第2話

 「もっと早うにダンナさんなるって言ってくれたら、わしらと同じ白い米の飯でタントあげられたのによォ」

 婆さんは、言い訳のようなもじもじした手付きで山盛りの飯茶碗を渡す。先に渡されたアヤは汁が盛られるのを待たずに、香の物でさらさらと、小さな茶碗はすでに半分は減っていた。

 銀シャリ《ぎんしゃり》ばかりか芋と菜っ葉がタント入った汁を囲炉裏いろりを囲む全員に行き渡ってから、婆さんは、やっと見てるだけで腹一杯になるほどのてんこ盛りにした自分の茶碗の飯を、食べ始める。世話になってから食べさせられていた数えるほどの飯粒の混ざった雑炊は、この後のおこぼれというわけで、どうりで娘にしとねを許すようになっても飯だけは同衾どうきんさせなかったわけだと納得した。

 小さな茶碗を空にしたアヤは、婆さんの横に管理されているおひつの蓋をとって、同じようにてんこ盛りにする。「食べ始めたら何も見えてこないんだから。今のうちにアンタも好きなだけおかわりしなさいよ」と、昨夜ゆうべ教えたでしょの目配せで伝えてくる。


 炊ける匂いでそのことに気づかれないよう、男たちが山仕事してる日中に飯は炊くのだという。

 自分の家の男が皆んなダンナさんになっても周囲の家の男がまだそうならず余所者よそものでいるうちは、おかみにも世間様にも食うや食わずの貧乏所帯を装ってるから、余所者に白いたらふくの飯に気づかれてはいけないから、飯を炊くときは家に男のいない午間ひるまと決まっている。

 ダンナさんになったからと、この村の決まりごとのひとつひとつをアヤは布団の中で教えてくれた。

 

 アヤが眠る布団が絹地に木綿のはいった豪勢なものであるのも、ゆうべ知った。

 ダンナさんになる前は、せんべい板のようなしとねにアヤがやってきて、ことが済んだらこちらが眠るのを待って、部屋に帰っていった。狭い納屋のような家の奥で眠っているのは分かっていたが、外見そとみからは納屋にしか見えないそんなところに蔵造りの漆喰で固めた隠し部屋を設けていたとは思いもしなかった。

 隠してるのはアヤばかりではない。

 人手を使って持ち込んだ米俵が六っつむっつ。お客がある家なのか、同じ絹地に木綿の厚々とした布団が三っつむっつ。ほかに結城やら大島の詰まった箪笥が二棹ふたさお。お上の目をかいくぐるように押し込められている。

 ダンナさんになったからと、箪笥からだした紬を着せてくれ同じ絹地の布団を敷いてくれた。

大戦おおいくさに負けても、お上が生きてるうちは、いつ掠め取かすめとられるか分からんからな」と、アヤはの言葉を使って云えてくる。ダンナさんになると、身体からだばかりでなく心根こころねも近づけてくるのだと思った。心根が近づくと女の思惑とは別のものまで近づいてくるのは、やっかいだ。 ーこのむすめ、見た目と違って年嵩としかさはオレと大差ないのかもしれん。


 世話になった三夜目に、初めて夜の戸が開いた。アヤひとりだった。

 なにか言いつけでも持ってきたのかといぶかしんでみたが、何も持たず何も告げず、そのまましとねに入ってくる。肌に一枚預けただけの娘の身体が触れてくる。

 男の渇きは大きかった。

 囲炉裏いろりに呼ばれるとアヤはいつも向かい側に座っていた。座ってる先からの娘の匂いは身体が温かになればなるほど、腹が落ち着けば落ち着くほど、そちらに意識は向かってく。汁を食いながら、宿と飯を恵んでくれる家にそんな野卑やび欠片かけらこぼさないよう大人しく手なずけていた。

 が、褥に包まれ、混ざって濃くなった女の匂いが、胸元から鼻先まで昇って、刺して、・・・・・もういけない。粒の立った女の匂いで一気に弾かれていく。




 ことを終え、こうして温かな現実を抱いていると、この娘とこうして通じた因果ばかりを探っていた。

 娘の大胆さを拒ばまず受け入れていながら、それまでの囲炉裏の向かいでじっと座ってるアヤの顔やたたずまいから、初めてのことでなかったのは意外だった。

 ゆきずりの男とのこうしたことに慣れている女というのではない。生活の臭いを身体のどこにもまとわずに、夫婦のことを経てきた女の時間が確かにあった。そんな目方を感じた。

 ー あれだけの男が死んだのだ、こんな娘のような後家さんがいてもおかしくはないさ。

 しかし、アヤには後家の陰りはない。初めて海をしってから何度も潜るうちに海の深さに満ちていった顔をしている。


 ダンナさんになって初めて、蔵の部屋でことを終えたアヤは、先に眠った。

 ダンナさんになる前は、男が眠るまで待ってから男の褥を引き上げ己れの寝所に戻っていったのだ。これからは同じ綿のたっぷり入った絹地の布団の上でしむつみあい、潜った海の深さを感じたまま男と温かさに包まれ眠ることができる。

 寝息が、ぐように・・・これでヨシ、コレでよい、これでヨシ、コレでよいを立てている。

 家付き娘の素直で可愛らしい寝顔を見ていたら、この娘の満ち足りた寝息はさっきまでのオレとのことなのだと思ったら、「よくも、まぁー恥ずかし気もなく」の声が聞こえ、幸せの波をサンブとかぶった。

 そんな柔らかで暖かい幸せを今は浴びているのに、「何を心配してるのか」のバカバカしさに呆れ、オレは眠った。

 

 

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