ミームのファージを放ったもの

り(PN)

00 夢

 悪夢はいつも日常の形でやってくる。

 たとえば――

 茶碗、ビン、コップ、レンジ、トースター、炬燵、恋人の身体の中……そこからわたしに呼びかける。

「やあ、お久しぶり。元気でやっておられますか?」

 都心に近い高架の駅から歩いて約七分のアパートの二階。公団風六畳間と台所とユニットバスのみの主室のベッドの上。

 最初、わたしはそこにいた。

 部屋の、ベッドと反対方向にある炬燵の上のパソコン画面が急に弾けて、わたしの名前がモニタ表示される。細くて顎のとがった、わたし自身の巻き毛の顔もCGされる。色と透明感がきれいだった。あまりにも安っぽい、現象からのわたしの模倣。それとも組み替え(言語挿入)によるもの? さらにわたしを決めるのは蛍光緑の計算機文字。それが、わたしの自己同一性を確定する。


 森平るう子 年齢二十三歳 性別女 T大学情報工学教室修士一年 恋人あり 将来の希望は特になし 何であれ、お金持ちになれれば、それに越したことはない 


 それからディスプレイ上に、わたしの身体が広がった。

 胸は小さいが形はよい。腰はくびれて、足は短い(というより長くはない)。けれども、ふくらはぎはきゅっと締まっている。全体的には調和のとれた肢体だと自分でも思う。けれども、わたしは戸惑っていた。そこに現れた数式言語の帰結がこのわたしなのか、それとも別の何物なのか判断がつかなかったからだ。それに、そう思っているはずのこのわたしと、いま現在のこのわたしとが、同一人物なのかどうかもはっきりしない。

 そして悪夢は弾けてゆく。いつもの展開の様相を呈して……

 もちろん、それが夢なのは知っていた。自分を見ている遠巻きの自分と、自分自身と一致する自分と、背景の中に息を潜めて隠れている自分を感じとることができたからだ。

(それに、すべてはまるで水からひとりでにお湯が沸くように、壊れたガラスのコップがひとりでにくっついて割れていない状態に戻るように、逆向きに進行していたのだから。まったく別の視点を持ってしか、わたしには感じられない逆向きの時間感覚で……)

 すると、ふいに場面が変わった。

 トロトロとしているのに殺伐な銀色のアスファルトが目に入る。空には星。夜の月の蒼白く凍った光が、高すぎる空から降ってくる。わたしひとりを浮き立たせる。まわりを見れば、無数に思える四角い大きな窓が光っていた。タンジェント・シータ=一・六二のシータの角度で、凍った冷たい照明を、辺りの空気と路面に向けて撒き散らしている。ビュウと風が吹き抜けるその高層ビルの谷間にわたしがいた。

 ずううんと遠くからバイクの音が聞こえてくる。いつもの再現。気がつくと、わたしはアーマーを着て火器を持ち、それが来るのに構えていた。記憶がぼおっと浮かんでは消える。遠くて近い、悪夢についてのいつもの記憶だ。爆音が広がり、ビルの端からライトが近づく。そのビルも、いつのまにか、廃屋ビルに置き変わっている。鉄骨が剥き出しになり、照明も残骸の一部と化し……

 突然、そのビルから人が飛び出してきた。見知らぬ人だ。

「あなたは予知夢なんです。気がついていましたか?」

 いって、ニヤリと笑いかけたが、いつだって、わたしにその意味は取れない。

 轟音がして、バイクが十数メートル先に近づいていることが再認識された。わたしが火器を構え直す。と、一瞬のうちに、コンクリート・ブロックのかけらに乗り上げてバイクが転倒し、乗っていた人間が投げ出された。スローモーション・ヴィデオのように宙を舞い、やがて、大きな音を立てて路面と激突。

 すると――

「いい機会だから見てご覧なさいな。彼の顔をしっかりと……」

 さっきの男が、わたしの耳もとで囁いた。 首肯きもせず、わたしは地面に投げ出されたバイクの男に近づいた。うつぶせになったその男の身体を表返した。

 すると――

 その顔は、当然のようにわたしの輪郭を持ったわたし自身の顔だった。

 血が流れて、醜く歪んでいたけれども……

 一瞬の後、わたしは悲鳴をあげて、火器を構えた。わたしに話しかけた男にそれを向けると引き金を引く。

 ボォォォという音がして、火器から何ものかが放たれた。 キラキラした水のようなもの。けれども、わたしはそれが 〈形容・音〉以外のなにものでもありえないことを知っていた。純粋・抽象の音。その音が男の身体を焼き尽くし、白くて細い骨を露にし、ふいに向きを変えると、わたしに向かって突進してきた。

 数歩、わたしが逃げたところで、堅い路面にひび割れが走った。その地面の割れ目の奥から唸るような声が轟き、中から機械的/生物学的&幾何学的/抽象絵画的な形が現れた。グルルルと低く唸ると、わたしの近くに滴を垂らした。背後からは〈音〉が迫っている。前からは、いつのまに姿を変えたのか、〈背反・形容〉の巨大なミミズが襲ってくる。

 意を決して、わたしはもう一度火器を握り締めると、指が白くなるくらいの力を込めて引き金を引き絞り、それを撃った! 最初は巨大ミミズに向けて、ついで振り返ると〈音〉の化物に向けて……

 バァン!

 耳をつんざく大音響の破裂音がし、二つの怪物が木っ端微塵に砕け散った。後には、廃屋高層ビルの谷間に脹らんで伝わるその反響音と、ただ、わけもわからず怯えているわたしだけが残された。

 いや、他にも残されたものがあった。バイクの荷台に積んであった十二インチのテレビ受像機が、わたしの近くに転がっていたのだ。転倒の衝撃でフレームだらけの残骸に変わってしまった、それ。その横倒しの画面に光が宿り、薄い液晶が瞬くと、ある光景が映しだされた。見なれた大学院の研究室。雑多な文献と計算機が所狭しと並べられた風景。そして、その視界の中に誰かがいた。残骸フレームの液晶テレビに近づきながら目を凝らして、わたしはそれを見た。

 すると、それは……

・わたし・ だった。

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