第22話






 半年に一度、交流会という催しがある。

 どことの交流か、と言われると、イーリス学院である。

 男の子の方の学院である。


 私たちが入学してから早一か月。顔合わせを含めた初めての交流会は、男女とも緊張の面持ちで始まった。

 お茶会と題された立食形式のパーティーでは、広大な女学院の庭の上で行われた。机やらを持ち込んで、豪奢なドレスに身を包んだ煌びやかな少年少女が歓談し、その間を給仕の人たちが忙しなく行き交っている。


 この世の栄華の様な光景。

 年度初めという事で三学年全員が集まっているから、参加者は総勢二百ほどにも及ぶらしい。

 同学年の生徒しか見たことのなかった私は、上級生の大人っぽさに見とれてしまう。


 そして。

 そんな私はとはいうと、給仕服を着て、手に盆を携えて歩いていた。


 将来の伴侶を見つけたり、仕事のパートナーを探したり、この交流会の目的は多岐にわたるらしいが、どれも高い位を持った貴族様のためのもの。一般市民には関与もできない雲の上の会合なのだ。

 Cクラスの人間は、どちらかというと使われる側。この場では仕事ができることをアピールし、使用人としての自分を強調する。交流会ではあまり目立ってはいけないとミドル先生から教えられた。


 入学式の際に、貴賤の差はないと言われたばかりなのに。

 結局、見えない何かは存在する。


 でも、こうして給仕に興じるのも楽しかった。

 グラスをお盆に十段ほど重ねて、バランスをとって運んでいく。時折わざと落っことして、足で受け止めたり。給仕長に何度も怒られたけど、給仕長の中で私はそういう”仕方がない子”になっていたから、問題はないでしょう。

 そんな私には感嘆の声が上がったり、話題の種になっているらしく、見ている方も満足そう。楽しそうに私を見てくれれば、私だって満足。


 他のCクラスの面々だって、ただ使われているだけではなかった。

 テータは持ち前の俊敏な動きで器用に食事を運び、クリスは折々貴族の会話に耳を傾けて情報収集をしていて、レインは食事の詳細を説明して商談の種を作っている。


 なるほど。Cクラスの人間にとって、必ずしも参加者である必要はないのだ。

 自分を売り込むのは、むしろ自由に動ける給仕の方が優位。


「考えられてるのね」


 人の社会というのは、人が重なって生きている。

 頂点だけが楽で自由かと思いきや、支える人間が、調整する人間が、生き生きしていることもある。

 少なくとも、貴族の少年に囲まれて目を伏せてしまっている公爵令嬢デリカよりかは、Cクラスの子の方が楽しそう。


「ち」


 舌打ちが鼓膜を揺らす。

 振り返ると、会場に併設された物置スペースで、アネット・ウィンガーデンが表情筋を歪ませていた。視線は優雅に会話するAクラス、Bクラスの少女たちへ。


「まったく、やってらんないね。同じ学院に通っていても、私たちがやつらと同じなのは、外聞だけだ。結局私たちは下の人間。お貴族様の飼い犬だ」


 威圧感を与える三白眼。しなやかな筋肉に覆われた肉体。その力を買われて重い荷物を校舎から庭に運ぶ係の彼女は、はっきりと苛出ちを顕にしていた。


「でも、アネットは護衛官志望でしょう? これから先ずっと、そういった貴族様を守っていくんじゃないの?」

「このまま、ならね。私はそこで終わるつもりはない」


 堂々と言い放つ彼女はカッコいい。筋肉はがっちりしつつもしなやかで、よくその細身な肉体で男顔負けの力を出せるなあと思う。女性的な部分も残っていて、そのちょうどいい塩梅が私の心をくすぐってくる。


「せいぜい今は取り入ってやるさ。将来的に私は自分の護衛団を持つ。そして、魔物からも、国からも、貴賤の差なく皆を守ってやるんだ」


 自分の目標を持っている子は無敵に見える。

 輝く瞳は宝石にも劣らない。


「とっても素敵な夢ね。私も守ってくれる?」

「おまえには必要ないだろう、マリア。腕っぷしを買われて入学できた私よりも、本性はよっぽどゴリラなくせして」

「ゴリラなんてひどいわ」


 私が頬を膨らませると、アネットは声をあげて笑った。


「失礼したよ、お姫様。まったく、不思議な奴だ」


 仕事に戻るといって背を向けるアネット。

 真っすぐな性格の彼女。この場で多くの陰謀や悪意が渦巻いていることを知らないのだろう。いや、上澄みを掬って、知ったと勘違いしているのだろう。


 でも、それでいい。

 知らなくていいことが、世の中にはいっぱいあるの。

 婚約者がいるのに他の女性に色っぽい声をかける少年。相手の家柄だけを見つめて頬を染める少女。Cクラスを奴隷とみなしている子。


 身分、貴賤、価値観、立場、状況、本音、建前――。

 色んなものがぐちゃまぜになった場所。それがここだった。


 私の目はよく見える。

 私の耳はよく聞ける。

 だから、わかる。世界がどんな形をしているか、歪んでいるか。

 孤児院を出た先が、国の将来を担う存在が、どんな子たちか。


 そう、こんなにも歪。

 私が乱しても、変わらないんでしょうね。

 私が汚しても、大丈夫なんでしょうね。


 だから。

 本当に、素敵な場所だと思うの。


「ここにいたのか」


 私に寄ってくる人間。

 久しぶりに見たそれは、私が嫌いな少年だった。


「あら、久しぶり」

「二か月ほどになるか。どうだ、その後の調子は」

「それを貴方に言う必要がある?」

「なんだよ、ただの世間話だろうが。そして、対応が軽過ぎる。一応断っておくが、僕はこの国の王子だぞ」

「知ってるわ」


 痛いほど、うっとうしいほど。

 私が口の端を歪ませると、眼前、第二王子アースが苦い顔になった。


「さっき女子と話していたときと態度が違うぞ。悪い方向に」

「それはそうでしょう。話している相手が違うもの。思いは顔に出るものよ」

「一応聞くけど、思いってのは?」

「嫌悪感」

「よくもまあ俺にそんなことが言えたな。場所次第ではその首落ちているぞ」

「でもここは学院。貴賤の差はないんでしょう? それともなに? 国が運営している学院なのに、国のトップが公言していることを破るの?」

「……ち。口は回るようだな。相変わらずの魔女め」


 魔女。

 アースだけが、私をそう呼ぶ。

 私を穿った目で見てくる。

 嫌っていて、良かった。


「殿下。この者が?」


 アースの背後。

 筋肉隆々の大男。褐色に焼けた肌、丸太のような腕は、とても同年代だとは思えない。けれど緊張した面持ちは少年のものだった。


「ああ、グラン。これが、話していた要注意人物だ」

「グラン様。初めまして。要注意人物のマリアと申します」


 殊更に礼儀をこめて挨拶した。

 アースへの態度との、違和感、差異。

 グランの顔が、聞いていた話と違うとばかりに強張った。


「あ、ああ。よろしく。私は殿下の護衛のグラン・バッカニアだ」

「よろしくお願いいたします」


 にこっと。心に入り込む笑顔。


「騙されるな、グラン。この女は外面だけは良いんだからな」

「外面が良いなどと、過分な評価です。お褒めに預かり光栄ですわ、殿下」

「……ほらな。さっきの会話をよく思い出せ。一瞬で顔を変えられる女だ」


 アースはグランに苦い顔を見せた。

 私は笑う。

 グランは私とアースの間で混乱していた。

 からかいたくなる。


「それでは、グラン様は私のことをご存じなので?」

「ああ。私だけは殿下から聞いている。貴方が問題を起こせば即刻対処するようにと。私たちの配下の者が貴方を常に見つめている。淑女にふさわしくない行動は控えてもらう」

「……ひどいわ」


 私は瞳から涙を流した。つうっと、雫は頬を伝って地面に落ちる。

「え!」と目を剥くグラン。


「私、問題なんか起こしませんわ。ただ、楽しく生きていたいだけです。孤児院で産まれて、家族の愛も知らずに寂しくて、でも今はこんなに色んないい子と一緒に居られて、幸せなのに、そんなことしません。これが、するような女に見えますか?」


 純粋無垢の目で、グランを見つめた。

 視線は熱になって、彼の内部に入り込む。


「あ、その、泣かないでください。私はそうは思っていません。万が一、万が一の場合です」


 おろおろするグラン。


「おい、やめろ」とアースから冷たい声。

「はい」


 私は涙を人差し指で弾き飛ばして、にっこりと笑った。

 茫然とするグラン。ころころ表情が変わって面白い人だわ。


「わかったか、グラン。これはこういう女だ。笑顔一つ、小さな所作で人を狂わせることができる。おまえを疑うわけではないが、用心に用心を重ねろ。こいつを見ると、誰もが狂う」

「一兆ドリム、傾国の女……」グランは頭を抱えていた。「なるほど、こういうことですか」

「傾国の女?」


 それは初めて聞く言葉。

 私を指し示す、新たな綽名。


「ふふ。素敵ね」


 私は魔女で、傾国の女でもある。

 私の紹介文が、また増えた。

 私が増えて、私が明確になっていく。

 もっと、もっと、私を定義して。なんでもいいから、私を教えて。


「っ」


 グランが身を引いていた。


「絡めとられるなよ、グラン。今日、おまえにこいつを見せたのは、十分に警戒しろと忠告するためだ。――傾国、琥珀、美姫。王宮でもたまにそんな名で話題に出ることがある。全員騙されてるんだ。こいつは、人の心を奪う、魔女なんだ」

「……殿下もお気をつけください」

「あら、大丈夫よ。私、この人嫌いなの」


 私が言うと、アースもグランも動きを止めた。二人にだけに聞こえる声だったから、ここだけ時間が止まったよう。


「それは、王家に対する侮辱ですかな?」


 グランが怒気を顕にする。

 けれど、アースがそれを止めた。


「構わん。これに何を言っても無駄だ」

「しかし」

「人と考えるな。これは魔女だ」


 魔女。人じゃない、魔女。

 嬉しくなる。私は、魔女。


「アース様」

「なんだ」

「私が嫌いなのは、貴方だけですわ。”貴方、一人”です」


 自分でもぞっとするくらい綺麗に、すっと声が出た。

 脳を介さない、反射的な言葉。

 自分の心の底が、無意識に発した制御できない一言。

 理性で止められなくて、一瞬だけ不安が差し込んだ。


 ただ、一泊遅れて脳でも理解した。

 嫌悪は、好意の反対ではない、と。


 アースの表情は変わらない。ただ、眼の奥は揺れていた。私の言葉で心を揺らして、名前のない感情に閉じ込められていた。

 特別。

 世間の特別。

 社会の特別。

 人の、特別。

 唯一という言葉に、人は簡単に揺れてしまう。


「俺も君が嫌いだよ」


 鼻を鳴らして、アースは私の前からいなくなった。


 知る、わかる、理解する。

 好意だけが人を操る感情ではない。嫌悪も、無関心も、使いようによっては人を揺さぶり、根底を覆すものになる。

 大切なのは、その塩梅。摂取量の定量化。

 人の心は、好意に守られるだけではダメなのだ。嫌悪に叩き落され、無関心に揺さぶられないと、本当の意味で輝かない。


「ふひっ」

 

 初めての笑い声。

 私が、歩みを進めた音だった。


「マリア。休憩に行きましょう!」


 給仕をひと段落させて、寄ってくるシクロ。

 私は、彼女に一言、投げた。





 シクロは震えた。

 目を白黒させて、

 お盆をその場に落として、

 息も吸えていないくらいに、絶句する。


「なーんて、嘘よ、嘘。ほら、休憩に行きましょう?」


 私は笑顔でその言葉を撤回して、シクロの震える手をとった。

 シクロはその日、私から遠く離れようとはしなかった。ずっと近くにいて、捨てられた子犬のような目で私を、私だけを見つめている。


 私はいつも以上にシクロを可愛がった。昼も、夜も。

 彼女の中で安心が以前よりも増していく。不安を得て、相対的に安心の量が増えたように錯覚する。マイナスのせいで、プラスがよく見えるようになる。

 でも、過る不安がぬぐえなくなって、シクロはますます私を脳内に住まわせていった。


「ふふ」


 なるほど。


「ふふひ」


 こうやって、やるのだ。


 飴と鞭のように。

 甘味と辛味のように。

 調合して、混ぜ合わせて。

 不安と安心は、反対ではない。同居しうる。

 二つを適切に合わせることが、××なのだ。

 バランス。


 その皿の上で、零れないように、でも、いっぱいになるように、注いでいくの。

 わたしで、いっぱいになるように、注ぐの。

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