第2話 初めての町
AREA:町〈モノレル〉への道
どれくらい歩いてきたのだろうか。モンスターを倒しては野宿をし、湖や川を見つけたら水浴びをする。魔法の水は飲み水として使った。彼はモンスターの解体に長けていて、それらを食べて過ごしていた。決して美味しいとは言えないが食べ物があるだけまだよかった。彼と一緒でなければ、生きてはいられなかっただろう。
魔法の使用や包丁での攻撃で、魔力が上昇したり筋力が発達しただろう。傷も少しだけ付きづらくなった気がする。しかし、むせ返るような血の臭いが、ぼくの心を蝕んでいく。歩いてきた道に積み上がる死体の山が、ぼくの心を暗く染める。気づけば、辺りは既に暗くなっていた。空には墨が垂れ、真っ黒に染まっている。星ひとつない闇だ。――元気がない。やる気がない。もう嫌だ。そんなぼくの気持ちを察したのだろうか、彼は俯くぼくの顔を覗き込む。
「疲れたでしょ。町までもう少しだけど、少し休憩するかい?」
優しい言葉ではあるが、その目はナイフのように光る。休む子はいらない。そう目が語っていた。だから仕方なく首を振る。
「よし、じゃあ頑張っていこう!」
ぼくは重い身体を、重力に任せて歩いた。
AREA:町〈モノレル〉
ようやく町へ着いた。故郷の風景が信じられないくらい、青々とした草が生えている。鳥は囀り、木々が歌う。
「疲れると攻撃力って下がっちゃうんだ。力ついてるはずなのに倒しづらくなってるなって思ってたでしょ?」
相変わらず彼はぼくの心を読んでくる。隠す必要もないことだと、首を縦に振る。
「だから、宿屋で休んだり、美味しいもの食べなきゃだね」
そう言って彼はぼくの手を引く。その手の温かさが心地いい。嬉しくてギュッと握ると、優しく握り返してくれた。
すごくお店が並んでいる。美味しそうな匂いが辺りに漂う。見たことがないものばかりだ。どれを食べようか悩んだが、特に気になったもの1つに絞り、彼の手を引っ張ったその時だった。とてつもなく大きな音が響きぼくの脳を揺らす。音のする方を見ると、壁が破壊されていた。
モンスターだ、モンスターが現れたんだ! どうすればいいんだ。この町は終わりだ。武器は手にしたか。
様々な声がこだまするなか、彼はぼくの手を引っ張って走りだした。
「ちょうどいい経験値だ」
ぼくはこんなに疲れているのに、彼は心の底から笑っているようだった。
音がした場所に辿り着くと、モンスターが数体いた程度だった。苦労してぼくが1体倒すと、残り全てを倒した彼が少し冷たい目で僕を見ていた。どうやら町への被害や犠牲者はなかったらしい。緊張のほぐれと疲れから、ぼくは倒れてしまった。
目を開けると、ぼくは柔らかいものの上で横たわっていた。どこを見渡しても暗い。目が慣れてきて、屋内にいるのはわかった。たぶんベッドの上にいる。そう思っていたら、ひと筋の光が溢れてきた。
「お、起きたみたいだね」
そう言って入ってきたのは彼だ。少し離れたところには少女が立っている。彼はベッドの横に立つと、優しく撫でてくれた。
「お疲れさま。戦闘慣れしてないクロには重労働だったね。心労の上に休みなく動いてたから倒れちゃったみたい。少し熱っぽいしね」
彼も疲れているはずなのに、平気な顔をしている。ぼくも頑張らないと、そう思って体を起こそうとするが力が入らない。
「ははっ、起きられるはずないよ。言っただろ? 足手まといはいらないって。おれの魔法で動けなくしてある」
少し乾いた声。無理にでも動かないと……そう思って力を入れても、やはり体が言うことを聞かない。
静かに少女がぼくの元へ歩いてきた。
「魔法で動けなくしているのは本当。けれど、彼はあなたを置いていくつもりはないと思うわ。安心して寝てなさい」
優しく語りかけてきた彼女は、ぼくの頭に乗っていたタオルを冷たいものと取り替えてくれた。
「悪かったね、和ませようと冗談を言ったつもりだったんだけど……。まあそういうわけだから、無理せず今夜は休んでなよ」
そう言って彼は部屋を出て行った。その後ろを彼女はついていく。また、暗い部屋の中に1人になってしまった。
いつのまにか寝てしまったようだ。恐る恐る体を起こす。魔法は切れていたらしい。起き上がることができた。とりあえず扉へ歩き、開けてみた。明るい光が差し込んでくる。人工的でない、暖かな光。その光に照らされる食べ物たちが、美味しそうな匂いを部屋中に放っていた。
「ちゃんと休めたかな」
そう言って彼はぼくの首元を触る。
「うん、熱も引いたみたい。それじゃあ今日こそ町で食料を探そうか。まずはご飯を食べてからだね」
ちらりと彼女へ目をやる。
「お口に合うかわからないけど。でも、栄養はあるわ。元気になるなら食事もしっかり取らなきゃ」
優しそうな笑顔で彼女は言うと、椅子を下げてくれた。
ペコリと頭を下げると、ぼくは初めて3人いる食卓へとついた。
#
町へ繰り出すと、昨日の襲撃がなかったかのように明るかった。今日も相変わらずいい匂いが立ち込めている。
「モンスターのお肉って美味しくないよね? 食べるなら動物のがいいでしょ?」
彼はぼくへ尋ねる。ぼくが頷くと、彼はにっこりと笑った。
「それじゃあ調達に行こう」
着いた場所は、畜産家の家だった。町の中心から少し離れていて、人の往来がないわけではないが影になっているようだ。周囲を見回していると、不意に悲鳴が聞こえた。彼を見やると、そこに笑顔で立っていた。死体の生首を手に持って。
「どうしてそんな驚いた顔をしているんだい? 欲しいものがあるなら、邪魔なものは廃除する。至極当然な行為だろ? 殺す前にうるさくされるのは想定外だったけど」
手に持っていた頭を投げ捨てると、動物を屠殺していく。その破天荒な展開に人が次々と集まってきた。悲鳴が聞こえ、死体が転がり、動物が捌かれる。そんな奇妙な状況に好奇心を示さない人の方が少ないだろう。人がどんどん集まってくると、1人の人が呟いた。
「悪魔の所業だ」
その声は周囲へ伝播していき、町人たちの考えが1つになった。
この悪魔を殺せ。町から出て行け。モンスターに喰われちまえ。
町民から罵声が飛び交うが、彼は手を止めなかった。
ある程度の数を捌いたところで、町民の方を振り返ると、手に持っていたチョッパーを投げつける。運悪く、1人の男の首筋を斬った。男は呻きながら倒れ悶える。ドロドロとした液体が、男の首からとくとくと溢れ、転がる男によってヌチャヌチャと音を立てる。何が起きたか分からなかった。少しして、町民から悲鳴があがった。彼は静かに睨むと、口を開いた。
「うるさいなぁ。もう少し静かにしてくれないかなぁ」
この凄惨な光景を目にしてなお反発できる者は誰もいなかった。
「うん、静かにしてくれてありがとね」
彼はにこやかに言うと、近くにあったリヤカーに肉を詰め歩き出した。呆然としていたぼくは、ふと我にかえると頭を下げた。そこにはカカシがたくさんあるだけだった。
「もしかして、さっきのこと心配かい?」
ぼくには目もくれず話しかけてきた。黙っていると、彼は続けた。
「心配ないよ。おれたちが昨日いなけりゃ彼らは死んでた。それに……いや、まあ何にしてもそういう運命だったんだよ」
きっとぼくが起きたのはお昼だったのだろう。いつのまにか日が傾いていた。黒い布がぼくらを次第に包んでいくようで、少し怖かった。
「ねえ、人を殺したんだってね」
帰るや否や彼女は言ってきた。さすがに町には情報が広がっているようだ。
「うん。何かまずかったかな?」
彼女は黙り込んだ。しばらくして、口を開いた。
「いや、なんでもないわ。それより、夕食は作っておいたから」
そういうと彼女は外への扉へと歩いていく。すれ違いざまに、あなたが心配、と呟いていた。それじゃあ食べようか、そう言われてぼくは頷いた。
ぼくにはよくわからなかった。モンスターを殺してはいるが、人を殺してもいいとはぼくは思ってない。けど、その違いを訊かれたらぼくにはわからない。そのもやもやとした気持ちは、ゆっくりと、しかし確実にぼくの心に広がっていく。そのことを少しでも忘れたくて、ご飯を口へ押し込んだ。入れ込みすぎて目を白黒させるぼくを見て、彼は笑っていた。
目を覚ますと、ぼくは彼にひっしりと抱きついていた。たしか、夜中に変な音で目が覚めてしまい、怖くて抱きついたんだ。そのせいでぼくの動きが彼に伝わったんだろう、彼も目を覚ました。
「おはよ。そんなにくっついてどうしたんだい? 怖い夢でも見たのかい? ……ああ」
彼は急に立ち上がると静かに扉のほうへ歩き、こちらを振り返った。
「さっきの音の正体、見に行ってみる?」
彼の袖口に掴まったまま外に出てみると、とても惨憺たる光景だった。辺り一面の喰い散らかされた跡。斑斑と垂れている血痕と散らばった肉片がその悍ましさに拍車をかける。前の、あの臭いが鼻を打つ。ぼくはその光景に耐えられず、彼へ倒れかかるとズルズルとそのまま膝から崩れ落ちた。
気がつくとぼくは背負われていた。相変わらずの地獄絵図だが、彼の温もりとリズムよい拍動に安堵を覚えた。雨によってか慣れたのか、不快な臭いも感じなくなっていた。
「もう町として機能しないし、安全性も保証されなくなっちゃったね。さあ旅立ちのときだ!」
ぼくが起きたことに気づいたのだろう、彼は言った。彼はこの光景を気にも留めていないようだった。なるべくしてなったのだと言っているように。
寝ていた家に着くと彼はぼくを下ろした。家の前には彼女がいた。
「ねえ、この町から出ていくんでしょ? それなら私も連れてって」
喋り方から焦りを感じる。
「どうしてだい? たしかに家を貸してもらったけれども、君を連れていく意味にはならない。むしろ家族とかと一緒に死んだほうが幸せじゃないのか?」
彼の言葉には冗談の色が感じられない。
「私は……私は死にたくない! まだ死にたくないの! 私は――」
「君のことなんかどうでもいい。ついてくるなら役立つことを示してくれるかい?」
彼女の言葉を遮るように彼は言った。静かな声で、しかしその声には面倒なら処理しようという気持ちが篭っているように思えた。彼女はぼくを見る。ぼくは首を横に振った。
「……料理! 料理ならできるわ。それだったらその子も――」
「ご飯は食べられれば十分だ。それじゃあいいかな」
腰横にぶら下げたチョッパーを抜こうとする彼の腕をぼくは思わず押さえた。彼はぼくを見る。この視線ですら人を斬れるのではないか、そう思うほど鋭く光る眼光だ。思わず怯んでしまった。彼はチョッパーを手に持つ。一歩、また一歩と彼女に近づいていく。あと数歩のところで彼女は口を開いた。
「その子を痛めつけずに殺してみて」
「ハハッ、他人を盾に逃げる気かよ」
彼は冷笑を浮かべた。
「仲間を売るやつと一緒に行動しようとは思えねーんだけど。それにこいつは大切なやつなんだ。そんなやつを殺せと?」
「そうよ。ただ大切な子なのは気づいてた。だから、痛みを感じないように殺してほしいの。そのくらいできるでしょ?」
彼はぼくを見る。ぼくは恐る恐る彼女を見た。彼女は懇願する眼を向けてきた。その眼には何かの意図が感じられた。ぼくは思いきって頷いた。
じゃあ……、と彼は構える。
「おれには痛みを抑える術はない。だから……ごめんな」
そう言って彼はぼく頸動脈を斬る。血の流出は早いが、無論痛みはあるし即死というわけでもない。鈍く続く痛みを感じていた。意識が遠のいていく中で見た光景は、回復させようとする彼とそれを止める彼女だった。次第に目も開かなくなり、音も聞こえなくなった。
――はずだったが、まだ意識がある。誰かに呼ばれている気がする。重い瞼を持ち上げると、彼の顔がそこにはあった。
「ね、言った通りでしょ。でもごめんなさい。あなたを殺してしまったのは変わらない……」
彼女は謝ってきた。事態を飲み込めないでいると、彼が説明してくれた。
「クロの脈があるうちに回復しようとしたんだがこいつに止められてほんとに一回殺したんだ。だからこいつを殺そうとしたら急に魔法陣を展開し始めたんだ」
淡々と彼は喋る。
「おれは知らないやつだったから面白いと思って見てたんだ。どのくらい経ったか、魔法陣が消えたら、クロの脈は戻ってたんだ」
要は蘇生よ。そう彼女は口添えした。
「私は、パワーには自信がないし、攻撃魔法は属性が少ないうえに広い範囲に攻撃するのは苦手。けどアシストならできる。回復系だけでなく防御や攻撃に関する援助もできる。それが私が役立てること」
そう言ってこちらを見つめてくる。その眼を彼は見つめ返す。
「うん、おれもクロも蘇生できないし……。それにその眼ならもう少し覚えられそうだし。それにクロも……」
そう言ってぼくをちらりと見ると続けた。
「美味しいご飯食べられたほうが喜ぶだろうしな。顔に出てるもん」
「それじゃあ私もついて行っていいのね」
一瞬顔を綻ばせたが、すぐに顔を戻した。少なくともぼくにはそう見えた。
「ああ、もちろんだとも。それじゃあ、早速出ようか。ここよりかは野宿のほうが安全そうだ」
ちょっと待ってて、彼はそう告げると外へ出る。少しして熱風と赤い光に包まれたあと、肉の焼け焦げた匂いが辺り一面に漂った。決していい匂いではない。外へ出てみると、焼け焦げたモンスターが転がっていた。
「ほら、道を作ったから行こう。来ないと襲われちゃうよ?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべて、モンスターを燃やしていく。ぼくと彼女は各々の荷物を抱えて彼の後ろを歩いた。
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