こない瘦せた土地で取れんのは・・・・おなごばかりやからな
安部史郎
第1話
このあたりはのぉー、むぎはおろかあわもひえも取れん土地やからのぉー、生まれてくる
ー ラバウル、トラック、ベリリュー・・・・日照りに吸い込まれるみたいに、瘦せて枯れて、みんな、死んで、見も知らぬ南国の土に吸い込まれていった。・・・・オレは、こんなところの土に変わるのは絶対にイヤだった。かならずお國に帰ってみせる。オレは、ただ、それだけにすがって、こうしてここまで命を繋げてきたんだ。それなのに・・・・・
お國には、出征のとき送り出してくれた人たちは誰一人いなかった。生まれた
「
僅かの見も知らぬ瘦せて生気のない他人の顔を見ているのが、そんな相手からも哀れめいたまなざしを施しのように受け取るのがいたたまれず、すぐにそこをあとにした。
ゆくあてのないひとりだと思い詰めた男は、日の沈む西に向かって歩き出くより仕方がなかった。
村があった。
山の裾野にできた僅かばかりの平地に、2軒3軒の小屋のような納屋のような家々が寄せ合い、お互い伏せながら住んでる顔まで伝わってくるような村だった。平地が途切れ海と山肌ばかりになった道を進むうち、日は沈み、1軒に一つ
だれが住むか知れぬ赤の他人の家であっても、自ずと濃淡は出てくる。
奥の家だけには、手前の2軒には感じなかった一晩を借りるだけの隙間を感じた。
トントン、トントン、トン・・・
婆さんが出てきた。
奥にはまだ子供のような顔の娘がいた。娘はおっかさんと呼び、婆さんはアヤと呼んだ。
そう思ったら、大きな気の毒をさせた気持ちが目の前に立ってくる。
なんだか、今度の大負けした
ふたりは尋ねることは何もせずに、干した菜っ葉と芋の入った粥をお椀に一杯恵んでくれた。米は勘定できる粒しか入っていないただ白濁したお粥だったが、他人の椀と箸ですするお粥は腹に沁みた。
終日なにも入れてない腹に落ちたのを合図に、猛烈な睡魔に襲われた。日中にあった絶望が本当の重さをもって身体に掛かってきたのだ。
こうしたお客に慣れているのか、婆さんに「そこに」と案内された3畳間で眠る。お客を泊める部屋や布団の用意されている家にはみえなかったが、ちゃんとあぶれた男ひとり入いる隙間のある家を見つけ、一夜であっても絶望から離れられることに希望をもって眠った。
「あんた、なんにものうなってしもうたんじゃろう。・・・・・よければ、いっそあの子のダンナさんになってみんか」
一夜とおもったのが、言われることも言い出すこともしないまま10日が
ほかの家にいる男たちと同じように、
弁当を持たされ、山に入った先に来ていた男たちの後ろを追いかける。かがんでる男たちと同じように枯れ枝拾いから始め、そのあと泉まで桶を担ぎ水汲みをし、半畳が点在する芋畑、菜畑まで持っていく。桶はたくさんあったが、畑はたくさんはない。桶も畑も、どこの家の誰のものというのはないらしい。順々に着いた先の桶を担ぎ、着いた先の菜の足元に汲んだ泉の水を注いでいく。
男たちは、皆んな
そうした事情は長話をしなくても、タバコのやり取りやため息をつく横顔で分かる。ひもじさを共有してるから、元の事情などで
「
お喋りはこの男だけだった。今日は元山師に矛先が向く。だから一方的なやり取りはすぐに終わってしまう。この男の気質からすればもの足りないのだろうが、こうした処の男たちのお喋りが浮いてることは知ってるから、しつこく突っつくことはしない。誰かに何かを話しかけるのは、己れの言いたくないこと思い出したくないことに近づくのを知っているからだ。お尋ねものはその最たるもののはずだが、性根のせいか、何も零さずに帰ったことはない。「あいつには気を許すな。話の半分はつくりものだから」と、いつもお尋ねものから離れた遠くで弁当をつかう古参風の男がそう教える。
兵営で上官に漏らせない秘密を回すときの、男たちの沈んだ熱気が少し甦り、重なった。
山師は貰ったタバコを
元山師がやっかいになってるのは、アヤの家の隣だ。闇夜の灯りからあぶれものが埋まって
「それじゃ、今日でお別れですね。お気を付けて。いろいろありがとうございました」
なにも中身のないとおり一遍のあいさつを互いの家が見えたあたりでかけると、あした此処を立つ元山師から返ってきたのは意外だった。
「あんた、アヤのダンナさんになる気は固まったかい」
驚いてる顔を見て、元山師は不思議そうな顔をする。こちらの、なにも中身のない別れ際のとおり一遍のあいさつを流せずにどぎまぎしてる顔を見て、驚いた風な顔まで見せてくる。
「10日は居ついたんだ。・・・・もう、そういう間にはなったんだろぅ。それともアヤがあんまり子供じみてるんで手が出せないのをじれったく思った婆さんが見かねて誘いでもかけてきたかい」
いつもの無口でなく、お尋ねものがすり替わったようなねちっこさだ。貰ったタバコを根本まで吸っていたときの顔だ。
「オレの家はもう5人もいるのに、アヤの家は2人だから、てっきりオレがそっちにいくものだと思ってたんだが、な・・・・」と、口惜しそうな目を向ける。
こればっかりは婆さんどうし家どうしが決めることだからと、そのあとの続きを何か言い残した顔で、元山師は自分の家に入った。
家の前の男ふたりの立ちばなしが珍しいのか、あした立つ旦那への惜別か。珍しく戸口の前に元山師を旦那さんにした女が立っていた。しみじみ眺めるのは初めてだった。色が黒いからでなく様子から
その家にも同じように婆さんと女のいることは分かっていたが、こうしてしみじみ女の顔と姿を拝むのは始めてだった。日の落ちる海が目の前の逆光に、女はますます炭団に見える。
その佇まいから、アヤよりはひと回り齢を重ねた感じが伝わる。
ー あの家も婆さんとその女しか住んではいないはずだが。
元山師が云った「おれの前に5人」が引っ掛かった。アヤの二人はもっと気になる。それはそれぞれの女でなくこの村全体を覆ってるものと重なってる気がする。若くて可憐な娘の旦那となる相手への、あたりまえの
あした立つ男がいったい何の山師だったのか最後まで聞かなかったと、アヤのいる家に戻ってからそのことに気づいた。
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