第4話

 手をつないで出奔したふたりは、フジコさんだけが硬い白炭のようなミイラになって帰ってきた。卒塔婆そとばのように立っているフジコさんの顔からはカランコランの乾いたイイ音だけが聞こえてくる。ふたりの出奔しゅっぽんは窯にいれられたウバメガシが硬い白炭に変わるまでの短いものやったと、アヤは述懐した。

 抜けた女のかばねは、ミイラになってもしばらくはさらされる。見せしめなのだと思うが、それを口にしたり顔に出す女はいない。沿道の雨のあたらない大ケヤキの下のそれ専用の敷石の上にさらされているから、山仕事に向かうダンナさんたちは一人残らず目にしなければならないが、そこにるものとしてそれに目を向けるおひとはひとりもいない。誰もが各々おのおのしとねで女からそのことを聞いているから、そんな不浄に己れを危うくするおひとはひとりもいない。

 だから、この村に巣喰うガサガサは、ここだけにはまとわりつかない。この村の一番静かな場所をアヤは月番だから「おつとめ」する。朝露のついたミイラが元の生身を思い出してふやけて腐らないようにと、白布はくふで拭き取るのが朝を迎えた最初の日課となっている。

 「フジコさん」と声に出して呼んでみる。それが許されていると教えられたわけではないが、こうしたあとの月番だけは在りし日の感慨にふけることを認められていた。たたられるのが怖いこともあるが、ここで今を生きなければならない女たちの総意が代々それを認めているのを皆んなしっていた。

 「フジコさん・・・・・あの晩よりもずっと前からこうなる覚悟はできとったんやね」 




 藪入りやぶいりのヤマモトさんが家にいることが許される十日間のうち、ヤマモトさんは昼はダンナさんたちと山仕事があるから、しとねこもる時間はその半分にも満たないから、施餓鬼せがき亡人もうじゃを呼び覚ましたふたりのむつみごとは家をはさみ闇をはさみ蔵をはさんで漆喰の壁をとおして伝わってくる。

 ふたりの夜は、眠るときではなくなっていた。

 真っ黒だったけど、艶やかな黒髪とそれに負けないくらい艶やかな黒い肌のフジコさんだったから、むつみごとでは駿馬が汗ばみながら草原を駆け抜ける姿に変わる。

 繋がって、ヤマモトさんがこさえた穴のかたちが蘇ると、小さくてそのありかを誰も気づいていない富士額ふじびたいの先がぱっくり割れて、皮膚をめくりあげたように黒い駿馬が顔を出す。そんな変身をフジコさんが知っていたかは分からない。もう白炭のミイラになったのだからそれを聞くことは叶わない。

 無理して聞き耳を立てんでも、催促するようにうながさんでも、施餓鬼の亡者はフジコさんから漏れ出すいっぱいいっぱいを零さんように両手ですくいながら、の褥まで届けてくれる。

 むろん、そんな家々を繋ぐ施餓鬼の亡者の忙しさをうちのダンナさんやヤマモトさんら男には見えも聞こえもしない。


  ー 施餓鬼の亡者からの施しは、うちら女子おなごのもン。この村でダンナさんをもった女子だけのもン。


 うちのダンナさんは、うちの褥に入って隣家となりの睦ごとに聞き耳を立てて悶々してる。そんな自分を煙たがっとるけど、うちはダンナさんと繋がって女の穴が蘇ってくるまで、フジコさんの一足早く昇っていく声が届いてくるのが、好き。水が水面をどこまでもどこまでも広げていくような気持ちよさにまとわれていく。そんなフジコさんが、ヤマモトさんとのときは、駿馬は黒でも栗毛でもなく、天馬のような白馬に変わっている。

 

  ー 目に焼き付いてるから・・・・・目を閉じると、よけい、赤い夕陽を背に彼方からこちらに駆けてくる天馬のいななきが熱く伝わるから。


 それは見たものやない。

 目に見えてるものに、そない本当もんほんまもんの見えるはずはない。

 ヤマモトさんが帰ってきてからお互いの眠りを貪るようにする睦ごとのなかのお空から落ちてきてる紐を昇る汗ばんだフジコさんの裸の四肢を見たわけやない。

 けれど、出奔する晩にフジコさんは、お湯の中に入ったお蚕様かいこさまたちの糸を撚られるキシキシすすり泣きを束ねて、一番高いお空にまで昇った。天馬はほんとうの自分が駆け抜けるお空まで抜けていった。

 駿馬のいななきに似たあの声を思い出すと、うちは濡れてくる。艶やかに濡れてくる。うちがそれで濡れるのをダンナさんはしらない。

  毎晩あないにしがみついとるんやもの。「ヤマモトさん、水汲みもせんと目の届かん切り株に尻餅ついたペタりんこで日がな一日眠ってる」って、のほほんとそれを寝物語で言うダンナさんは何も知らない。あのひと、だんだんに西の言葉が板についてきた。背中に刺してるモグラの口元も尻上がりのうちの言葉と同じ口真似している。あと少し、あと左の後ろ足の爪先までをが書き上げたら、あのおひと本当もんほんまもんのダンナさんになる。なってしまう・・・・・


  ー ダンナさんって、うちのダンナさんなんやろうか、うちのダンナさんなんやろか。


 年に十日づつ順繰りにくるダンナさんの顔浮かべながら「あのひと、このひと」と指を折ってはいかんと、各々の顔をなぞってはいかんと、お正月のしんこのこなを練ってこさえたチンコロみたいにどれもこれも分からん可愛げな顔だけ胸の奥に持っとったらエエって、おっかさんは云う。

 けど、おっかさんかてダンナさん持っとった女子のうちは、施餓鬼せがきの亡者がすくって繰り返し繰り返しかけてよこす甘い水を飲んどった。祝儀不祝儀しゅうぐぶしゅうぎの寄合では各々の与えられた名前が目立たんように、おっかさんたちは黒紋付くろもんつきに身を包んどるけど、男の格好なりして御大層なお題目並べてはるけど、灯りを通さんように丸まった醜い身体が目立たんように漆黒を背中にかけているけど、汗ばんだ馬のいななきみたく背中に施餓鬼から甘い水かけてもらったときのしたたり零れる水をどれだけ飲んでも、はらわたからせり上がる渇きが癒えなかったのは、きっと、覚えとる。いまの日常のどこかで、必ず顔を出しとる。


  ー 女子おなごは、死んで灰になるまで女やもの・・・・・うちらの中のグルグル、分からんはず、ないやろ。

 


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