第3話
今日もまた、新しい子供がやってきた。
その子の纏う空気は重かった。
空は眩いばかりの陽光を放っているというのに、彼女の雰囲気は暗い。同世代の幼い顔に悲痛な色を見て取って、私は首を捻る。
「ねえ、イヴァン。あの子はどうして悲しそうなの?」
ぐすぐすと鼻を鳴らし、ひぐひぐと嗚咽を漏らす、その子。
まるで地獄の蓋を開けてしまったかのような有様。ここは地獄ではないのに、どうして泣くことがあるのだろうか。
『これからよろしく』という挨拶をその子と交わした後、私は集団の輪から離れて一人欠伸をかいている少女に尋ねた。
「ねえ、イヴァン」
「聞いてるよ。当たり前なんじゃない? この孤児院に来る子なんて、訳アリしかないからでしょ」
さも当然のように、銀髪の少女は頷いた。
太陽の光の濃い昼間、彼女はいつも眠そうだ。鬱陶しそうに、満足に開き切っていない瞼を擦った。
反応が少し邪険。
でも、そういった”当たり前”を答えてくれるこの子が、私は好きだった。私の疑問に対して、うるさいと跳ねのけないで私の近くにいてくれるのは、数十人の少女がいる施設の中でもこの子だけ。
でも、残念。
せっかく教えてもらっても、私にはわからなかった。
「どうして? ここにいれば、毎日ご飯を食べられるわ。運動もできるし、勉強もできる。人間として文化的な生き方が約束されているのよ。絵本の中にあるような、地獄ではないの。何を悲観することがあるの?」
わからない。
この場所の外では多くの人が野垂れ死ぬ。
夢や希望や未来を砕かれて、路傍で物言わぬモノとなる。
ここの大人たちが話してくれるお話は、どれもそんな悲観の物語。
そんな明日と比べれば、この場所のなんと天国なことか。
ずっとずっと、生まれた時からこの場所にいる私は、他の場所で育った少女たちが涙を流す理由がわからない。
生まれて七年経った今でも、わからないことは多い。
「私だってわからないよ。外の世界なんか碌に知らないし」
再度欠伸を噛み殺すイヴァン。
私がイヴァンを好きな理由はいっぱいある。
彼女が私の話を聞いてくれること。
私の近くにいても何も言わないこと。
一年ほど年上のお姉さんだということ。
それらもあるが、それ以上に、彼女も私と同じく親の顔を碌に知らないことが挙げられた。
私は家族を知らない。どこの誰が私を産んで、どうして手を離したのか。家族を知らないことが、イヴァンに対して家族にも似た感情を私に抱かせた。
まあしかし、その、”家族”ってやつがわからないのだけれど。
皮肉。
堂々巡り。
私がじいっと見つめていたからだろう、イヴァンは半ば投げやりに言葉を放ってくる。
「皆、きっと思うところがあるんだろうね。前にいた場所で、少しでも幸せな瞬間があったんじゃないの? それを手放したくなくて、掴んだままでいたくって、泣いてるんだよ」
「幸せ、って何?」
「……なんだろうね」
イヴァンは言葉を残すと、その場に腰を下ろして寝息を立て始めた。
イヴァンの他に私に付き合ってくれる子はいない。
なぜ、
なんで、
どうして、
多くの疑問を脳内に浮かべながら、イヴァンの肩に頭を預けて、私も目を閉じた。
◆
王国の下町、その南端に居を構えるイスペリア孤児院には、今月も多くの孤児がやってきていた。光に吸い寄せられる羽虫のように、その門扉を羨ましそうに見上げる。
事情は様々。
飯を食べるお金もない。家庭では暴力が常。他人と渡り合う学もない。
明日が今より好転する未来を描けない彼らは、誰もが絶望し、しかし、一縷の希望をもって中から聞こえる暖かい声に夢を見ていた。
その孤児院には綺麗に着飾った子が笑顔で過ごしている。
門一つ隔てた先にいる、同じ境遇の子たち、暖かい食事、優しい修道士たち。この孤児院の中が幸せだと誤認する理由は多く存在した。
自分もその中に入れたらなあ、入りたいなあ。
しかし、この場所は誰彼迎え入れる慈善施設ではない。孤児院という響きを期待して門の前に置かれた新生児には目もくれず、そうして心無い親に捨てられた子供は門をくぐることなく放置され、野良犬や逸脱した人間に襲われ、息を引き取った後に遺物として処理される。そこには人間らしい情は存在していなかった。
では、どんな人間がこの門をくぐるかと言えば、そこに周りから”訳アリ”と称される理由があった。
迂遠な言い方で疑問に答えるとすれば、この孤児院が運営できているのは、入った時と、出る時に”金銭”が発生するから。お金と共に預けられ、お金と交換で出ていく、訳アリの少女たち。
「今日入ってきた子は、とある下級貴族の令嬢ね。どうも奥様が大層な大金喰らいで、破産したらしいわ」
宵闇に紛れて、女性たちの声が響く。孤児院の地下の一室では、そこで働く女性たちが机上、真剣な顔を向かい合わせていた。
「可哀そうな話ね。それで、莫大な借金を負った夫妻は蒸発。子供は連れて行けず、しかし責任を負わせるには可哀そう、せめてもとここに預けられた、と。……殺してあげた方がその子のためだったかもしれないのに」
「言葉が過ぎますよ。お布施は?」
「十分に頂きました。それくらいの金銭は捻出できたみたいです。それに、奥様は美しい方ですし、新入りの”将来”には期待できます。先日の決定通り、受け入れという形で進めましょう」
「しっかりと英才教育を施せば、出荷時期――十二になる頃には、一千万ドリムくらいの値がつくと予測されます」
「五年あれば、可能でしょう。元はとある下級貴族の出という肩書も、購買意欲をそそります。結局、高過ぎず低すぎずが一番安定して客がつきますし」
「では、彼女についてはそのように」
女性たちは頷き、議題を次に移した。
「では、今週の議題については、次が最後になります」
重々しい空気が辺りに蔓延する。
「マリア、ですか」
マリアという少女は、訳アリだらけの子たちの中でも浮いた存在だった。
理由は、多岐に渡る。
「この子の出自については最大の禁忌事項となっています。私たちの誰も知らされていないし、詮索することも許されてはいない。上の方々も、頑なに口を閉ざしていることから、推し量るべきでしょう」
「それはつまり、最上級の立場の……」
「その先を言ってはいけませんよ。言ったら、私は貴方を裁判員に売り、貴方は反逆罪で裁かれねばなりません」
ごくり、と息を飲む音がする。
「……出自の件は置いて置きましょう。それを抜いても、彼女には特異性が多すぎる。度を越えた好奇心、大人の私たちを凌駕する頭脳、どんな訓練も汗も流さずこなす運動神経、大量に保有している魔力。そして、――絶世の美貌」
指通りの心地よい金色の髪、真理を見抜く琥珀の瞳は宝石といっても疑わない。白絹のような肌、頬は誘惑するように仄かに赤い。どう表現しようが、褒めようしかない容姿をしているのだ。
こんな”掃きだめ”に似つかわしくない、極上の宝玉。
「まだ七歳だけれど、絶世の美女になることは約束されているわ。彼女を求めて、国すら動くかもしれない。だからこそ、私たちの責任も重いのよ」
「一度、お得意様だけに模擬でお披露目をしたのですが、購買を希望する方々の食いつきは異常でした。すでに、億を超える入札が期待されます」
「億……」
この時点で、億。育て方を間違えなければ、さらに値は跳ねあがるだろう。
全員が押し黙り、しかし、思惑は一致していた。
「十全に、育て上げましょう。他の子など霞むくらいの上物よ」
「ええ。他の子ですら、彼女を磨く研磨石に過ぎない」
億、それ以上。人によっては生涯賃金にも等しい額。
分け合ったとしても、十二分。
金色に輝くマリア。それは、彼女たちにとって、文字通り”金”色に見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます