第15話
◆
”琥珀”は、至る所で話題になった。
競売で動く金は、せいぜいが数百万ドリム。高くても、一千万ドリムほど。
億の単位は異次元。
ましてや、兆など。
話題は広がっていった。そして、参加していた男たちが眼の色を変えて金の工面を始めたことから、その噂はより現実味を増していった。
参加者の誰もが、従来の冷静さを失っていた。
人身売買は、違法。逆に言えば、戸籍の存在しない少女たちは人ではない。どう扱ってもよかった。けれど同時に、それが世間の目に触れてはいけないという危険性も有していた。
誰もが、それを理解していた。それが守られていたから、競売は成立していたのだ。
が、少女は、冷静さを奪うに十分な苛烈さを備えてしまっていた。
名もなきスラムの孤児ですら、その話を聞いた。とある孤児院の少女に一兆の値がついたと。下町にある食堂の給仕も、王国を守る門番も、それを聞いて驚いた。そして実際に狂った人を見て、現実だと知った。
長年の秘密はあっさりと、秘密の形を失っていた。
◇
日を改めて、数日後。
私はまた、舞台の上に立っていた。
先日の会場は満員だった。客席いっぱいに人が詰めかけていた。
が、今回は、満員を超えていた。客席だけでなく、通路、果ては舞台上にも人があふれていて、私を一心に見つめていた。
私の価値は、さらに上がっている。こんなにも多くの人が、私の話を聞いてやってきた。
先日と同じように、理想のマリアで笑った。
一瞬で価格は一兆ドリムになった。
まだまだ上がる価格。
再び青ざめる司会。
不安そうな顔の修道士。
先日と同じ、狂った空間。私が狂わせた空間。素敵な場所。
先日と違うのは、客同士がもみ合いを始めたことだ。
「おまえ、一兆ドリムだぞ! 払えるのか!」
「おまえこそ! 俺は一兆に千億をつけるって言ってるだろ! どこのものだ!」
「男爵地位にいる者だ! 控えろ下郎!」
「私は騎士団に在籍している! 生まれも貴様より高貴だ!」
「俺は商人だ。あんたがたと違って、浴びるほどの金を持っている。引けよ」
「なんだと!」
各々が自分の権力、偉さを誇示しあう。
顔を隠しているはずなのに、自分を見せ合う行為に危険はないのだろうか。
いや、もうそんなことを言っている場合ではないのかもしれない。
危険すら感じられないくらいに振り切れた欲望。
私を欲しがる数多の人間。
もう、収拾などつくはずもない。
金銭の価値を超えて、観客は互いに殴り合いを始めた。仮面が外れ、怒号が飛び交う。司会の人間の声も、警備の人間の制止も届かない。
破綻。
狂え、腐れ、舞い踊れ。
私という多大な価値のついた存在を前にして、人間を辞めろ。
そうすれば、私と同じ化け物。
私と同じになれ。
どうせなら私は、化け物に買われたい。飼われたい。
「ふふふ」
誰にも見られないように、笑う。
絶頂しそうなくらいの、陶酔。
人を狂わせる、快楽。
これがずっと、続けばいいのに。
「止まれ!」
その声は誰も止まらない喧騒の中でも、良く響いた。
観客席の後方、会場の出入り口。
金髪の少年が、威圧感を伴って会場を見渡していた。
「我は第二王子、アース・クリムゾン。非合法な競売、主犯、協力者、参加者、そのすべてを王の名において逮捕する!」
少年に続いて、続々と武装した兵隊が入り込んでくる。観客たちは悲鳴を上げ、泡沫の夢から覚めて逃げ惑い始める。しかし、誰もかれもが組み伏せられ、拘束された。
どんな偉い職種についた人間たちも関係なく、会場の運営も、警備の人間も、あれよあれよという間に沈黙させられていく。
まるで、夢から覚める様に、人々の瞳から、光が消えていく。
私が、消えていく。
「――」
一瞬、思考が止まった。
私という化け物。
人を狂わせる、人外。
誰もが心を奪われていたのに、たった一瞬で、すべてが無になった。
一兆という途方もない数字から、ゼロに。
私の価値が、ゼロになった。
金髪の少年が私に近づいてきた。
「怖かったろう。だが、もう安心してくれ。今日、この場所で人身売買により、多額の金銭が動くと聞いてね。この国は人を金銭でやり取りすることを禁じている。国の重鎮もいたが、私の時代では改革を行って見せる。君のような被害者がこれ以上出ることもない。ん。まあ、とりあえず、もう大丈夫だ」
威風堂々と、私の前に立った。
着ている服装は、一目でわかる豪奢なものだった。装飾のついた外套。ぴっちりと着こなした仕立ての良い衣服。
第二王子。この国の王様の息子。きっととっても偉いのだろう。
その瞳に映る私は、ただの、”可哀そうな少女”だった。
さっきまでは一兆の価値のついていた美少女だったのに、家族に売られて絶望し、自分の意志とは関係なく世の中に流されてここに流れ着いた下賤な少女になっていた。
「……」
自信にあふれ、堂々と私に手を差し出してくる、少年。
対して私は、一兆ドリムの女。
――だった。
この少年が、価値をぶち壊した。私という高価な化け物を、可哀そうな少女に変えてしまった。
そして、彼自身はこれでもかというくらい人間で、そんな人間の中でも上位の存在であることを誇っていて――
意識していないのに、奥歯が鳴った。
今まで自在に操れていた私。それが、制御が効かない。
まるで、私に、突きつける様に。
比較するように、否定するように。
突然現れて、私を決めつけた。
私を、私を、私を。
マリアを、地に堕としてくれた。
私は、初めて、他人に、この感情を抱いた。
「私、貴方のことが嫌いだわ」
面食らう少年。
その耳元、彼にだけ聞こえる様に。
「私、貴方が嫌い。心の底から。どうして私を、化け物にしてくれなかったの。可哀想な少女なんかにしてくれたの」
「な、なにを……。僕は、君のために」
「きちんと人を見ましょうね。私は、貴方にとって、本当にかわいそうな少女?」
笑う。
眼前、彼の視界を埋め尽くすように、私は笑う。
息を飲む音。
茫然とする顔を見て、少し溜飲が下がった。
冷静になる。
ここで一番価値が出るのは何? 私が最も輝けるのは、どんな姿?
少なくとも、化け物ではない。
そうして、私は自ら、可哀そうな少女に”なった”。
その場に崩れ落ちて、嗚咽を漏らす。可愛そうな被害者となる。
周りの兵隊が駆け寄ってきて、口々に優しい言葉をかけてくれた。私を被害者として、ただの人間として扱ってくれる。
ただ、第二王子だけは、引きつった顔でいた。彼の視界にいたのは、もう、それは少女ではなかった。
彼はただ、「……魔女め」と呟いていた。
魔女。
初めての表現。
貴方は私をそう呼ぶのね。
素敵だわ。
少しだけ、彼が嫌いだという気持ちが薄らいだ。
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