第21話
今日の行事は入学式だけ。ミドルの話を聞いた後、私たちは簡単な自己紹介をして、午後は自由行動になった。
「いやあ、私、マリアはAクラスだと思ってたよ」
帰る準備をしていると、クラスメイトが寄ってくる。
テータ・ピット。オレンジ色でふわふわとした髪が特徴的。小柄ですばっしこそうな印象を受ける。
「どうして?」
「いやいや、その見た目だよ。事前情報で公爵家のお嬢様が入ってくるのはわかってたから、目印の金髪金眼を探して、真っ先にマリアを見つけたんだ。なのに同じCクラスにいてびっくりしたよ」
「……ああ、なるほど! だから寮では、皆私を遠巻きにしてたのね?」
偉い人は、恐怖の対象でもある。
私は公爵令嬢のデリカと間違われたのだ。
「そ、そ。見たこともないような美人で、しかも覚醒遺伝持ちの二人を連れてる。護衛すらも学園に入学させられるような高位の人だって、普通は思うよね」
「そんなことないわ。私はマリア。ただのマリアだもの」
「実際、Cクラスにいるし、先生も気さくに話しかけてるから、私の勘違いだったってわかったよ」
テータは微笑む。人懐こい笑み。
表面上は。
少々の上目遣いには、思わず自分が上位に立っていると勘違いさせられる。
その瞳の裏は、見た目ほど軽くはなかった。
「で、テータは何者なの?」
「私? 私はただの下町の女ですヨ。見た目の通り、すばしっこいからね。色んな場所に潜って、色んなことを知ってる、情報通デス。他にも色んな事もやって、ある時偉い人に見つかっちゃって、やばっと思ったけど、でも私の才能を理解してくれて、ここの推薦人になってくれたんだ。ラッキーラッキー。人生いいこともあるもんだね」
軽薄な笑いは、化粧のようだった。
男性は女性の化粧の機微を見抜けないという。
結局人は、自分が扱わないものは、わからないものだ。
嘘だって、同じ。常用する者だけが機微を見抜けるの。
「うまいのね」
「生き方の話? そんな大層なもんじゃないよ。ただの運ですヨ」
「嘘のことよ」
ぴく、とテータの表情が固まった。
私はテータの耳に口を寄せた。
「大丈夫。別に咎めるつもりもないわ。処世術は人それぞれだものね」
どうしてそんな嘘をつくのかはわからないから、追及する意味もない。
ただ、私はそこいらの有象無象とは違って、貴方を理解できる。理解できてしまうことを、伝えたかった。
貴方と私。同じなのかも、と思うと嬉しい。
テータの表情はすぐに動き出した。困ったように笑った。
「……やだなあ。私は本当にただのテータですヨ。マリアと同じ、ただのテータ。怖いなあ、マリアは」
「ふふ。どっちでもいいし、なんでもいいわ。ただ、仲よくしましょうね」
彼女と握手を交わした後、テータは笑って去っていった。
「スクープっすかね?」
クリス・ミウリは、テータが去った後にひょっこりと机の下から顔を出した。
「突如としてCクラスに現れた絶世の美少女。その顔のパーツは公爵令嬢デリカ様と同じ、金髪金眼。……匂う、匂いますなあ」
部屋の中でも被ったとんがり帽子。その下からは好奇心に塗れた瞳があった。
粘着性で、されど、真っすぐな視線。
「私、そんなに匂う? 昨日、湖で泳いだんだけど」
「え、湖? 湖って学院内にあるやつっすか? あそこ、藻とか苔とか浮いてるから、結構汚いっすよ」
「水自体は澄んでて、とても綺麗よ」
「あんれま。身分を隠したお嬢様だと思ったのは、……勘違いっすかね」
首を捻るクリス。私の人物像を、令嬢と庶民の間で揺らしている。
「ふふ。私はただのマリアよ。孤児院育ちの、偉くないマリア。親の顔も知らないの」
「そんな曇りなき眼で言われると、ずかずか踏み込んで申し訳ない気持ちも生まれるっす……。えっと、その、ごめんなさい。……いや、だからこそ、ってこと?」
クリスは唸る。
私を想像させるのも、面白い。
「私は自分のことを話したわ。次はクリスのことを教えて?」
「ういっす! 先ほど皆の前で自己紹介した通り、クリス・ミウリと申します。実家は周りで起こったことを人々に知らしめる、広報のようなことをしてるっす。私はそこで育ったせいで、どうも人より情報に対する嗅覚が鋭いらしく、そこを目にかけていただけたようっすね」
Cクラスに入ってくる生徒は、学力や運動能力と言った、単純に目に見える能力値が優秀なだけではないらしい。
クリスのような傑物を連れてくるあたり、面白い。
「で、そんな貴方は私を見てどう思ったの?」
私を、なんて呼んでくれるの?
クリスは一度開いた口を閉じた。
「……いえ、まだ口には出しません。愚鈍な好奇心は神をも殺すっす。情報は、意外と目の前に簡単に転がっているものです。されど、簡単に拾ってはいけないものもあるんす。うちの父は、森の中のキノコと同じだとよく言っていました。きちんと図鑑を見て食べる様にと」
「素敵な父親ね」
気持ちはわからなくもない。
孤児院にいた時、アンナの悲惨さを知らなければ、私たちだってまた違った人生を歩んでいただろう。知るということは、メリットもデメリットも引き起こす。
ただ、図鑑に載っていない毒キノコは、それでも食べないと何なのかわからない。
私は好奇心を閉じ込めるつもりはない。
全部聞いて食べて飲み込む。そうした時の自分の、周りの反応が見たくて仕方がないの。毒だって大歓迎だわ。
「ともかくよろしくね、クリス。貴方とも仲良くさせてね」
「はい。よろしくっす」
とりあえず私は、私とイヴァン、シクロを除いた七人のCクラスの生徒たちと挨拶を交わした。
全員予想以上に可愛くて、仲良くできそうだった。むしろ、仲よくしたくて仕方がない。
どうやって仲良くなろうかしら。
恐怖はダメね。圧力も、不審も、私たちの間にはあってはならない。
ほしいのは、愛情。
心酔させたい。
心の底からワタシを求めて、ワタシがいないと生きられないような、そんな状態になってほしい。
それを叶えるためには、私は考えないと。
無理なく自然にありのままに。
私は、このまま、綺麗なマリアのまま。
状況だけを、ぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
私なら、――できるわ。
だってわたし。
だもの。
◇
学院の生活サイクルは、座学による授業、軽く体を動かす、といったもので、孤児院の時と変わらなかった。
今は運動の時間。爽やかな風の中を走っていく。
「……マリア、貴方、何者よ」
体操着に着替えて、校庭を一周する。私はダントツ一位で、その後にイヴァンとシクロが続いた。
運動が苦手だと言っていた、レイン・ゴウルという少女が荒い息を吐き出しながら近づいてきた。
「……はあ、はあ。なんであれだけ早く走って息も切らしていないのよ。私の全力疾走より全然早いのに」
「ふふ。これが私の特徴だからね」
「なるほどね。その運動能力で、ここに推薦されたのね」
レインは息を整えた後、結んでいた髪を解いた。眼と同じ黒い髪が彼女の肩甲骨辺りまで垂れていく。
嘘は言ってない。
私の運動能力が人の範疇外であることは、すでにわかっている。
「でもあんた、勉強もできたじゃない」
「ふふふ。それも私の優位点よ」
一度教えられたことは忘れない。
わからないことはずっとわからないけれど。
「ちぇ。完璧超人ってこと? 美人だしスタイルいいし、天は二物を与えたって? 嫌になるわね」
「レインも、とても可愛いわ。食べちゃいたいくらい」
「……、ありがと。嬉しいけど、え、あんたそっち系?」
ちょっと引かれた。
最近分かったが、普通の恋だの愛だのは、異性、男女間で行われるものらしい。
でも、私は女の子も好き。男の子はまだ関わり合いがないからわからない。
「ふふ。さて、どうでしょう?」
茶目っ気を含ませて笑うと、レインも笑い返してくれた。
「まあ、あんたほどの美人になら抱かれてもいいけれど」
「では、部屋のカギを開けておいてね。もしくは、開けておくわ」
「……いや、冗談だから」
本当に鍵が開いていたら、私は行くわ。
レインは商人の娘。口から生まれたと自己紹介していたし、軽口を言いあえるのが楽しい。
そんな彼女の目が、商人の目になった。私を金銭で捉え始める。
「ねえ、相談なんだけど、私にあんたの時間を売ってくれない? 悪いようにはしないから」
「何をするの?」
「それはこれから考えるわ。何でもできそうね。話をする時間を設けてもいいし、脱がせてもいい。給仕するだけでも大儲けできるわね」
「ふふ、私、一兆ドリムくらい稼げるわよ」
「ははっ、確かにマリアなら本当にそれくらい稼げそうね。冗談も言えるから、キャバレーに入れても面白そう」
本当の話なのに。
まあ、今の私に金銭的価値はないけれど。
「ま、お金に困ったり、したいことができたら、私に相談してよ。無理しない範囲で稼がせてあげる」
レインは上機嫌で去っていった。
「マリア」
袖を引っ張るのは、イヴァンだった。彼女も息を一切切らしていない。
「お金ならあるから、あんなやつの言う事聞かなくてもいいよ」
イヴァンは優秀だ。
競売の時にどさくさに紛れてお金を持ち出していた。結構な額らしくて、万が一にも対応できると言っていた。
「別に私はお金はほしくないわ。欲しいのは、評価と言葉。競売の時にはあまりお話しできなかったから、次はおしゃべりできるところがいいわね」
「マリア。やめてって言ってるの」
拗ねた顔になるイヴァン。
きゅんきゅんする。
そんな顔が見られれば、他を求めはしない。
クールな彼女が甘えてくるのは、私にだけ。私だって、心から甘えられるのはイヴァンにだけ。
一生支えてあげる。だから、一生支えてね。
私はイヴァンの小指に、私の小指を絡めた。
誰にも見えないような小さなスキンシップは、イヴァンのお気に入り。
「まったくもう」嬉しそうに息をつく彼女が可愛らしかった。
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