04 噪

 一夜開けて翌日の朝、警察署経由で東京郊外にあるT大学の研究室に戻った二人は、昨日の夜、学会開催大学の研究室に送った宮武宛の電子メールの返事を受け取った。

『野洲が最後に叫んだという意味不明の言葉が気にかかるな』

 事件から受けた衝撃に対する簡単なコメントの後、宮武はそう書いてきた。

『昨日くれたメールの印象からすると、きみたちはそれが、いくつかの言語の複合体のように感じられたそうだが、それについてはコメントできない。判断材料が少なすぎるからだ。……もっとも野洲が伝えた宇宙ノイズが事件に関係していたとするなら、興味深いな。うーん、普遍文法を持って宇宙から飛来した謎の言語。それが人間の脳に取り憑いて、悪さをする。脳というハードの上で走るOS、すなわち言語を混乱させることによって、憑いた者の思考過程を破壊する。言語と思考か? 人間の思考は言語なしには成り立たないからな…… ま、不謹慎な夢物語だ。そんなことばっかり考えてるから、ぼくのやってるごく基礎的な情報解析の研究まで胡散臭い目で見られるんだよなぁ』

 最後は自嘲に替わって、その電子メールは締めくくられた。

『とにかく、しばらくの間様子を見てみることにしよう。いま、ぼくが書いたことはありえそうにないが、事件が起こったからには何らかの原因があるのだろう。ぼくが帰るまで、よろしく頼むよ。……あ、それから野洲の見舞いもお願いしよう。では、以上だ。

  宮武昌也から前原および森平くんへ』


「ね、前原くん。ボスのいったこと、どう思う?」

 電子メールを読み終えるとすぐ、るう子は慎二に問いかけた。

「宇宙を徘徊する普遍文法言語のことかい?」

 慎二が答えた。

「もちろん証拠があるわけじゃないけど、ボスもいってるように、そいつは夢物語だな」

「でも、あのときの野洲さんの状態は、どう考えても普通じゃなかったわよ」

「だからって、それが宇宙言語のせいとはいえないだろう。可能性がないとはいえないけど、それはとても低い可能性だよ。……それより、仕事に追われた野洲さんのストレスとか、そういったことが……」

「じゃあ、他の人たちのことはどうなるのよ!」

 と、わずかに口をとがらせて、るう子が叫んだ。

「四人が、野洲さんと同じ精神錯乱状態で傷つけあい、全員死んでいるのに。……異常だわ」

「異常なのは、わかっているさ、でも」

 そこで慎二はふっと眉をくゆらし、

「止めないか、こんな議論は。証拠がなくっちゃ話にならない。……それより北羅瀬天文台の信号解析室に仕掛けてきたぼくらの装置から何か送られてきたかい?」

「まだよ」

 わずかにムッとして、るう子が答えた。

「……もっとも、あれがうまく働いていてのことですけどね」

 すると――

「相変わらず、ご一緒なのね、先輩方!」

 工藤里砂の声が聞こえた。彼女は、慎二たちと同じ研究室の四回生だった。

「一昨日の話じゃ天文台にいってるはずだったのに、どうしちゃったんですか?」

 そこで二人は里砂にかいつまんで事情を話した。

「へぇー、そうだったんですか? 大変だったんですね」

 妙に透き通った里砂の声。

「そういえば、閃光と地震って……」

 と、慎二とるう子の話を聞いて、しばらく首を傾げた後、

「わたしの彼氏――大学の近くに下宿しているんですけどぉ――彼が昨日の夜、地震があったみたいだって、今朝早く電話したとき話してました」

 工藤里砂がいった。慎二が、

「で、閃光の方は?」

 と聞くと、

「それは、聞いてないですね」

 里砂が答えた。

 沈黙。

「ところで、工藤くんは日曜日なのにどうして大学に来たの?」

 わからないことをクダクダ考えてもしかたないと思い、気を取り直して、慎二が里砂に尋ねた。

 すると――

「実験中のプログラムがあるんです。昨日から走らせておいたんですけど、そろそろ結果が出てるかなと思って」

 里砂が妙に可愛い口調で真二に答えた。緊張感を失わせるような口調だった。

「きみって、家、近かったっけ?」

「……っていうほどでもありませんけど」

「ま、熱心なのは、いいことだよ」

 どこかおじさんぽく慎二が応じた。るう子と顔を見合わせ、

「ぼくたちは、これから野洲さんのお見舞いに行くけど、きみはまだここにいるの?」

「ええ。……何かすることあれば、お引き受けしますが?」

「じゃあ、どうしようか?」

 と、るう子に向かい、

「装置が信号を受信したかどうかだけを確認してもらったら?」

「そうだな」

 いって、慎二は里砂に向き直り、

「きみがいるあいだに信号が送られてくるかどうかわからないけど……」

 と、前置きしてから、信号受信後の装置のメモリ確認方法を里砂に教えた。その手順の説明を聞いて、しばらく口の中でぶつぶつといわれたことを繰り返してから、

「わかりました」

 と、里砂が答えた。

 ついで、ぱっと顔を上げると、二人に眩しい笑顔を向けた。

「それでは行ってらっしゃいませ、先輩方!」


 狭い研究室に何台も置かれた計算機端末のひとつに陣取ると、工藤里砂は、慣れた手つきでキーボードを操り、自分の仕掛けた情報解析計算の進展具合を確認した。結果は、まだ計算途中と出た。そこで彼女は別の計算機端末を覗いてみることにした。

 宮武研究室における情報解析の興味は、主に科学計測に紛れ込むノイズに注がれていた。それらの中には計測機器から紛れ込むノイズもあったし、里砂にはよくわからなかったが、測定そのものの不確定さから生じるノイズもあった。そういったそれぞれのノイズを何由来のものであるのかきちんと帰属し、明らかになったノイズ・データを沿えて測定を行った人間にその計測結果を返すのが、宮武研究室の主要な研究テーマといえた。

 宮武ははじめ、微弱な電波を検出するという電波天文学の要請から、ノイズの研究に手を染めた。正しい情報が本当に正しいかどうかの検定。そのためには、そこに紛れ込む様々な原因由来のノイズの正体を知らねばならない。そうして研究を進めるうち、宮武は、通常単にノイズのひと言で片づけられる現象の中にも多種多様のものがあることに気がついた。そしてまた、これまでノイズと判断されてきた現象の中に、実はノイズではない新しい物理情報が隠されていたことも……

 良い例かどうかはわからないが、たとえば宇宙線の中の陽電子は写真感板に映る。けれども一九三二年にアンダーソンがそれを確認するまで、誰もそれを正しい物理情報だとは判断できなかったのだ。

 さらに宮武の興味は、そういった科学計測におけるノイズを超えて、人間の思考を形作る要素、すなわち言語におけるノイズにも注がれていた。たとえば宗教とか迷信、あるいは社会的偏見の一部が、脳内に紛れ込んだある種のノイズに由来するのではないかと、かなり若いころから考えていたのだ。そんな考えがあったからこそ、北羅瀬天文台の野洲の一件について、自嘲しながらも宇宙言語の存在を示唆し得たのである。もちろん何の証拠もない。それは宮武自身がいちばんよく知っていた。

 ガサッ

 背後で音がした。

(何だろう? 誰もいないはずなのに……)

 工藤里砂は思った。覗いていた計算機端末――宮武のプライベートの研究で、通常言語から〈わたし〉と〈あなた〉の概念をノイズとして除くと計算機言語になるかどうかのシミュレーションだった――から顔を上げると、音のした方を振り返った。

 すると――

 そこには巨大な怪物が蠢いていた!

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