02 蠢

 ところが不思議なことに、閃光と轟音があったのは明らかに天文台近くだったにもかかわらず、北羅瀬天文台はまったくの常態稼働を続けていた……ように見えた。

 美しく白と銀に輝く山の峰に沿って並べられた十七機の巨大な電波望遠鏡は、はじめてそれを目にしたものを惹きつけてやまないだろう。天文台自体も、一時期流行った単なるマッチ箱様の建造物ではなく、雪山の豪雪にも耐えられるように建築学の粋を凝らした、強化ガラスによる一種の意匠だった。その内側に光学望遠鏡を収めた半球状の白いコンクリートの立体カーヴが、ほとんど暮れてしまった雪山と天空のカンバスに、威厳を示すように突き建っていた。

 三台のランドクルーザーが停車したパーキング・ロットに車をまわすと、慎二とるう子は北羅瀬天文台の正面玄関に向かった。

「さすがに寒いな」

 口から白い息を吐きながら慎二が呟く。小雪がチラつきはじめていた。傍らで、やはり寒そうに小さくなっているるう子の肩に手をまわしたが、彼女はそれを拒まなかった。

「いるかなぁ、野洲さん」

 るう子はいった。約一時間前の閃光と轟音の後、いかがわしくないドライブ・インで、二人は天文台に連絡を入れた。理由は不明だが携帯が繋がらなかったためだ。が、ルルルーン、ルルルーンという呼び出し音が続くばかりで、いくら待っても受話器がとられる様子がない。

(やっぱり異常? でも、何による?)

 そこで、二人はとりあえずそのまま車を進め、北羅瀬天文台に向かうことにした。現地に着けば、何かわかるかもしれないと期待して……

 天文台の正面玄関は、内側から灯った照明で明るかった。その仄かな明かりが、暮れはじめると速い山の日没を否が応にも二人に感じさせた。

「ドアは、締まってはいないようね」

 大きなガラス扉の正面玄関から中を覗き、ドアノブに手をかけると、るう子はいった。

「やけにガランとしているわね」

 そこから覗いたかぎりでは、中に人影は見受けられない。

「とにかくチャイムを押してみよう」

 いって、慎二がチャイムに手をかけると、

 キンコン

 という音より先に、中からギャーッという叫び声が聞こえてきた。男の叫び声だ。

 その声に引き込まれるように、バタンとガラスの扉を開き、二人は天文台の中に入った。一目散に声のした方向に走り寄る。何かがおかしい。どこか雰囲気が狂っている。口には出さなかったが、それがそのとき二人が同時に感じた印象だった。正面フロアを抜けて足を止め、もう一度耳を澄ますと、再び、

 ギャーッッッッッ!

 先程と同じ男の叫び声が、今度はもっと近くから聞こえてきた。どうやら、二階のフロアらしい。

「何が起こったの?」

 不安げにるう子がいうと、

「大丈夫だ。……いざというときには、ぼくがついてる!」

 とっさに慎二がそう答えた。るう子が無言で慎二の左腕を掴む。肩越しに彼女の顔を見やると、かすかに怯えの表情が浮かんでいた。

「なんだったら、ぼくひとりで見てきてもいいんだぜ!」

 一瞬の間も置かず、

(いいえ、わたしも一緒に行く!)

 るう子から無言の返事が返ってきた。

 そして――

 二階に上がった二人が見たのは、まだ写真でしか知らない野洲途広の姿だった。手に、実験台から抜き取ったらしい五十センチほどの鉄パイプを持ち、異常に顔を歪め、何か見えないものと戦っているかのように身体を蠢かしていた。着ていた背広はボロボロだ。

「野洲さん、いったい何が?」

 るう子は叫んだ。が、野洲は彼女の呼びかけに気づかなかったようだ。狂ったように目を血走らせている。さらにその目の焦点も合っていない。

 清潔で機能的な天文台二階の長い廊下に、野洲のハァハァと喘ぐ呼吸の音だけが広がった。常態を逸した野洲と若い二人の対峙。と、いきなり、野洲の視線が二人を捕らえた。グイと顎を上げると目を見開き、叫んだ。

「おまえたちも、やつらの仲間なんだな!」

 しわがれた老人のような声だった。

「いったい何が起こったんです?」

 慎二も叫び返した。野洲の言葉とその目に一瞬正気を見たような気がしたからだ。だが、そのすぐ後で、

「殺してやる! 一字残らず消去してやる!」

 再び、狂気の光を目に宿すと、野洲は二人には理解不能な言葉をいい放った。そして手にした鉄パイプを大きく振りかぶると、奇声を発して二人に襲いかかった。

「危ない!」

 叫んで、慎二はるう子を脇に突き飛ばした。その一瞬の隙に、野洲が慎二めがけて鉄パイプを振り降ろした。ガキッ。慎二がすばやく身を交わす。鉄棒が床タイルに減り込み音を立て、その一部が弾け飛んだ。すかさず慎二が野洲の手の鉄パイプを掴み、二、三度揉み合った後、グイと撚るようにしてそれを奪った。が、カンカラン、勢い余って、鉄パイプを廊下の先に飛ばしてしまった。慎二が一瞬、床に落ちた鉄パイプを目で追い、しまったと思った。すると、その隙をついて野洲が慎二の身体にタックルした。床に押し倒し、人間技とは思えない凄まじい力で慎二の首を絞めはじめた。グッ。慎二が呻く。床に倒れたままの姿勢でその様子を目にしたるう子は、自分に何ができるか一瞬惑った。が、次の瞬間、ええい、ままよ! と置き上がると走り、野洲の顔めがけて足蹴りを入れた。彼女は高校時代、陸上・短距離の選手だった。大学、大学院では競技・練習とも留守にしていたので威力のほどは不明だったが、まだかなりの破壊力を宿していた……らしい。

 グゲッ

 そのるう子の足蹴りを直接顔面にくらい、もともと運動とはあまり縁のなかった野洲の身体が顔面から仰け反り、廊下の少し先に弾け飛んだ。その隙を逃さず慎二も置き上がり、体勢を立て直した。ミミズ張れのできた首の周囲を右手の親指と人差指で弧を作って摩る。その間に、野洲が立ち上がった。頭を床に強打したらしくフラつく足取りだったが、狂気の目は変わらず、眼力鋭く二人を睨みつけた。

(怖い!)

 と、その姿を直視してるう子は思った。

(暴力には縁のないはずの研究者がこんなパニックに陥るなんて……)

 その思いは慎二にしても同じだった。

「信じられない」

 彼は呟いた。

 と、そのときる

「いっわれわえたちの思ジを考体、は意志はえ天受信したい。われわれがわれちた宇宙ノームのファイをの頭まえ脳を介らのもー」

 野洲が叫んだ。

 そして――

 まるで電気回路が過剰負荷に耐え切れずに焼き切れたかのように脳髄と身体全体と震わせると、野洲はその場に倒れ、動かなくなった。

 慎二とるう子が顔を見合わせる。

 恐る恐る倒れた野洲に駆け寄ると、手首から脈を取った。

 結果は……

「死んでる!」

 慎二が小声で呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る