けられるだけ、やり返しても文句は言われない。


 人は傷つけてはいけない。

 人は殺してはいけない。


 なぜ?

 それは、自分が殺されたときに文句が言えなくなるから。他の誰も、自分を守ってくれなくなるから。死を与えることで、死に近づいてしまうから。


 逆に。

 一度でもそれをしてしまえば、報復されても仕方がない。

 されればされるほど、ワタシができることは増えていく。

 私が、増えていく。


 素敵。


 私は結局、机の上に花瓶を置かれ、上から水を浴びせかけられ、私物を湖に放り投げられ、『さっさと出てけ』と書かれた手紙をもらった。


「まったく、悪だ。改善しようのない悪だ」


 基本的にCクラスの皆は私に同情的だった。

 その中でも、エイフル・テルガーデンはシクロと同じくらいに怒ってくれていた。怒髪冠を衝くとはよく言ったもので、ショートヘアのうち一本が天に突きたっている。


「Cクラスは犯人ではない。つまりは、貴族連中――AクラスやBクラスのやつらの仕業だ。立場上はA,B,Cで同じはずだろう。それなのに自分の方が地位が高いと慢心するマウンティング行為。決して看過できるものではない」


 エイフルは正義漢だった。将来は騎士団に入るか法務官になるかで迷っているらしい。文武両道、質実剛健の彼女は、今まさに、鼻息荒く大股で教室を出ようとしていた。


「どこ行くのよ。落ち着いてって!」

「ちょ、ちょっとやめてよ!」


 テータ、レインを初めとするCクラス全員で彼女を止めていた。数人に羽交い絞めにされてなお、エイフルはむっとした表情を崩さない。


「何故だ、何故止める。君たちだって貴賤の関係でよくない思いをしたことがあるだろう。私はそういった不条理を、悪を、この世から抹殺するために生きている。この学院に来たのだってそういった理由だ。この世を、世界を、是正せねばならん、矯正せねばならん、私がやらねばならん!」


 意気揚々と、ずんずんと、前に進む。


「馬鹿! そんなことしたら私たちの将来がつぶれるのよ。私だって目をつけられて、貴族と商売できなくなるじゃない。せっかく交流会でツテをつないだのに」とレイン。

「そうだよ! 私たちだけじゃない。家族だって目をつけられちゃう。貴族にとっては、王都周りに住む人間なんて、簡単に踏みつぶせるんだから」とテータ。

「脆弱に過ぎる! なんのための平等な学院か!」

「やるなら私も協力しますよ。マリアの可憐さもわからない愚民には、顔面に一発叩き込まないとやってられません」

「って、シクロもっすか。落ち着くっす」

「Cクラスの総意なら、私も加勢する。貴族は嫌いだ」

「あわあわ、アネットまで……」


 過激派と穏便派。調整しようとしているクリスが目を回している。


「そんなこと、絶対にダメだったら!」「これがこれからずっと続く。どこかでやらねばなるまい」「やったら人生レベルで終わりなんだよ!」「終わらせればいいではないですか。全員殺せばいいんでしょう?」「ややややばいっす。シクロって意外と野蛮っす!」「殺すのは別として、私らの力を認識させるいい機会だ」


 わいわいがやがや。

 一歩も引かない二勢力。

 分裂するCクラス。


「一旦落ち着こう」


 声をあげたのはイヴァン。私をちらと見て、私が微笑んだのを見て、再度向き直る。


「被害者のマリアに動くつもりがないんだ。だから、この件は一旦水に流そう。各々思うところはあるだろうが、矛を収めてほしい」

「マリアも臆したのか?」


 エイフルの尖った瞳。痛いくらいに真っすぐで、自分が折れることを一切考えていない。

 綺麗な目。

 穿って嚥下したい。


「まさかね」

「流石マリアだ。わかっているな」


 エイフルは嬉しそうに鼻を鳴らした。

 穏便派が不満そうな顔になる。


「でも、今じゃないわ」


 私は、学ぶ。

 私は、知る。

 みんなと一緒に過ごして、その感情を理解して。


 味方という言葉。それは、敵がいて成り立つという事を。

 絶対的な味方は、絶対的な敵がいて成り立つのだ。

 そして、その敵対心は、煽れば煽るほど、燻らせれば燻らせるほどに、熱をもって広がっていく。より味方を強固な絆で縛ってくれる。


 私は?

 被害者、マリア。

 彼女は、かわいそうで、悲しそうで、でも、健気でなければならない。


「イヴァンの言う通り、今は我慢して。私は大丈夫だから。もうしばらくすれば、皆きっと飽きてくれるわ。私がもう少し我慢すればいいだけ。ここで貴族と敵対しても意味ないのは自明でしょう?」


「マリア!」怒鳴るエイフル。

 私は肩を震わせてから、


「お願い、エイフル。ここは私の、Cクラスのみんなの顔を立てて。貴方だってそう。偉くなって、世界を変えるんでしょう。だったら、小石に目を向けていてはだめ。山頂だけを、しっかり見据えていて。そして、このことを糧に夢を叶えて」

「……」


 真摯に、正直に、視線を交わし合う。

 言葉を伝えあう。

 エイフルの身体から力が抜けた。


「……わかった。今回はマリアと皆のために、引くことにする」


 ほっとする面々。

 マリアが言うならと頷く過激派。

 穏便派からは、「ありがとう、マリア」なんて、感謝の言葉と視線が投げられた。


「敵は私たちではないでしょう? 味方で、友達で争っていてはダメ」


 敵は、AクラスとBクラス。

 味方はCクラスの皆。


 はっきりさせればさせるほど、Cクラスの団結は深まっていく。小競り合いを繰り返すたびに、Cクラスの皆に親近感がわいていく。親愛の情が私たちの隙間を埋めていく、

 そして、私に、好意を抱いていく。


 外堀からずるずると。

 内側へとじわじわと。

 私を意識させ、近づかせ、会話を、四肢の接触を、心の接近を、違和感のないものにしていく。私の存在を心と体に認識させる。

 そうすれば。


「ふひひ」


 あらゆる物事に、悪いことはない。

 どんな事象も、考え方次第。

 一見悪いことでも、良い面は存在する。いくらでも利用できる。


 私なら。

 どんな腐った料理でも、美食に調理してあげる。

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