第7話 岐路

 皇族が住まう白亜の城はラルフにとっては見たこともないような景色だった。壁、天井、窓枠に扉、その全てを美しい装飾が施され、歩く廊下は顔が写るほど磨かれている。数多くの従者が豪華な廊下を通るラルフに頭を下げて行くのを見ていると居心地が悪い気さえした。王宮の奥の奥、まるで宝物を隠すかのように入り組んだ王宮を進むと、ある地点から明らかに雰囲気が変わる。思わず目の前にいた案内役のメイドに声をかけた。


「ここは」


「ここからは皇女殿下のお住まいになります。ここが教室ですが、ここから奥には行きませんように」


「ここまで奥に閉じ込めておく必要があるのですか?」


「皇女殿下は尊きお方、住む場所も異なります」


「そうですね。失礼いたしました」


 メイドの鋭い瞳にラルフは頭を下げる。ここまでチヤホヤされて隔離されていれば皇女はわがまま娘か相当の世間知らずだろう。あるいはその両方の可能性もある。教育部門にはあそこの家の令嬢がとんでもないわがまま娘だとか、あっちの公爵家には横暴な振る舞いをする子息がいるだとか、そういう地雷物件の情報がたくさんあった。だからこそ、ラルフは皇女に対し微塵の期待もしていなかった。


「マリア様、先生が参りました」


 ラルフがノックと共にあけられた部屋に入ると椅子から立ち上がる皇女がいた。少女はゆるくウェーブのかかった美しい黒髪に白いドレスを着ていた。赤い瞳が真っ直ぐにラルフを射抜いたかと思うと静かに伏せられて優雅に頭を下げる。


「先生、よろしくお願いいたします」


「っ......失礼しました。ラルフ・フォン・シュバルツと申します。マリア様のあまりの美しさに見入ってしまいました」


「ありがとうございます。では、授業を始めてください。そこにある黒板等は好きに使ってください。必要なものがあれば他にも用意させます」


 ラルフの言葉をマリアはあっさりと流し、ラルフは少し驚いた。ラルフは自分の顔が良いことを自覚していたし、他の令嬢と比べてもマリアは落ち着いており、威厳があるように見えた。そして用意されている設備は全て貴族の子息の勉強部屋にあるものが一式、高品質で揃っていた。


「はい、では、これを」


 ラルフがカバンから取り出した書類を手渡し、質の良い黒板の前にいき、質の高いチョークを見て感動する。教育部門にあるものもここまで素晴らしい勉強道具が整うことはないだろう。そう思いながら黒板にリヒトオーフェンの成り立ちについて書こうとした。


「先生、あの」


「はい、なんでしょう? 大丈夫ですよ。ゆっくりやりますので。もし、何か質問があればその都度教えます」


 ラルフはマリアが自分が手渡した書類の内容が難しかったのかと考えてフォローした。すると、マリアは少し思案したような顔を見せてゆっくりと口を閉ざした。授業は何も問題なく進んでいき、マリアはラルフのいう内容を聞いてノートを取っている。時々ラルフが質問を投げ掛ければそれに対し適切な返答が返ってくるのを見ると今回の内容はマリアには少し簡単すぎたかもしれないとラルフは少し反省する。


「お疲れ様ですマリア様。最後にこれまでの中で何か質問はございますか?」


「ラルフ先生、帝都は様々な税収で潤い、商人たちも多く豊かと文献には書いていました。しかし、いくつかの文献では帝国の北は度々人々が飢饉に苦しんでいるとか。これは本当なのですか?」


「それは、」


 マリアのその指摘に思わずラルフはいつもはスラスラと出てくる言葉が紡げなかった。椅子に座る皇女の真紅の瞳がラルフを見つめる。その表情は真剣で、まるでラルフを試しているかのようだった。


_____この方は、なんだ? 本当に皇女なのか?__


 ラルフは北の辺境伯のシュバルツ家に養子として迎えられた。だからこそ北の状況はよく知っている。シュバルツ家は他の北の辺境伯と比べればマシと呼ばれるほど領地の管轄をしっかり行っていた。それでも元々貧しいことに変わりはない。北は帝都から遠く寒冷な気候と痩せた大地で十分な税収が望めず、陛下の目も届かない。故に、傲慢なだけで帝都で出世もできなかった貴族の次男や三男の天下り先として辺境伯の令嬢を無理やり娶り、領地で課税を行い横領を平気で行っている。

 人を人とも思わない所業を、ラルフは隣の領地から命からがら逃げてきた女の証言から聞いていた。名君も見捨てた地として北の領民は日々、明日の食事ができるようにと、今年の冬は越せるようにと神に祈りをささげる。


「マリア様」


「はい」


 ラルフは現状を伝えるか悩む、実の娘にその父親の治世が届いていないことを告げることは許されることなのか? もしこれをマリアが不敬罪と取るのであれば自分は全てを剥奪されすぐに牢に向かうことになる。一瞬、今まで教育部門でやってきたように誤魔化そうと思った。しかし、その時、北の地で家族が今日も日の出からずっと田畑を耕し、夜は寝る間も惜しんで内職をしている姿が浮かんだ。


「私は北の領地出身です。故に、北の事情には他の教師よりも知っています。ですが、こちらがお答えする前にマリア様がなぜ学びたいと思ったのかを教えていただけますか?」


 これは、ラルフにとっても賭けだった。ラルフは、自分でもこんな危険な賭けなどせずともいずれの機会をまち、地位を得てから北の情勢改革を訴えればいいとわかっていた。だが、今年の冬を乗り越えても来年が無事とは限らない。マリアはラルフの灰色がかった青い瞳を向けられて驚いた。マリアは正直この授業が簡単で落胆していた。だからこそ、もう少し難しい内容にしてくれという意味で先日、本で読んだ内容を投げかけてみただけだった。この時、ラルフもマリアもお互いに自分が試されているということを感じていた。


「私が学ぼうと思った理由は__」


 マリアは少し考えたのちに口を開いた。

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