第16話





 ◆



 マリアは絶世の美少女だ。

 幼いころからずっと一緒にいたイヴァンはそれをよく理解している。


 金色の髪、眼はもちろん、人目を惹く顔の造形、すらりと立ち上がった背中、四肢と肌。すべてにおいて、文句のつけようのないくらい。


 勉強もできて運動もできて、魔術の素養もある、完璧超人。人に合わせようと思えば合わせることもできる器用さも、彼女の特徴。


 だが、マリア自身は自分の美しさに、価値に気づいていない。

 多分、産まれてすぐに孤児院に預けられたから、他の世界を知らないから、そうなってしまったのだろう。後は、根拠がないと納得できない、理知的な知性にも依る。


 その知性は、発想は、すごい。

 去年、売られそうになった自分を、身を張って助けてくれた。百億ドリムという途方もない額を出すと豪語して。


 怖かった。

 きっと、自分はアンナ以上の酷い目に逢う。吸血鬼である自分は特殊な存在だし、人よりも耐久力も高い。嗜虐的な”遊び”に付き合わされて、ぼろぼろにされて、ごみの様に捨てられる。アンナの姿を見たから、容易に想像できた。


 でも、マリアはそんな不安を一蹴してくれた。特別中の特別の彼女は、すでに人の領域を超えている。


 あれ以来、イヴァンは心に決めたことがある。

 私だけが知っている過去。幸せが何かわからなくて泣いていた少女。自分が何者かわからなくて不安な表情を見せていた少女を、幸せにすると。


 自分がどうなっても、マリアが心から笑ってくれればいい。

 多大な献身をもって、傍にいる。

 私の人生は、きっとマリアのためにある。



 そんなマリアはよく、歪んだような笑い声を出す。

 魂から漏れてしまったような笑いが、イヴァンは嫌いだった。

 でも、最近はそれがマリアそのものなのではないかと思い始めている。むしろ、普段の綺麗な笑顔こそが偽物なのではないかと。



 マリアの披露会。

 マリアという美少女にどれほどの価値がつくか、買い手が商品としてのマリアを評価した。

 先日行われた一回目では一兆ドリムの値がついたという。国の予算ほどあるのではないか。高額過ぎて現実味を失っているけれども。


 今日は、引き続きのマリアの披露目会。ざわざわと会場が揺れている。またマリアの値段が上がっているのだろう。


 美しいマリア。

 特別なマリア。

 自分を化け物だということもある。

 でも、化け物でも、マリアはマリアだ。


 ――私は、絶対に彼女を幸せにする。


 そんな風に想いながら待合室で結果を待つ。

 不釣り合いな大きな物音がしたので、イヴァンとシクロは顔を見合わせた後、待合室を飛び出していった。


 廊下を慌ただしく駆け回る人々。見張りの修道士もこちらをちらを窺った後に、何の声もなく青い顔をしながら駆けて行ってしまった。


 二人はすぐさまマリアを目指す。

 舞台までたどり着くと、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。


 観客たちは甲冑を着込んだ兵隊に壁やら地面に押し付けられ、泣き言や嗚咽を漏らしている。兵隊は機敏に動き回り、次々へと人を拘束していく。

 ここが違法な競売だとバレたのか。マリアの名前が軍隊をも引き寄せてしまったのか。


 でも、それらのことなんか、もはやどうでもいい。


 最愛を探す。

 マリアの姿は、舞台の上にあった。怪我もなさそうな様子に安堵する。


 マリアは笑っていた。

 あの、笑い方だった。


 そこだけは、世界が違っていた。

 マリアの周辺だけは物事の流れがゆっくりで、止まっているように思えた。こんなに慌ただしいホールの中で、マリアだけはいまだ演劇の主役を演じている。


 見とれてしまうほどに、美しい。同時に、目を離せないくらい、歪だった。


 そこに、金髪の少年がやってくる。

 マリアと同じくらいの年の瀬、同じくらいの身長の少年。上質な服、綺麗な肌。見るからに上流階級の人間だ。


 にこやかにマリアに笑いかけ、マリアも笑顔で応じている。

 でも、


 ――私には、わかる。


 イヴァンはマリアの笑顔の質を理解している。私だけはわかるという自負がある。


 憎しみのこもった笑みだった。

 初めてみるその顔に、肌が泡立つ。


 怖くなって、不安になって、少し、興奮した。

 いくつも見てきたマリアの色んな表情。でも、人に嫌悪感を見せたことはついぞなかった。


 また一つ、マリアを知れた。

 それはイヴァンにとって、最大の幸福だった。


 マリアが少年に何かを囁く。そうして、少年の顔が曇ると、晴れやかに笑っていた。私がもらいたい笑顔なのに、と少年に対して殺意が湧く。

 そして、マリアはその場に崩れ落ちた。誰が見ても、不安が押し寄せて押しつぶされた可憐な少女のように見えた。


「ふふ」


 マリアが移ってしまった。そんな笑い声が、自分から。

 マリアは今後を考えて、ああすることを選んだ。イヴァンはその意図を理解した。


 矜持と狂喜。


 ――マリアを真に理解できるのは、私だけ。


 そして、意図を組んで、最適解をマリアに渡すのも、自分の役目。


 ――だとすれば、私は。


 口元は笑い、脳は動く。

 これからどうなるか。どうするか。必要なものは何か。


 そんな折、司会の人間がそそくさと舞台から降りたところが視界の端に映った。


「シクロ」


 隣の少女に囁く。うっとりとした顔でマリアに見惚れていたシクロは、我に返った。


「マリアのところに行って」

「え?」


 きょとんとする白黒の少女。


「イヴァンはどうするんですか?」

「私は、少しやることができた」


 イヴァンはすぐさま司会の跡を追う。


 彼が向かったのは、倉庫。

 焦った顔で袋を手にして出てきたところを、イヴァンは拳で一突きした。「ぶひゃ」変な声をあげて転がり昏倒する司会。イヴァンはその手から袋を奪い取る。


「私たちのこれからのために、もらうね」


 じゃらじゃらと音のする袋をドレスの下、下着に結び付ける。歩きづらいが、手に持っていても兵隊に奪われてしまうだろう。流石にレディのスカートの中は覗くまい。


 会場に戻る。じゃらじゃら音をたてないように、気をつけて。

 マリアと、それを囲む兵隊たちに合流する。


「これから、どうなるんですか?」


 困惑した顔のシクロ。

 イヴァンは首を横に振る。


「さあね」


 ただ一つわかってることは。


「多分、これからはマリアが中心に回っていくよ」


 ――そして私が、その一番近くにいるんだ。


 

 ◆



「孤児院は、解体する」


 目の前の少年にそう言われ、シクロの頭は真っ白になった。


「人身売買を目的とした孤児院なんて、この国に存在してはならない。他の議員たちが見過ごしていたことは許されないな。さきほど君たちの孤児院に捜査に入ったが、大人の姿はなかった。取り逃がしたようで、口惜しい」


 さっき逃げた修道士が知らせたのだろう。

 でも、そんなことどうでもいい。


 孤児院がなくなるということは、居場所がなくなるということ。

 マリアと一緒にいられないということ。

 シクロは不安で不安でたまらなくなった。


 マリア。

 素敵なマリア。

 私のマリア。


 彼女は憧れで、親友で、愛の対象。

 シクロの人生のどこをとっても必要不可欠で、絶対の存在。


 親に実験体として売られ、身体をいじられた。魔道具の性能を人にも応用が利かないかという実験で、魔術を体に浴びせられたり、怪しい薬を飲まされたりした。


 その時は、ただ死にたかった。

 孤児院にほぼ無償で売られたときも、隙あれば死んでやろうと思っていた。


 でも、影だらけの人生の中で、光に出会ってしまった。

 死ぬその時まで一緒にいたい存在を見つけてしまった。


 ――私は、生きる理由を手に入れた。


 彼女のすべてがほしい。私をマリアで埋め尽くして、マリアを私で埋め尽くしたい。

 生きていくうえで、マリアの中に私を積み重ねて、もっともっと深く愛し合いたい。


 ぐちゃぐちゃで、きらきらで、どろどろな、私の愛情。


 ――好き、好き、好き。


 だから。


 そんなマリアを離れるなんてのは、死よりもつらい罰だ。毎晩寝るとき、マリアの手を握っていないと不安で仕方がない自分は、きっと地獄に落ちるよりも絶望する。


 孤児院を失うという事は、どうなること?

 マリアと引き裂かれるのなら、私は××する。それを防ぐためなら、なんでもする。


 激情し、真っ赤になる脳内。


 けれどなんとか押し留まっているのは、シクロ以外の少女二人に、焦った様子はなかったからだ。自分よりも頭が回り、同じ未来を描いている二人が余裕を持っていたから、シクロも一抹の安心に縋ることができた。


 人身売買、その会場に兵隊が押し入って、少し後。競売にかけられていた三人は、金髪の少年に呼ばれて、会場の個室で会話を強いられていた。

 多くの観客が処罰を受けた後だ。何を言われ、何をされるかわからなくて震えていたシクロを置いて、マリアは笑う。


 マリアの笑顔は、安心する笑顔だ。

 私を肯定する、不思議な笑顔。


「私たちは、孤児院の子たちはどうなるんですか?」


 対して、少年の顔色は優れない。むっとした顔で、マリアを睨みつける。


「国運営の孤児院に預けられるだろう。そこで教育を受けて、社会に出てもらう」


 シクロは少しほっとした。

 この口ぶりから、もう売られる売られないの話にはならなさそうだ。


「ただ」と少年の言葉は続く。

「君たち三人は別だ。もう顔も状況も知るところには知れ渡っているだろう。普通の孤児院に行けたとして、そこから無事に社会に出れる保証はない」


 駄目じゃないですか!


 ――こいつを××して、三人でここを出るのが正解でしょうか。


 拳を握る。

 シクロの隣、イヴァンが鼻を鳴らした。


「その点については大丈夫です。私たちは三人で生きていきます。そのための蓄えもありますので」


 流石イヴァン。

 マリアの次、圧倒的差をもって、二番目に好き。


「金の問題だけじゃないんだ。君たちは、裏の世界では”一兆ドリムの存在”なんだ。わかるか? 君たちが望む望まないにかかわらず、その価値がついてしまった。そうなれば、是が非でもほしいのが人間の性だろう。手に入れたい者、渡したい者、保護したい者――君たちのこれからは、裏の世界の人間から逃げるものになる。いつ何時もその身を狙われ、脅かされることになる」


「じゃ、じゃあ、どうすればいいんですか……」


 怯えた声になってしまう。

 少年は、唸る様にして言った。


「この国で一番安全な場所に来てもらうしかない。一兆ドリムなんて、状況次第では国が傾く額だし、国としても看過するわけにもいかないからね」

「安全な場所とは?」

「国立イーリス女学院。この国の未来を担う淑女たちを育てる伝統ある学校だ。身分が高かったり、才覚ある少女を全寮制で迎え入れている。大切な子息を預かっているわけだから、当然、セキュリティも万全だ。ここより安全な場所は、他にない」


 そこがどういう場所かはどうでもよかった。

 シクロは安全な場所という言葉に惹かれた。

 ただ、自分で提案したはずの少年の顔は優れず、マリアの顔を胡乱に見つめていた。


「どうかしましたか?」


 マリアは笑う。

 素敵な笑顔。


 できることなら、私だけに向けてほしい。独り占めしたくなる。

 それを向けられて、何故か少年の顔が引きつった。


「……学院は、自由な校風だ。生徒同士の交流を推奨し、学院の中だけじゃない、将来の人間関係の形成も担っている。生徒に任せている部分が大きくなるから、そのため、外部へのセキュリティは万全だが、内部については基本ノータッチなんだ」

「そうがどうかしましたか?」


 シクロが首を捻ると、少年はシクロを見た後、マリアを再度見る。


「何か問題でも?」


 マリアは笑う。笑って笑って、笑う。


 ――素敵。


 イヴァンが諭すように、

「第二王子殿下。何を懸念されているかわかりませんが、私たちはこの通り、身分もなく、見た目の異常な女です。幼いころより差別は当然、厭われて当たり前の世界で生きてまいりました。女学院に入っても、身分の高いお方たちのお相手が務まるとは思えません」

「身分の関係ない推薦枠がある。優秀な人物だと推薦があれば入学は可能だし、一定数はそういう子たちもいる。それに、身分だけが人ではないと、普通の淑女はわかっている」

「では、何を懸念されているので?」


 イヴァンが少年を睨みつける。

 赤い瞳は自信にあふれていて、聞いていながらにして、理由がわかっているようだった。

 シクロはわからないので、黙っておく。


「……いや、問題はない。僕の名前で推薦しておこう。少ししたら、君たちは女学院の生徒だ」

「私と同じくらいの少女がいっぱいいるということですね?」


 マリアが聞く。

 少年の顔が沈痛なものになった。口を開いては、閉じる。


「……問題を起こすなよ」

「そうしたら、退学ですか?」


 マリアの言葉は殊更に無邪気だった。

 でも、さっき外には出せないと少年が言ったばかりだ。


「……」


 押し黙る少年。

 マリアはそれを見て、にっこりと、笑った。


「冗談です。寝る場所さえいただければ、私は何も文句は言いません」


 やっぱり、マリアは素敵だ。

 そんな彼女に愛されること。

 それが私の人生なのだ。

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