第4話










「やっぱり、夜はいいね!」


 孤児院の庭。箱庭と呼ぶにふさわしい塀の内側。

 宵闇。音すら死んだ、黒の世界。額縁に入れられた星々の輝きだけが見つめる中、その声はよく響いた。


 元気いっぱいのイヴァン。

 昼間はあんなに動きが悪いのに。


「やっほい。綺麗な星空だあ」

「イヴァン、あのね、私、眠いの」

「私は眠くない」

「そりゃあ、昼間にあれだけ寝ればね……」


 私は目をこすりながら、目の前で木刀を構える少女を見つめる。

 銀髪は月の光を浴びて、輝きを増していた。熟れた林檎のような赤い口元には笑み。そして、牙にも似た長い犬歯がよく映えた。

 少女の姿は燦然と輝き、私の視界を埋め尽くす。


「仕方ないでしょ。私、”吸血鬼”なんだから」


 イヴァンは楽しそうに。

 長い舌でもって、艶やかな赤い唇を舐めた。


 覚醒遺伝。

 家族の中に、過去、魔物と交配した先祖がいれば、極稀に子孫に遺伝が発現してしまうことがある。例えば獣の耳が生えていたり、爬虫類の尻尾が顔を出したり、イヴァンのように地毛と瞳が従来と異なっていたり。


 そしてそれは、この人間社会において、決して良いことではなかった。

 例えば、自分の子供が吸血鬼だと公になれば、家系に魔物がいた動かぬ証拠になってしまう。魔物の血というものは汚らわしく、人間社会の中では排斥の対象だ。社会的地位が脅かされるくらいに、その子の存在自体を消そうとする程度に。


 と、聞いた。


 ”外”は、”純粋な人間”でないと生きにくい場所らしい。

 イヴァンだけではない。この孤児院に来る子の一定数は、そんな覚醒遺伝持ちだ。訳アリの子のほとんどは、そういった理由で家族を追い出された。人間から仲間外れにされた。


 私も明確に種族はわからないが、恐らくそれに分類される。

 大人たちの目が、生暖かいというか、他の子と明らかに違っているから。


 そう思うと、下腹のあたりがきゅうっとなる。もやもやした気持ちになって、大声で叫びだしたくなる。自分の姿を見て、普通との差異を見つけたくて、見つけたくない。


 私を、捨てたくなる。

 人ではない、私を。


「私は吸血鬼。まだ血を吸いたいとか思ってないけど、多分そのうち本能が現れる。まあ、でも、生きているだけで儲けものだよ。この私にどんな価値があるのかわからないけれど、未来はきっと輝いているんだよ!」


 私はイヴァンのことが好きだった。同じ境遇のはずなのに前向きで、その胸中には信念が根付いていて、真っ白の歯を見せる笑みは見る者を魅了する。


 下腹部のあたりが、さっきとはまた違う感情に、きゅんと音を立てる。彼女に抱き着きたくなって、頬ずりしたくて、でも、人間ではない私はきっと嫌われると思って、罪悪感が、また自分を攻め立てる。


 怖い、怖い。

 未知が怖い。

 よくわからないものが怖い。

 そんな暗澹たる気持ちを否定したくて、大きくかぶりを振った。


「イヴァンは他の子たちみたいに、元の家族を恨まないの?」


 多くの子が、悲しみながらここにやってくる。覚醒遺伝やその他の事情が発覚し、親から絶縁を叩きつけられて、絶望の淵に叩き込まれる。

 泣き叫ぶ、少女たちの顔。彼女たちからすれば、ここは棺桶のように思えているのかもしれない。


 しかし、棺桶の中でも、イヴァンはけろっとしていた。


「そんなこと言っても、私、親の顔知らないし」


 イヴァンは一歳のころ、赤ん坊だった私と同じタイミングでこの孤児院に入れられた。物心つく前のイヴァンは、親の顔はもとより、自分の生まれた家すら知らない。


 そのことに、とっても、安心した。

 何も知らない私と同じだ。

 私は顔を綻ばせて、手に握った木刀を握りなおす。


「私も、同じだよ。彼女たちが悲しむ理由がわからない。恨む理由も、怒る理由も。だって、私にとっては、ここが本当だから。ここだけが居場所だから。だから、少し彼女たちがうらやましいわ。自分の中に色んなものがあるんだもの」

「そう? でも、色んなものがあるからこそ、皆、辛そうじゃない。私はそういうのはいらないな。毎日が楽しければそれでいいでしょ」

「私は、全部ほしいな。辛さも、楽しみも、苦しさも、幸せも。だって私には」


 何もないから。

 これが人間なのかもわからない。

 人間らしい感情を持てている自信もない。

 他の子と感情を共有もできず、訳アリの中ですら溶け込めない異分子。


 ぞっとする。

 気の置けない唯一の相手でも、それだけは伝えられなかった。

 まさか目の前にいるのが、羊の皮を必死にかぶろうとしている化け物だなんて、思ってほしくなかった。私を同じ存在として見てほしかった。


「マリアは全部持ってると思うけどね。可愛いし、勉強も運動もできる。魔術だって使えるし」

「でも、全部、私のほしいものじゃないわ」

「欲張りめ。そんな悪い子には、私が天誅を下す!」


 イヴァンは木刀を構えて、一気に私に駆け寄ってきた。居合の要領で、下から腹部に向けて剣を薙ぐ。


 教師役の修道士よりも早い一撃。

 覚醒遺伝持ちの彼女は、普通の人間よりも筋肉が多く、運動神経が良いのだと聞いたことがある。イヴァンが大人を凌駕していることが、私は嬉しかった。


 私はそれを、身体を曲げることで躱した。膝から上だけを直角に折り曲げると、剣の軌道は私の身体の上を通っていく。


「んげ」とイヴァンは目を剥いた。その隙を見計らって、私は木刀を持った右手首を捻り返し、最小の動作で剣を振るう。狙いはイヴァンの持つ木刀、できるだけ、根元のあたり。

 狙い通りの軌道を描いた剣線は、カン、と小気味いい音と共に、イヴァンの手から木刀を離れさせた。木刀は宙を舞い、芝生の上を転がっていく。


「……」


 イヴァンはてんてんと転がっていく木刀を見やった後、私を見つめた。


「相変わらずの超人的動きだね。なんでそんな動きができるの?」


 イヴァンの赤い目が猜疑に歪められる。


「私、吸血鬼なんだけど。昼間は別として、夜の間は最強の種族だって言われたのに。ここの孤児院でも、あんた以外には勝てるんだよ」

「別に普通だよ。見えた攻撃を避けるために体を動かして、最小限の動きで攻撃してるだけだよ」

「それが普通はできんのじゃい。人の動きじゃないよ」


 体が硬直した。

 私は、人ではない?


「……私は、人だわ」

「知ってるよ。でも、すごいなあって話。マリアって何者?」

「わからないわ。むしろ私に教えて」


 にっこりと私は微笑む。


 笑い。

 それは楽しいときに勝手に起こるのだという。

 動物と人間の違いは、笑顔にあるのだという。


 私はそれがわからない。笑みという行為に伴うはずの喜色の感情は存在していない。笑うときは、皆が笑っているとき。人ではないと暴かれないように、同調して笑っている。


 いつだって地に足がついていないようで、ふらふらと平均台の上を歩くようで。

  いつだって、おまえは人間じゃないなと、咎められることを恐れて震えていて。


 とっても、不安。

 自分が何者か、何の形をしているか、わからない。

 わからないの。



 ◇



 その夜、イヴァンに付き合わされた後、私は独り、リビングの姿見の前に立った。


 遠くの酒場から酔っぱらった大人たちの楽しそうな声が聞こえてくる以外は、無音。けれど、雑音にも似たそんな声が心地よかった。


 まだ起きている人がいる。夜から逃げている人がいる。私と同じ人がいる。そう思うと、安心して息ができた。

 安心し、前を向く。目の前の私としっかり向き合えている気がする。


「ねえ、」


 鏡の中の自分は、人間の少女の形をしていた。

 金色の髪に、金色の目。肌は白く、唇は紅く、頬は仄かに朱い。四肢とその先に五本の指がついていている人間の姿が映りこむ。

 他人からすれば、これは美しいらしい。何度見返しても、横顔も後ろ姿も、絵本や周りの子の姿と違うところはないように見える。


 安心して、息をつく。今日も、私は人間だった。

 誰も何も知らない、化け物ではなかった。


 吸血鬼でも、狼人間でも、分類されるだけ良い。はっきりと突きつけられれば納得して、自分を形作ることができる。人間に対して、”諦め”がつく。中途半端よりは、よっぽどそっちの方がいい。


 私は、ナニ?

 私は、勉強ができて、運動ができて、綺麗な姿をしていて、面倒くさい性格の、そういう人間。


 ”らしい”。

 皆はそう言う。


「貴方は、そういう、人間なの?」


 困惑した瞳から、答えが返ってくるわけもない。


「なんで知らないの? わからないの?」


 私は人間だと言われる。

 けれど同時に、特別だなんて言われる。


 どっち?


「教えて、教えて、教えて。私の形を、教えて」


 鏡を抱え込む。

 必死な顔の少女が私を見ている。


 私はどうすれば喜ぶの怒るの悲しむの楽しむの? 

 どうすればイヴァンみたいに綺麗に笑えるの? 

 どうすれば他の子みたいに素直に悲しめるの? 

 なんで行動を考える前に感じることができるの?

 どうすればこんな不安だけの気持ちは収まってくれるの?


 私の頬に手を伸ばす。コン、と指先は無機質な音を発する。私の指は鏡面を超えることはない。

 視線の先の彼女は、むっつりと黙り込んだままだった。


 鏡すらも、本当の私を映してはくれない。

 私は、どこにあるのだろう。


「ひっ」


 鏡の中、私の背後に一人の女性が映りこんだ。この孤児院で泊まり込みで働く女性だ。

 彼女は私と視線を合わせて、怯えた表情を形作っていた。


 その怯えは漏れ出てしまったもの。自分で造ろうとした偽物の感情ではなく、脊髄からあふれ出る本当の感情。


 何が怖いのだろうか。どうして、怖いのだろうか。

 どうして、怖がることができるのだろうか。

 ……羨ましい。


 近づいていく。


「ねえ、どうしてそんな顔をしているんですか? どうしてそんな顔ができるんですか?」

「ま、マリアちゃん? こんな夜にどうしたの? 眠れないの?」

「私は眠れます。食べれます、動けます。ねえ、私って、人間ですよね?」

「……そうよ。マリアちゃんは人間よ。それも、とってもいい子。だから、早くベッドに戻りましょうね」

「じゃあなんで、皆、私が特別だというの? おかしいというの? こんなに、”人間ができているのに”」


 まるで私が人間じゃないみたいに、遠巻きにするのはなんで。

 化け物でも見る様な視線と共に、私を避けていくのはどうして。


「教えて、教えて、教えて――」

「ま、まりあちゃん……」


 なんでもいい。

 なんでもいいから、私に頂戴。

 ワタシがナニなのか、オシエテ?

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