第8話 選択

 ラルフは宮殿の外門を出て白亜の宮殿を振り返る。今もまだ、ザワザワと落ち着かないこの感情をなんと形容すれば良いのか答えが出せない。しかし一つ言えるのは、今日のこの出会いが間違いなく自分にとって大きな出会いであり、人生を変えた出会いだと不思議な確信を得ていた。


__ただの皇女の気まぐれか、あるいは歴史に名を残す傑物となるお方か__


 今はまだ温室の中で何も知らぬ無垢な白薔薇だが、いつかあの白亜の宮殿を飾る鮮やかな真紅の薔薇のようにこの国を栄えさせる存在になるかもしれない。その時、馬車の音がしてラルフはその馬車の家紋を見つけ、顔を顰める。


「ヤァ、ラルフ元気かい?こんなところで突っ立てると不敬罪で捕まるぞ」


 馬車の窓から顔を出したのは黒髪に糸目の青年だった。ヘラヘラと笑うこの青年は、ラルフの学生時代の同級生ヤン・フォン・ディートハルトであり、貴族の中でラルフの平民の出自というのを気にしない稀有な人間だった。ラルフは、いくつかの研究分野で学内でトップの成績を残しているこの青年を尊敬していた時期もあった。


「ヤン、お前が俺についての噂を知らないとは思えないんだが」


「ああ、もちろん知っているさ。まさか皇女殿下の家庭教師を押し付けられるとは。で、どうだった」


「まだ、判断を下すには早すぎる。今日が初日だ。それよりお前は王宮に何のようだ」


「真面目な男だなぁキミは。私は皇帝陛下に呼ばれていてね。どうも私の力が必要らしい」


 その言葉に少し考える。彼の力というといくつか思い当たるものがあるがそのメインは医療と薬学だろう。学生時代に彼の思いついた新しい治療法が今まで誰も治せなかった病気に効果的だったことが判明し大臣から勲章が授与されたことがあった。


「そうか」


 俺が短く答えるとヤンはその細い瞳をさらに細めて胡散臭い笑みを深くする。こいつはいつもよくわからない。去っていくヤンの馬車を見送りながらあの時、皇女の言った言葉を思い返す。


『私は、この国について何も知らないのです。でもある方に教えていただきました。皇女である私が何も知らずにいる事は許されない事だと。あの時、私は初めて自分が知るべきことを知らずにいたのだと後悔したんです』


 はっきりとそう言い切った表情と真紅の瞳には紛れもない覚悟を感じた。しかし、あの皇女に対して何も知らないと指摘したものは一体誰なのか。あのように王宮の奥にある皇女の部屋とメイド達の態度、そして授業をしている最中全く人の気配がなかった。まるで世界から隔離されたようなあの場所で一体誰があの皇女に対してそのような事を伝えることができたのかそれが引っ掛かる。


__まぁ、少なくとも想像をいい意味で裏切ってくれた事は幸運だったか__


 そう思いながらラルフは王宮を後にして、学園に戻る。王立高等教育部門に戻れば遠巻きにヒソヒソと声を顰めた声がする。その声はどれも皇女の気まぐれに付き合わされ出世コースのライバルが減ったことへの憐憫の皮を被った嘲笑だった。


王や貴族ばかりが優遇されるこの国で最も身分の差が少なく能力主義を掲げるこの場所ですら平民で貴族の養子となった自分への風当たりはキツく、誰も彼もが利権を貪るために他者を蹴落とすことを第一として足を引っ張り自分の足蹴にする。


この王国では誰もがそうして成り上がり、ラルフ自身もそうして成り上がったという自覚がある。ヒソヒソと囁かれる言葉は皇女に会う前の自分なら心を乱されるものであったはずだ。


『先生、この国って私が聞いているような汚れのない美しい国なのでしょうか?』


別れ際に皇女は真紅の瞳でその問いを投げた。その言葉を一国の何の不自由も知らない彼女が口にした時、なぜだか叫び出したいほど心が乱された。飢えたことも、凍えたことも、ましてや王宮から出たことすらない名君の秘宝。そんな彼女が聞かされる国の実情はまるで美辞麗句をふんだんに盛り込んだまるでおとぎ話のような国だろう。

それはラルフのように北の領地に住まい、他者を蹴落として成り上がった者にとっては嘘だと糾弾したくなるような言葉だった。しかし、皇女にとっては間違いなく現実だった。


__まだわからない。しかし、彼女にその才覚と覚悟があるのなら、歴代初の女帝として名を刻むことができるかもしれない__


利権を求めて誰かを蹴落とすよりも大きな野望だ。そんなことになれば前代未聞の大仕事になるだろうがそれも悪くないと思っている自分がいることにラルフは少し口角が上がる。それを同僚たちは少し気味が悪そうに遠巻きに眺めるだけだった。

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無知な皇女の人生やり直し計画 小椋綾人 @Neko_kawaiiNe

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