こない瘦せた土地で取れんのは・・・・おなごばかりやからな

安部史郎

第1話

 このあたりはのぉー、むぎはおろかあわもひえも取れん土地やからのぉー、生まれてくる赤子あかごは、みんな、女子ん子おなごんこばかりじゃ・・・・・だから、遠い土地にだした男手おとこでの稼ぎを仕送りしてもらうよりほか食うてはいかれんのや。・・・・遠いご先祖のどなた様が考えなすったことかぁ、この前の大戦おおいくさお國おくにが負けるまでは皆んな迷いもせんとこうして代々を繋いできたんよぉ・・・・。


 ー ラバウル、トラック、ベリリュー・・・・日照りに吸い込まれるみたいに、瘦せて枯れて、みんな、死んで、見も知らぬ南国の土に吸い込まれていった。・・・・オレは、こんなところの土に変わるのは絶対にイヤだった。かならずお國に帰ってみせる。オレは、ただ、それだけにすがって、こうしてここまで命を繋げてきたんだ。それなのに・・・・・

 お國には、出征のとき送り出してくれた人たちは誰一人いなかった。生まれたところは消えていた。ガレキの途切れたへりで、かろうじて爆弾が落ちるまで道だった線を記憶の中で繋ぐのが精一杯だった。

 「清松屋きよまつやの屋号で隣町からも注文が入る仕出し屋で、そこと荒物屋に挟まれた路地のどん詰まりから2軒目」などと、当たり前の生活を尋ねる透き間はどこにも見つけられようがなかった。

 僅かの見も知らぬ瘦せて生気のない他人の顔を見ているのが、そんな相手からも哀れめいたまなざしを施しのように受け取るのがいたたまれず、すぐにそこをあとにした。

 ゆくあてのないひとりだと思い詰めた男は、日の沈む西に向かって歩き出くより仕方がなかった。 



 村があった。

 山の裾野にできた僅かばかりの平地に、2軒3軒の小屋のような納屋のような家々が寄せ合い、お互い伏せながら住んでる顔まで伝わってくるような村だった。平地が途切れ海と山肌ばかりになった道を進むうち、日は沈み、1軒に一つ灯る灯りともるあかりよりほか見えぬ暗闇をかき分け、一番奥の家の戸を叩く。

 だれが住むか知れぬ赤の他人の家であっても、自ずと濃淡は出てくる。

 奥の家だけには、手前の2軒には感じなかった一晩を借りるだけの隙間を感じた。

 トントン、トントン、トン・・・


 婆さんが出てきた。

 奥にはまだ子供のような顔の娘がいた。娘はおっかさんと呼び、婆さんはアヤと呼んだ。亜矢子あやこよりも絢香あやかが似合いそうな目鼻立ちのくっきりしたハイカラな顔をしている。婆さんと思ったが、こんな嫁入り前の一人娘をもっているのだから、苦労がこのひとをこれだけ老けさせたのだろうとも思った。

 そう思ったら、大きな気の毒をさせた気持ちが目の前に立ってくる。

 なんだか、今度の大負けした大戦おおいくさをひとり背負って謝りたいような心持ちが襲ってきた。 


 ふたりは尋ねることは何もせずに、干した菜っ葉と芋の入った粥をお椀に一杯恵んでくれた。米は勘定できる粒しか入っていないただ白濁したお粥だったが、他人の椀と箸ですするお粥は腹に沁みた。

 終日なにも入れてない腹に落ちたのを合図に、猛烈な睡魔に襲われた。日中にあった絶望が本当の重さをもって身体に掛かってきたのだ。

 こうしたお客に慣れているのか、婆さんに「そこに」と案内された3畳間で眠る。お客を泊める部屋や布団の用意されている家にはみえなかったが、ちゃんとあぶれた男ひとり入いる隙間のある家を見つけ、一夜であっても絶望から離れられることに希望をもって眠った。



 「あんた、なんにものうなってしもうたんじゃろう。・・・・・よければ、いっそあの子のダンナさんになってみんか」

 一夜とおもったのが、言われることも言い出すこともしないまま10日がつ。

 ほかの家にいる男たちと同じように、朝餉あさげをすますと裏山まで山仕事に出かけるのを覚えた。

 弁当を持たされ、山に入った先に来ていた男たちの後ろを追いかける。かがんでる男たちと同じように枯れ枝拾いから始め、そのあと泉まで桶を担ぎ水汲みをし、半畳が点在する芋畑、菜畑まで持っていく。桶はたくさんあったが、畑はたくさんはない。桶も畑も、どこの家の誰のものというのはないらしい。順々に着いた先の桶を担ぎ、着いた先の菜の足元に汲んだ泉の水を注いでいく。


 男たちは、皆んな此処ここ在所ざいしょでなく、同じように辿たどり着いたもの達ばかりだった。半分は外地から引き上げた元兵隊と一攫千金いっかくせんきんを夢見たあぶれ者、残りの半分は赤紙や営倉からの逃亡者。敗れたあとでもお國に居場所を持たないのは一緒だった。

 そうした事情は長話をしなくても、タバコのやり取りやため息をつく横顔で分かる。ひもじさを共有してるから、元の事情などで諍いいさかいが起こる気配はない。

山師やましのダンナ、いつつんだね」と、お尋ねもので呼ばれる白髪の混じった女のように小柄で華奢の年長が並んだ一服のときに尋ねた。オレはこの身体のおかげで憲兵から逃がれてきたんだが自慢の男だ。

 お喋りはこの男だけだった。今日は元山師に矛先が向く。だから一方的なやり取りはすぐに終わってしまう。この男の気質からすればもの足りないのだろうが、こうした処の男たちのお喋りが浮いてることは知ってるから、しつこく突っつくことはしない。誰かに何かを話しかけるのは、己れの言いたくないこと思い出したくないことに近づくのを知っているからだ。お尋ねものはその最たるもののはずだが、性根のせいか、何も零さずに帰ったことはない。「あいつには気を許すな。話の半分はつくりものだから」と、いつもお尋ねものから離れた遠くで弁当をつかう古参風の男がそう教える。

 兵営で上官に漏らせない秘密を回すときの、男たちの沈んだ熱気が少し甦り、重なった。


 山師は貰ったタバコを根本ねもとまで吸ってから、「あした」と答える。意味を持った低い声が伝わる。瘦せた上背ばかりが目立つその元山師にぶら下がるようにくっつくと、お尋ねものは「半年いや1年かな。あんたが戻ったときは多分、おれも二度目のご奉公ほうこうに出てるだろうから、この村で顔を見ることは金輪際あるまい。達者でな」と、云った。

 元山師がやっかいになってるのは、アヤの家の隣だ。闇夜の灯りからが埋まって隙間すきまはないと踏んだのは正しかったわけだ。お尋ねものは、山のまだ奥に枝分かれする道へと帰っていく。元山師とは下る道の最後まで一緒だから二言三言話すことがあるが、もともと口数の多いほうでないらしく、お尋ねものが問いただすまで、そんな事情を含んでたのは今日まで知らなかった。

「それじゃ、今日でお別れですね。お気を付けて。いろいろありがとうございました」

 なにも中身のないとおり一遍のあいさつを互いの家が見えたあたりでかけると、あした此処を立つ元山師から返ってきたのは意外だった。

「あんた、アヤのダンナさんになる気は固まったかい」 

 驚いてる顔を見て、元山師は不思議そうな顔をする。こちらの、なにも中身のない別れ際のとおり一遍のあいさつを流せずにどぎまぎしてる顔を見て、驚いた風な顔まで見せてくる。

「10日は居ついたんだ。・・・・もう、そういう間にはなったんだろぅ。それともアヤがあんまり子供じみてるんで手が出せないのをじれったく思った婆さんが見かねて誘いでもかけてきたかい」

 いつもの無口でなく、お尋ねものがすり替わったようなねちっこさだ。貰ったタバコを根本まで吸っていたときの顔だ。

「オレの家はもう5人もいるのに、アヤの家は2人だから、てっきりオレがそっちにいくものだと思ってたんだが、な・・・・」と、口惜しそうな目を向ける。

 こればっかりは婆さんどうし家どうしが決めることだからと、そのあとの続きを何か言い残した顔で、元山師は自分の家に入った。

 家の前の男ふたりの立ちばなしが珍しいのか、あした立つ旦那への惜別か。珍しく戸口の前に元山師を旦那さんにした女が立っていた。しみじみ眺めるのは初めてだった。色が黒いからでなく様子から炭団たどんのような女だと思った。

 その家にも同じように婆さんと女のいることは分かっていたが、こうしてしみじみ女の顔と姿を拝むのは始めてだった。日の落ちる海が目の前の逆光に、女はますます炭団に見える。

 その佇まいから、アヤよりはひと回り齢を重ねた感じが伝わる。

 ー あの家も婆さんとその女しか住んではいないはずだが。

 元山師が云った「おれの前に5人」が引っ掛かった。アヤの二人はもっと気になる。それはそれぞれの女でなくこの村全体を覆ってるものと重なってる気がする。若くて可憐な娘の旦那となる相手への、あたりまえのうらやみだけで漏らしたのではないような気がする。手繰たぐれば繋がる先がある気はしたが、いまが途切れるのが分かり、そこで奥に入るのはやめた。

 あした立つ男がいったい何の山師だったのか最後まで聞かなかったと、アヤのいる家に戻ってからそのことに気づいた。

  


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