01 閃
雪道を走るのは一台のスポーティー・セダン。赤くて滑らかなその肢体は艶めかしい女体を思い起こさせる。
けれども、それに乗っていたのは――
「ちょっと待ってよ。話が違うじゃないの!」
森平るう子がいった。彼女特有のきつい表情で運転席の男を睨みつける。
「いまさら天文台行きの日程を間違えただなんて、嘘もはなはだしいわ。しかも……」
と、いま走っている山道の傍らに建っている、昼なお派手な城型のホテルに視線を走らせ、
「前原クン、あんた、はじめからそのつもりだったんでしょう」
「そんなこといったって、間違えちまったもんはしょうがないだろ」
運転席の男、前原慎二が答えた。彼もるう子と同じ大学院一年生だ。
「フン、あんまりツンと構えんなよ。……こないだ、おれが好きだっていったら、しっかり「ウン」て首肯いたくせにさ。あんときのキミは可愛かったのになぁ」
「それとこれとは話が違うでしょう。……別にそれが嫌だっていってるんじゃないのよ。でもさ、それならそうと、そうしたいって誘えばいいじゃない。こんな、まるで騙したみたいにさ。……帰るわよ。車、止めてよ。明日、出直しましょう」
「ここまで来てから、そんなこというわけ。あきれちゃうな。子供じゃないんだぜ。東京の大学からだって、もう四時間も走ってる。じきに日も暮れるし…… な、ゴネてないで、明日の朝着くように今日はその辺に泊まろうよ」
「やなこった。あたしはゴメンこうむるね。……早く、車を戻してよ。それが嫌なら、歩いて帰るわ」
「こんな山奥からか? 天気予報じゃ、夜には確実に雪が降るっていってるのに……」
「それがどうしたっていうのよ。とにかく、あたしは帰るわよ!」
ムッとした表情で無言の二人。
(まったく、るう子ときたら、男を知らないわけでもあるまいに)
(やり方ってものがあるじゃない! 卑怯な手を使わなくたって、ちゃんと順序を踏んでくれれば、すること自体に抵抗はないのに)
彼ら二人が向かっていたのは、長野県深見平の国立北羅瀬天文台だった。二人のT大学での専門は情報工学だったが、その中の一分野には宇宙線の解析研究も含まれていた。彼らの担当教授――通称、ボスの――宮武昌也は、大学のときに修めた天文学から転向していまは情報工学部の助教授だったが、留学時代の後輩をその天文台に持っていた。宮武の後輩、野洲途広がインターネットの一般回線で、宮原の教室に私信を入れた。三日前のことである。『奇妙な宇宙ノイズを受信した』。野洲の私信を要約すれば、そうなる。そこでアメリカでの学会準備に忙しい宮武は、現場での解析実験に二人の学生を派遣することに決めた。すなわち森平るう子と前原慎二の二人である。野洲の私信の後、ヴィデオ・テープで送られてきた宇宙ノイズの解析結果がはっきりしなかったからだ。
「……という次第だよ。行ってくれるかね」
と宮武は、るう子と慎二、二人にいった。
「ぼくの杞憂ならいいんだがね、ノイズの正体が天文台の受信システムそのものにあると困るからね。……旧い考えかもしれないが、ぼくは現場主義者でね。ヴィデオにしちまえば現場で見ても、電話回線を介したものでも同じといわれそうだが、もしシステムの方に問題があるとしたら、これは現場での些細な手がかりが重要になると思えるんだ。……それに、ぼくときみたちで開発した信号解析アルゴリズムがうまく作動するかどうかを見る絶好の機会でもある。……学会がなかったら、ぼく自身が出向くんだが、今度の発表はぼくにとっての晴舞台でもあるし、共同研究者が学会のお偉いさんだしね」云々。
話しはじめると長い宮武の長広舌の切れ間のタイミングを見計って、
「はい、ボス。行かせていただきます!」
「はい、ボス。行かせていただきます!」
二人の大学院生がすばやく答えた。そして、その日のうちに天文台の野洲と連絡を取り、
「ちょっとした疑問だったんだけど、なんか大げさなことになちゃったなぁ」
ニコニコと言葉を濁す野洲の引き攣った笑顔がネット上にも(;^^)現れて、
「ま、見学方々いらっしゃいな。歓迎しますよ」
るう子と慎二の予定の空きからスケジュールを調整して、二日後に北羅瀬天文台に向かうことが決まった。そのときスケジュールの調整をして、医学部の友人からわざわざ雪道に強い車を借り、日程を決めたのは前原慎二だったのだが……
「え、今日じゃないよ。明日だったんだがなぁ……」
確認のため、一時間前、高速のインターチェンジ通過時に慎二が電話を入れたとき、野洲のそんな返事が帰ってきた。
「今日はセミナーがあってね。来てもらったとしても、ちょっと相手はできないなぁ」
慎二も、すぐにそれをるう子に伝えていれば問題はなかった。けれども、わずかな躊躇が、彼のその行為を一時間も阻止してしまった……らしい。るう子にしてみれば、ついこの間とはいえ相手の気持ちもわかり(友だちとしての付き合いは四年にもなる!)、慎二に好ましい感情を抱いていただけに、今度の一件にはとにかく腹が立った。だから、彼が予めそれを仕掛けたのではないかと勘ぐりさえしたのだ。
「とにかく、車を止めてちょうだいよ!」
森平るう子が大声を出していった。
「わかったよ! ……じゃ、とにかく次の電話ボックスを探そう。もういっぺんtelしてみるから。……えっと、なんだったらそこのホテルでもいいけど……(バキボキバキ→るう子の前原を殴る音)痛って! わかったったら、そんな冷たい目で見なくてもいいだろ。だいたいキミはねぇ……」
と、慎二がるう子にもうひと言小言をいいかけたとき、ふと見たるう子の頬にひと筋の涙が伝い、
(あらぁ、少しいい過ぎたかな。しまった……)
慎二は思った。もっとも、るう子のそれは、
(なんか、眠くなって来ちゃったわ。あーぁ……)
という、単なる欠伸涙だったのだが……
と、そのとき――
「見て、何、あれ!」
眠気ざましに車窓から身を乗りだしていた森平るう子が叫んだ。
「どれ?」
前原慎二も、フロントグラスからその方向を見やる。
すると――
シューン
空気を引き裂くような凄まじい轟音が辺りにこだまし、わずかに暮れはじめた雪山の向こうに閃光が走った。
ドォォォォン
ついで大音響。
「いったい何か起こったんだ!」
前原慎二が叫んだ。音響から、わずかに遅れて、
キキキキキー
「危ねえなぁ……」
走っている慎二のスポーティー・セダンにも揺れが伝わった。それほど大きな揺れだったのだ。
「ふう。こんなところで死にたかないよ!」
ハンドルを切り替えながら、慎二がいった。走っているのが雪道だったから、不意の滑りやスピンが怖かったのだ。二人の前を走っていた数台の車も、びっくりしたように何度か尻を振った後、安定走行に戻っていた。
「……もっとも、るう子と一緒だったら、そんなことだって考えてもいいけどな」
運転に余裕が戻った慎二の発言。
けれども――
「ね、いまの閃光、天文台の方じゃない」
慎二の発言を無視してるう子が告げた。
「いわれてみれば、その通りだな」
真顔に戻って慎二が答える。
「行ってみるか、北羅瀬天文台の野洲さんのところに……」
「ええ、その方がいいようね」
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