ぬいぐるみと旅に出る🐻おばあちゃんとぬい活

天雪桃那花

おばあちゃんとぬい活

 無機質な白い部屋に充満するのは消毒薬や薬のにおい。

 窓の外を眺めれば、今日は梅の花が満開だった。


「ぬいぐるみ、持ってくれば良かったかな」


 病院って退屈なところだ。

 そして夜はひんやりとして暗くて怖い。

 わたしは今回の入院にはお気に入りのぬいぐるみを持ってこなかった。

 ちょっと後悔した。


 だけど、すぐに思い直した。

 ここに持ってきたら、病院の匂いが染み付く気がした。


 おうちに帰った時、ぬいぐるみのあの子たちを大好きなのに、むぎゅって抱きしめてすりすり頬をつけたら入院してる自分を思い出しちゃうのもイヤだった。

 前回は持ってきたのにってお母さんは笑っていたけど、置いてきたぬいぐるみたちには留守番してねって意味もこめた。


 わたしがいないあいだ家を守ってねとか思ったり。帰りを待っていてほしいとかも思う。


 お守りでもないし、とくべつな力なんてないただのぬいぐるみだって分かってる。

 わたしだって中学生だもん。

 だけど、見えないものにすがりつきたい時があるんだ。

 病気って、身体も心も弱くなる。

 負けちゃいけない。でも、あちこち痛いとかお腹が気持ち悪いとか先の見えない具合の悪さは続けば続くほどに、じゅうぶん心を蝕んでいく。 


 あと、時間がすぎるのが遅いの、とてつもなく。

 一日って、とくに眠れない日の夜は長いんだ。

 わたしだって勉強したりするけど、すぐに飽きちゃう。いつ学校に行けるようになって、みんなみたいに普通に授業が受けられるか分からないのに必要かな? とか闇全開な思考回路。


 長い長いゆっくりすぎた永遠みたいな夜が開けて、うっすら閉めきられたカーテンの外が明るくなって。

 朝になると、ホッとしてた。

 そうした頃にようやくわたしに「眠たい」がやって来る。

 

 治療はつづく、いつまでも。

 わたしは痛みが酷い日にはベッドでじっとしているけれど、薬が効いてあまり症状の出ない日はすごく暇を持て余していた。


 ずっとパジャマを着て、ずっと病院のベッドの上にいる。

 せめて屋上にちっちゃな庭とか公園みたいなのがある綺麗な病院だったら良かったなあ。

 でも、贅沢は言えない。

 わたしの家にはお父さんがいなくて、お母さんとおばあちゃんとわたしの三人ぐらしだから、お母さんが朝から晩まで一生懸命に働いてる。

 おばあちゃんは家では病弱なわたしの世話でかかりっきりだった。


 わたしが病院にいたほうが、二人が少しは楽なこともあるよね。

 中学生になったけど、ほとんど制服に袖を通したことはない。


 仲良しの友達は同じ中学校に進んだ小学生の時からの友達の愛ちゃんとルカちゃんぐらいだ。

 二人に会いたいな。


 つまんないな。

 どこかに行きたい。


 病院から出て、お洒落をしたりして、友達や家族とお出掛けしたい。

 遠くじゃなくてもいい。

 近くのショッピングモールで充分だよ。

 他愛のないおしゃべりを友達として、フードコートでドーナッツを食べたりして。


 お母さんとおばあちゃんとはちょっとお買い物をするだけでもいい。

 その時は買ったばかりの新しい靴を履きたい。中学校に上がる時に買ってもらったスニーカーは一度も履いてなかったもの。

 きっと帰りがけには食品売り場で「晩御飯はなににする?」ってお母さんが聞いて、おばあちゃんがわたしの大好きな献立にしましょうって言ってくれる。


 早く退院してうちに帰りたいよ。


 わたしはこの何度目かの慣れた入院生活を送っているけど、今は世界中に広がった感染症のせいでお見舞いに誰も来てくれない。


 お母さんやおばあちゃんですら、あんまり来れないのだ。

 二人はわたしの好きなマドレーヌやお菓子やパジャマなどの着替えと、面白そうな胸キュン小説に、マンガ雑誌の『りりぼん』とか『チャオッ!』とかは発売日に届けてくれるけど、看護師さんが受付で受け取り病室に持って来てくれる。

 あれ? 会えないんだと悲しかった。


 わたしは家族とも会えない日々が続く。

 寂しい、寂しいよ。



 そんなある日、わたしのスマホに新着メールが届いた。

 誰からかな?

 

「あっ、おばあちゃんだ」


 おばあちゃんからのメールには写真がついていた。

 わたしのお気に入りのぬいぐるみのひとつ、犬のぬいぐるみのティラミスが公園でお花見をしている!


 桜を背景にしてぬいぐるみ犬のティラミスがちっちゃなグラスでジュースを持って、写真に写っている。

 おばあちゃんの姿は写っていないけれど、ティラミスはおばあちゃんが連れて行ってくれたんだね。


「わたしの代わりにぬいぐるみがお出掛けに行ってるんだ」


 わくわくとした。

 ぬいぐるみ達はおばあちゃんと冒険に出掛ける。

 わたしは出掛けられないけれど、おばあちゃんはわたしが楽しめるようにって思ってくれてる。


 ある日は家の近くのカフェの一コマ。犬のティラミスと仲間たちがアフタヌーンティーを楽しんでいる。

 ある日は東京タワーにぬいぐるみ犬のティラミスはお出掛けした。ある日はぬいぐるみうさぎのソーダが動物園で本物のうさぎとツーショット。

 水族館ではぬいぐるみ犬のティラミスとぬいぐるみうさぎのソーダがデートして、おっきな水槽を眺めていた。

 家のベランダでぬいぐるみのティラミスは優雅に椅子に座って豆本を読んでいる。その横でぬいぐるみ猫のキャラメルが望遠鏡で宇宙を覗いていた。

 あとは、くまのぬいぐるみのモカがキックスケーターに乗って公園の広場でポーズを決めてる!


 おばあちゃん、ありがとう。

 わたし、すごくあったかい気持ち。

 心が元気になる。

 体はまだまだ調子が悪いけど、治療を前向きに受けるからね。


 その写真はおばあちゃんから週に一回は届いた。


 わたしはメールが来るのをわくわくして待ってた。


 でも、しばらく届かなくなって。

 おばあちゃんが天国に行ったって知らされた。


 突然のことだったから、わたしは嘘なんだと思った。



     ◇◆◇



「お母さん、友達とぬい活に行って来るね〜!」

「気をつけるのよ〜!」


 わたしは持病がとりあえず完治して、再発がない状態が続いてる。

 おばあちゃんが亡くなってから半年以上が経っていた。

 退院して、浦島太郎のような気分で学校に行ったら、愛ちゃんとルカちゃんがわたしの居場所をちゃんと開けて待っていてくれていた。


 久しぶりすぎて照れくさかったのは二日ぐらいで、愛ちゃんとルカちゃんのおかげでわたしは学校に行ってなかったと思えないぐらい馴染んで過ごしている。

 ――あとは、不安な日はおばあちゃんの写真が元気をくれた。


 そうそう、おばあちゃんったら、こっそりとインターネットのブログを開設してぬい活の写真を配信していたのだ。

 けっこうファンが多くって。

 癒やされますとか元気になるとか、コメントをたくさんもらっていた。


 わたしはおばあちゃんと同じようにぬい活を始めてみた。


 おばあちゃんのように人を元気にしたい。

 わたしみたいにお出掛けできずに塞ぎ込んでる誰かが元気になってくれたら良いなって思ってる。

 そうしたら愛ちゃんとルカちゃんも一緒にやりたいって言ってくれたんだ。


 私のお気に入りの大好きなぬいぐるみたちは今日の休日も、わたしたち三人と元気にお出掛けです。

 おばあちゃんみたいに、上手に写真が撮れるかな?


 その時爽やかな心地よい風が吹いて、わたしは天国にいるおばあちゃんが見守ってくれてる気がしたんだ。


   了




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