05 概

 ベッドに横たえられた夢現(ゆめうつつ)の状態の野洲は、かつてプリンストン高等研究所留学時代に宮武と交わした会話を思いだしていた。

「つまりだなぁ、普遍的な言語の研究は、人間の思考様式に根づいた脅迫観念みたいなものなんだよ」

 緑が眩しい夏の窓から外を眺めながら、七年前の宮武はいった。

「デカルト、ニーチェ、ピタゴラス、ライプニッツ、あるいはスウィフト、マラルメ、ネルヴァル、ユンガーといった数学者や作家、神秘家たちが、自分たちの研究の帰結として、それを求めた。概念の正確な伝達という観点から見れば、彼らがそれを欲したのもわかる気がするがね。言語、すなわち言葉ほどあいまいな表現形式はないからだ。……数学や物理、化学の言葉なら、それより少しはマシだときみはいうかもしれないが、それにしたところで、所詮、人間の思考様式から逃れられるものじゃない。数学で使うのは極論すれば数だが、物質でもエネルギーでも、どこにも一〇センチの大きさだとか、二七ジュールの熱量だとか書いてあるわけじゃない。サイズを計る物差しはみんな人間が勝手に作りだしたものなんだよ」

 それから宮武の話は地球外知性を求めるいくつかの電波放射実験――オズマ計画(一九六〇年)、アレシボ天文台計画(一九七四年)、野辺山天文台計画(一九九三年)――に移った。

「……水素の波長や数学記号を使ったDNAや太陽、地球の構造、1&0構成の計算機言語の導入、もちろん、それが最初の手掛かりとなるんだろう。だがなぁ、たぶん、そんなもんじゃ駄目なんだよ。それ自身増殖する言語みたいな生きている情報を宇宙に向けなきゃ、返事が来たところで解析できない」

 すると、ややあってから……

「宮武さんの話を聞いてると、まるで宇宙から飛来した言葉という概念が、人間を動物から引き離したとでもいってるように聞こえますね」

 野洲が指摘した。宮武の長広舌から感じたイメージを、そのまま纏めた発言だった。

「そして、それがその後の科学文明を形作ったとでも……」

「生命自体が彗星から来たという説だってあるだろう。〈はじめに言葉ありき〉じゃ、なぜいけない?」

「それじゃいったい、その言葉は何に乗って、どこからやって来るんです?」

「わからんよ。……ぼくこそ、それを知りたいね」

「考えるのは自由ですが、証拠のないことについては口を禁むのが科学者でしょう。異端にだって証拠はあるし……」

「〈なぜ〉と問えない?」

「いや、そんなことはいっていませんよ。……でも、それは証拠があってはじめていえることなんです」

「野洲さん?」

 野洲の耳もとで声がした。若い女の声だった。

「あん……」

 野洲が首を動かした。意識が戻ってくる。

「よかったぁ。気がついたみたいですね」

 森平るう子がいった。目を開けると、彼女のまわりに、さらに多くの人間がいるのに野洲は気がついた。

「ここは?」

「病院です」

 その中のひとり、医者らしい白衣を身に纏った中年の男が答えた。その後ろに学生らしい男がひとりと、警官が二人立っていた。

「ここに運ばれた経緯は憶えていますか?」

 白衣の医者が尋ねた。野洲が首を振る。と、突然、野洲は急速に記憶がよみがえってくるのを感じた。

「あいつは、どうなりました!」

 野洲は叫んだ。

「あいつとは?」

 警官と医者が同時に聞く。

「言葉ですよ。まるでウィルスみたいなやつで……」

 混乱する口調で、さらに野洲は叫んだ。

「その昔、宮武先輩がいっていたような〈宇宙言語〉なんです!」

「ウチュウゲンゴですって?」

「なんですか、それは?」

 警官と医者が同時に聞き返した。

 と、そのとき――

 野洲の身体が内部から急激に膨らみはじめた。身長一六八センチ、体重六七キロの野洲の身体がその二倍にも三倍にも膨張し、奇妙な振動数でブルブルと震え、突然、

 バァン!

音を立てて内側から爆発した。

「うわっ!」

 内臓が、まるで吐瀉物のように生臭い血の臭いを発散させたまま、その場にいた全員に降りかかった。

 だが、それ以上に彼ら全員が驚いたことは……

「ね、外を見て!」

 るう子が叫んだ。

 そして、彼女が示した病室の窓に全員が目をやると、そこにはビルほどもある巨大な怪物が蠢いていた。

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