第6回のお題「アンラッキー7」

 お題を見たとき、二度見直した。

 はじめは「アンラッキー」かとおもったけれど、よくみたら「アンラッキー7」とあり、危うく間違うところだった。

 カクヨム七周年と掛けて、「7」がつけられたのだろうと想像するも、七周年を祝うイベントでなぜ「アンラッキー7」なのかと、選考側はどんな考えをしたのだろうと首をひねる。


 考えられるのは、やはり三つ。

 アンラッキーな主人公の7にまつわる話。

 意外な話からはじまって、アンラッキー7のオチになる話。

 アンラッキー7の体験談。

 今回、体験談はむずかしい。

 アンラッキー7なことが起きないだろう。

 稀有な体験をした人がいるのならば、書いた方がいい。


 そもそもアンラッキーセブンとは?

 7だと悪いことがある、とする考えかしらん。

 運不運の色や数字は、国や考え方によって違う。

 世界を作り上げた七日目を神聖な日とするキリスト教ではラッキー『7』だし、キリストが十字架に貼り付けにされたのが十三日の金曜日だからアンラッキーが『13』とする一方、日本や中国では、縁起が良いのは末広がりの『8』だし、死を連想する『4』が不吉な数字とされる。

 また、ベトナムでは「陰陽五行説と東西南北を足せば森羅万象すべてを網羅できるから」の考えからラッキーな数字は『9』である。

 三人が一つの火でタバコに火をつけると一人が不幸に遭う迷信や漢越語で七を表すと『that』となって「失」もthatと表記がかぶるため、アンラッキーは『3』と『7』といわれてる。

 なので、アンラッキー7の話を書くのなら、ベトナム関連に話を持っていくのも一つの方法だろう。


 生きていると、運不運はある。

 けれども、数字でコロコロ変わるものなのかは疑問だ。

 多くの人が意味のない言葉に意味をもたせ、思いの中に概念を盛り込む『概念過敏症』を患り、重症さに苦しんでいるだけではないのか。

 典型なのが「幸せ」だ。

 幸せに憧れ、なりたいと思い続け、手にできない自分は不幸だと思い悩む。

 金持ちと貧乏、若さと老い、美人と醜悪、成功と失敗、男と女、一人前の大人と子供、一流と二流。

 価値を決めたがる多くの人を悩ます「概念」は、外見を着飾るだけで中身がない。

 定義付けできない言葉であり、漫然と輝き続けるのは、価値を決めるものは遥か遠く自分の外側にある絶対価値基準が存在すると信じて疑わない愚者がみる夢の中だけ。

 幻なのだ。

 夜空にかがやく星のごとく美しい反面、決して掴めない。


 当初、このような話を考えた。

 幸せとは偶然という意味だ。

 棚からぼた餅は落ちてこない。

 そんなものにすがって生きるより、満足を求めたほうがいい。

 そういう話でまとめようとするも、キャラ作りに手間取るばかりで、うまくまとまらなかった。

 とにかく時間がない。

 調べると、「アンラッキーセブンの法則」が見つかる。

 安直だと思いつつも、世の中について調べていたことを盛り込んで書くことを選択した。

 正直、思ったほど盛り込めなかった。

 蘊蓄に走りたがる気持ちを抑えた結果かもしれない。

 短い期間だけでなく長い目を見ても、人類史は栄枯盛衰をくり返している。未来を予測するためにも歴史を学んだほうがいい。

 結局、人間は金と欲望によって狂乱をくり返す。

 未来に残るのは、負債と私怨と足跡だけ。

 そんなことより学生は、目先のテスト勉強が大事なのである。

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