第19話





 学院が始まるまでの間、私たちは寮で過ごした。


 私は散歩を、イヴァンは読書を、シクロは睡眠を、よくしていた。

 孤児院の中ではプログラムが決められていて、すべての行動に強制力が働いていたから、自分の意志だけで動いていくのは新鮮だった。


 まあ、全員やることは普段と変わらないんだけどね。


 ミドルが言った通り、日を経るごとに寮には人が集まってきていた。ここは新入生の寮であり、周りの子たちは同学年に当たるらしい。

 初顔を目にするたびに、私は笑顔で挨拶した。私が笑いかけると、誰もが顔を赤く染めて深々と頭を下げてきた。


 私はただのマリア。

 そう見せているのに、誰もそうは見てくれなかった。なぜだが、恐れられている。

 そんな風に遠巻きにしなくてもいいのに、少し残念。



 そんなこんなで毎日を悠々と過ごしていたある日。

 食堂で三人でご飯を食べていると、同学年の少女たちが続々やってくる。不安そうに、楽しそうに、緊張して、周りを窺いながら、各々の席についていく。


 どれも、可愛い。

 無垢な少女たち。

 ほとんどが同い年なのに、何故かその顔つきはイヴァンよりもシクロよりも幼く感じた。


 数十人もいるのに、私たち三人の話し声以外、音のない食堂。

 しかし、今日は少し違っていた。

 その子は、大声と共に現れた。


「デリカ・アッシュベイン様のお通りです! 皆、前を開けなさい!」


 五人の少女の集団が入ってくる。食堂に脚を踏み入れるや、うち四人は横に退く。四人の前を通り過ぎ、一人が悠々と食堂に入ってきた。

 私と同じ金色の瞳と髪。くせ毛のようで、先っぽが外側にカールしたセミロング。身長は低く、私たち三人の中で背の低いシクロよりも小さい。周りの子と比べても小さい。顔つきも幼い。これは幼く見えるというよりも実際に幼く、もしかしたら年下なのかもしれなかった。


 名前を聞いて、にわかにざわつく食堂内。

 全員、彼女のことを知っているようだった。


「おはようですわ、愚民ども。輝かしい朝にこの私と出会えたことに感謝なさい」


 尊大な口調。

 ぽかんとしていると、イヴァンの口が耳元に寄せられた。


「マリア。一応、伝えておくよ。あの子、デリカ・アッシュベインは、公爵家の一人娘。第二王子の婚約者でもある。私たちの同学年としては一番の有名人だから、覚えておいた方がいい」


 流石イヴァン。物知りだ。

 どこでそういった情報を仕入れてくるのだろう。


「公爵令嬢というと、すごいの?」

「うん。公爵家は王様の傍系だから、王の一族に次いで偉いとされてる。実際にアッシュベイン家は議長職についてもいるしね。簡単に言ってこの国で二番目に偉い家の子だね」

「それはすごいのね」


 正直、偉いということがどういうことかわからない。

 でも、偉いってのは、きっとすごいこと。


 感心してから、食事を再開した。

 しかし、何か空気が重い。周りから、食器の当たる音がしなくなった。正確に言うと、私とイヴァンとシクロからしか聞こえない。

 顔をあげると、件のデリカと目が合った。

 私が微笑むと、デリカの目が吊り上がった。


「ち、ちょっと、そこの愚民! どうして食べるのをやめないのよ! こ、ここにデリカ様が来たって言ってるじゃない! 聞こえなかったの?」


 甲高い声。

 そのままずんずんと私たちに近づいてきた。


 周りを横目で見ると、他の子たちの目に、私は”絡まれて可愛そうな子”として映っていた。憐れまれている。

 眼前、デリカは私たちの机をたたいた。


「わ、私が到着したからには、諸手を挙げて悦んで、歓迎のあいさつをするのがフツーでしょ、フツー。違うの? そうでしょう? それともなに、私に反旗を翻そうっての?」


 違和感。

 剣幕とは裏腹に、眼の奥は不安そうに揺れていた。威圧されているはずなのに、お願いされているかのような錯覚を受けた。


「そうよ。デリカ様は結構ナイーブなんだからね!」「挨拶しないとかわいそうでしょ!」「昨日からずっとそわそわしてたんだから!」「仲良くしてあげなさいよ!」


 やんややんやとデリカを囲む周りから。

 よくわからないが、歓迎の意を示せばいいらしい。


 望むところ。

 他の子が寄ってきてくれるのを待っていたのは、私の方だ。


 私は立ち上がって、デリカとの間で邪魔となる机を迂回する。「な、なによ!」と大声を出すデリカの目の前に立って、愛情たっぷりに抱きしめた。


「初めまして、デリカ様。私はマリア。貴方とこの場所で会えて、とっても嬉しいわ!」


 デリカは小さくて華奢で、本気で抱きしめたら壊れてしまいそうだった。「ちょ、なに」じたばたするのが小動物みたいで可愛い。頬ずりもしちゃえ。


「歓迎するわ。するする。こんなに可愛い子なんだもの。しないわけないわ」


 私に歓迎してと言ってくれるなんて、なんて可愛いんだろう。

 抱きしめて、部屋に連れ込んで、抱き枕にしたい。


 私が一旦離れると、デリカは目を回していた。落ち着くのを待ってから、私はイヴァンとシクロの方に手を向ける。


「紹介するわ。私の家族の、イヴァンとシクロ。とっても可愛いでしょう」

「イヴァンです、デリカ様。マリアがご迷惑をかけます」とイヴァンは御辞儀し、

「か、家族として紹介……。うふ」とシクロは口元を綻ばせた。


「貴方はデリカ様で、そちらは……」


 と私がデリカの背後の子たちの名を聞こうとすると、「な、な、なにするのよ!」とデリカに怒声を向けられた。


「な、なんでいきなり抱き着いてくるのよ! わ、私のファーストハグだったのに!」


 初めて聞く単語だ。

 金色は瞬く。


「ば、ば。馬鹿じゃないの! 愚民は知らないの? 私は第二王子アース様と婚約しているのよ。つまりは、この体はアース様のもの、王子様のもの。私は将来この国の母にもなるのよ。気やすく触れていいものじゃないのよ」

「それは、ごめんなさい。デリカ様が余りに可愛くて……」


 怒っている相手には、余計なことは言わずに落ち込んで見せる。

 設問に対する解答のように、決まりきった定型的な行動。

 予想通り、デリカの勢いは少し収まった。


「ふ、ふん! わ、わかればいいのよ。わかればね。どうせ愚民だものね。礼儀も知らないのは仕方がないわ」


 鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 でも、私の目は見逃さない。


 デリカは、少し嬉しそうだった。

 言っていることと差異がある理由はわからないが、私のスキンシップをそこまで嫌がってはいない。

 その目は私に悪意を向けてはおらず、むしろ好意に近しい感情があった。


 目は口よりも、ものを言う。

 だから私は再度抱き着いた。


「デリカ様! かわいいわ素敵だわ愛おしいわ抱きしめたいわ」

「みぎゃあああああっ」


 流石に許されなかったようで、四人の取り巻きに押さえられ、私はデリカから引き離されてしまった。


「……セカンドハグまで」

 気落ちした様子。


 私以外にはそう見えているだろう。あるいは、そういうポーズを見せるのが、礼儀なのかもしれない。

 彼女の取り巻きの私への評価は、”危険人物”となった。デリカを囲うように私に牽制しながら、五人は私たちから離れて席について、食事を始めた。


「仲よくしましょうね」


 最後に一声かけたが、返事はなかった。

 残念。


 私はこれ以上の追及をやめて、席に戻った。

 周りの生徒たちの中で、私を見る目が”目をつけられて可愛そうな子”から、”頭がお花畑で可哀想な子”に移り変わっていた。

 なるほど、これは一般的にはよろしくない行為だった模様。


 でもまあ。

 孤児院でもイヴァンとシクロ以外には引かれていたし、半分確信犯だったけれど。

 ちょっと舞い上がっていたのかも。


 しかし、デリカが本心では嫌がっていなかったから良しとする。私の存在を、可愛い彼女の中に意識づけることができた。

 副産物として、この場にいた少女たちも、私を見た。瞳の中に、脳の中に、心の中に、私を認めてしまった。そういう人物だと思ってしまった。

 種は蒔いた。後はのらりくらりと、水と肥料をあげるだけ。

 私はこの場所で、色んな子と”仲良くする”の。


「マリア。後で私も抱きしめてくださいね」


 シクロは頬を膨らませて私と手を握ってきた。


 この子はすぐに甘えてくる。可愛いわ。

 こんな風に、多くの子たちを私に引き寄せたい。そうすれば、私はもっと、私を知れる。愛に囲まれ、生きる意義を見出せる。

 化け物らしく。人の心を喰らうの。




 食後、三人で食堂を後にする。

 廊下の先に、一人の少女がいた。


「すごいね、君たち」


 赤毛のショートカット。背の高い麗人。今度は平均よりも高くて、すらっとした少女だった。


「あのデリカ嬢にいきなり喰らわせるとはね。いやはや、面白い劇を見ているようだったよ」

「貴方は?」

「僕はロウファ。ロウファ・カインベルト。カインベルトの名前は知ってるかな?」


 私とシクロが首を傾げる横で、イヴァンが答えていた。


「現騎士団長の名前ね。ご息女ですか?」


 相変わらず、どこで情報を集めているんだろう。


「お、知っていてもらって良かった。父上も安心してるだろうよ。そう、武家の家に生まれた気鋭。将来の王国騎士団長。それが僕だ」


 その瞳には自信がみなぎっていた。

 先ほどのデリカとは異なって、しっかりと地に足が、名に体が追い付いている。


「私はマリア。そして、こっちがイヴァンとシクロ。仲よくしましょう」


 今度は控えめに、手を差し出した。

 が、ロウファは口の端を歪めるだけ。少量の慢心が見えた。


「それは、君たち次第だ」

「え? どういうこと?」

「この学院での三年間は、社会に飛び立つ予行演習だ。この場で人脈を作り上げ、確固たる地位を築くこと。それが輝かしい将来の第一歩になる。僕はここで頂点に上るつもりだ」

「はあ」


 よくわからないから、とりあえず頷いておいた。

 ロウファの話は続く。


「同学年では、大きく分けて二つの勢力がしのぎを削ることになるだろう。デリカ嬢率いる高位貴族派。僕率いる中流貴族派。デリカ嬢には将来の淑女たちが、僕の元には武官文官の類が集まる。どちらにつくかで今後が大きく左右されることになる。そこで、君たちだ。まずは、出自はどうなんだい?」

「わからないわ」


 親の顔も知らないのに。


「……ふむ、まあいい。では、どちらにつくつもりだい?」

「どちらにもつかないわ」


 即答すると、ロウファの目が丸くなった。

 私を見つめる。私も見つめる。

 私の姿がつかめていない様子。


「私は、全員と仲良くするわ。何故なら、皆大好きだから。皆に私を好きになってもらいたいから。競い合うより、楽しく生きましょう?」

「……世迷い事だな」


 周りにはそう見えるらしい。

 でも、それは人の尺度で話しているから。

 残念。私は、人じゃないの。

 人の身体を、心を蝕む、醜い獣。


「当然、貴方も好きよ」


 彼女の首のあたりを指で撫でると、ロウファが大きく背後に飛びずさった。

 腰に差した剣の柄に手をかけている。


「……僕は、武人だ。父と同じ騎士団に所属し、王国を守るという覚悟がある」

「素敵ね。かっこいいわ」

「……」


 ロウファの眉根が猜疑に寄った。

 私を判断しようと、強い瞳で睨んでくる。

 でも、私には裏も表もない。

 あるのは、深い深い深淵のみ。


 結局、私を推し量ることをできずに、ロウファは背を向けた。


「わかった。どちらでもいいけど、あまり調子に乗らない方がいい。綺麗な見た目だけでは生きていけるほど、優しい世界じゃないぞ」

「私をほめてくれるの? 嬉しいわ」


 でも。

 私にとっては、要らない言葉だ。

 もっと、複雑に、明確に、端的に、無秩序に、私を定義してほしい。


 あるいは、化け物、あるいは、魔女、といった具合に。

 でも、それがわがまま。出会ったばかりの人にそれを求めるのは無礼。

 これから一緒に日々を過ごして、私を知ってもらえればいい。そこで、私にふさわしい言葉をもらおう。


 貴方たちが将来的に私をなんと呼んでくれるか。

 それが楽しみで、仕方がない。

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