第3話

 元山師もとやましが奉公に出た次の日、違う男が炭団たどんの女の家にやってきた。

 やってきたのではない、奉公先から帰ってきたのだ。女の家から漏れてくるのは、半年ぶりに帰ってきたダンナさんの奉公先のほこりをたたいて落とし、家のものに着替えさせてあげる華やぎだ。それがあるから、ダンナさんは、奉公先でどんなに苦労をしても、やまれぬ仕打ちに歯ぎしりしても、余所よそ余計よけいつかわずにせっせせっせと金を家へ持ち帰ってくれる。

 帰ってきた男は、女たちにとって持ち帰った稼ぎが一番なのはわかっていても、今こうして座ってるこの囲炉裏に昨日までは別の男があぐらをかいていたとしても、こんな風に家のものに着替えさせてもらえる間は、つくづくこの家のダンナさんの幸せを甘受していられる。


 そうしたことにエコ贔屓ひいきはないと婆さんは言った。それに、そんなことで嫉妬を催すようなおひとはダンナさんにはなれないし、ダンナさんに仕向けたりはしないのだとも言った。

 ー わしらの幸せが、あのらの幸せが、己れの幸せと丸めた背中に羽織っておられるおひとやなければ・・・・・一歳いっとせに2度だけの藪入りで村に帰り、家に帰り、それ以外の毎日毎晩は奉公先のボロ雑巾に徹しておられるおひとやなけれが、・・・お上と世間様に隠れたわしらの豪勢だけを芯から抱いてそれだけを甘受できるおひとやなければ・・・・・

 その一言一言が、むつみごとの間中、アヤの声を借りて赤や青をまとった刺青しせいの針のように背中を刺してくる。針は線をつくり、色を満たし、絵柄をかたちづくる。ダンナさんだからと、背中に施されるのは昇り龍や蓮池はすいけに浮かぶ仏ではない。余所よそでは裸を見せられないようにと、地面にはけっしておもてを出さない臆病のモグラだ。赤や青は皮膚を割って噴き出す血と混ざり合い、錆鉄さびてつした臆病の保護色ほごいろをかたちづくる。

  

   うっ・・・うぅうーん・・・ふぅーふぅー・・・うんうん、うーん・・・・

 

 潜っていく岩窪いわくぼが深くなればなるほど、仄暗ほのぐらさを増したお日様は眩しい、恋しい。求め、重くなった下腹を一気に預けるように、アヤの四肢は硬くこわばり男の身体を締め付ける。

 仄暗いアブクにしたアヤの官能に四つ組みされ、そこから伸びた代々の女たちの千手せんじゅの掌で施され、オレはダンナさんを務めるおひとにひとつひとつかたちづくられていく。


 そろそろかと、尻に隠した乳白色のお守りをそっとひねり出し、掌に握る。南の島で見つけた親指の先のひとはらほどの大きさの丸まった石だ。戦場いくさばを巡り、すし詰めの船に乗り、焦土しょうどに変わったおくにに戻って、こうしてこの村に家に女にやっかいになってからも、クソをひねり出すよりほかは大切に尻の穴に隠している石ころだ。


 今夜でモグラの身体半分の色に染まった。昨夜の肩までが腹まで降りて、あと三日もすれば、足の先の爪までモグラ色に染まっていく。背中にかたちづくられるのを受け入れながらも、オレは千手の女の腕をかわして、気づかれないよう掌に握って汗ばんでるその乳白色のかたまりを口の中に放り込み、羊水に浮かぶひしゃげた赤子あかごのような格好で果てた。 



 隣家となりの華やぎは、婆さんの云うばかりやないと、漏れてくる。口の中の乳白色を転がしながら、隣家となりの睦ごとを盗み聞く。

 それは、女の方が、顕著だった。

 地色の黒さは変わらなくても、漆喰で固まった蔵の中にも柔らかで湿った高ぶりは沁み渡ってくる。夜を待った女の声に炭団を連想させる匂いは感じない。

 二人の半年ぶりの睦事むつみごとが始まる。

「ヤマモトさんは、フジコさんがどうしてもといってダンナさんになったおひとやから」

 己れらの終えた後の温かさを抱いてまま、耳を隣家となりの睦事に傾けたことにアヤは咎めもせず、素直に教えてくれる。

「ダンナさんは、やっぱりはじめての男というひとが多いけど、うちは・・・違うから」

 うちは違うといった声は消え入るようにかぼそかったが、ふたたび握ってきたてのひらは、まだしずまってない男のものに刻印を残すように熱く伝わる。 

 愛しさが増してきた。転がしてた石ころを尻の穴に戻して、ふたたび繋げた。アヤはそれを促したわけではなかったが、ふたたび求めたことをとがめはしなかった。


 オレが奉公に出るまでは、こうしていられる。

 だれか奉公から帰ってくるまでは、こうしていられる。


 一家のダンナさんたちが顔を合わせることはないのだという。山仕事で顔を合わせる男たちは皆んな他家たけのダンナさん達だ。決まるまでいろいろあったダンナさん達は、奉公先から戻ったあとも顔をあわさなくて済むように婆さん達は寄合に集まってことを決めるのだという。

 それに此処ここ辿たどり着いた男たちの誰もが婆さんたちから「ダンナさんにならないか」と声を掛けられるわけではないとも教えてくれた。

 ー 女子おなごを間に入れても仲良うできるお男おひとやないと。男の嫉妬は女子おなごより怖い云うから・・・

 婆さまばぁさまたちは皆んなそうして何人ものダンナさんを束ねてきたお女おひとやから、ダンナさんが務まるお男おひとかどうかは、一夜の宿を、飯を恵んでもらおうと拝んだときの顔で決まるのだという。芯から女子おなごっかるおひとか、どんなに気を許した顔していても女子に隠しものは見せない男なのか、を。

 ー きのうやっと奉公に行ってくれたフジコさんのダンナさん、あのひと、本当はダンナさんには向いとらへんおひとやと思う・・・・・ダンナさんになった後も、うちを見る目はフジコさんのダンナさんになる前となんや変わっとらんものぉ・・・

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