第13話:梅雨時期の悪夢 その1

 

 翌朝。


「知らない天井だ……」


 僕は藤原さんの家の客用布団で目を覚ました。慣れない布団で寝たせいか、いつもの起きる時間より早い時間の起床だ。僕はひとしきり右肩をぐるぐる回して自身のコンディションを確認した。謎の軟膏のおかげか完治していた。こうなってくると副作用がないのか心配になってくる。ある日突然「かゆ……うま」となる事態だけは避けなければならない。

 

 そして、昨晩ララに捨てられた事で負った心の傷もそれほど深くなかったのか。考えてみれば当然というか。金島沙夜は見た目は美少女でも中身は脳筋ゴリラだ。僕のスネは今でもあの痛みを忘れない。つまり、あの子と同じ屋根の下で寝る機会は僕の死亡日を意味する。そこまで状況を整理して、いつの間にか額にかいていた冷や汗を拭う。

 

 僕から少し離れた位置で寝ていた藤原さんは未だに夢の中なのか、いびきをかいていた。家主の藤原さんを起こさない様、静かに使っていた布団を片付ける。

 

 そして、藤原さんの予備の作業着がずらっと並んだハンガーラックから上下1セット、サイズの合うものを見繕い拝借して着替えてから藤原さんの部屋を出た。

 

 出勤するまでは時間がかなりあるので、社宅2Fのララの部屋へ向かう。ドアに鍵はかかっていなかったので、そのままドアを開けて部屋に上がった。


「おはよう、ララ起きてる?」


 僕が声をかけるとララは起きていた様でこちらへぱたぱた飛んできた。小さなエプロンを着けているので、朝ごはんの支度中か終わったかのどちらかだろう。


「はーい!あ、大輔さん。おはようございます、朝ごはんできてますよ」

「じゃあいただきます!」


 金島沙夜こと合法ロリゴリラは、まだララのベットで寝ているようだ。寝顔だけ見ればこんなに美少女なのに……どうして中身は。これ以上考えるのはやめよう。


 僕の心の平穏と肉体的(主にスネ)にも良くない。僕がララの作った朝ごはんに舌つづみを打っている間も彼女は寝たままだった。朝食を食べ終わる、出勤するのにちょうどいい時間になったので、ララにいってきますをして部屋を後にした。


 社宅から防災センターまでわずか5分の通勤路を歩く。そろそろ梅雨入りなのか、しとしと雨が降っている。


 ビルメンの仕事をしていると室内の仕事が多いので季節感に疎くなってくる。なので、こうして季節を感じる事のできる通勤時間は貴重だ。そんな事を考えてる間に防災センターへ到着した。

 

 いつ自宅へ帰っているのか所長はもう出勤していた。そして寝ぐせをつけたままの藤原さんもだ。


「おはようございます所長、藤原さん」


 各々と挨拶をして朝のルーティンである各センサー類のエラーチェックを行う。すると地下2階層のセンサーに「注意!」と表示されていた。気になったので藤原さんに聞いてみる。


「藤原さん地下2階って、もうモンスター処理の終わった階層ですよね?」


 藤原さんは僕の言葉を聞いて、すごく嫌そうな顔になりながら返事をした。


「今年は地下2階か。大輔君にも前に少し話をしたが、軟膏の正体がこれだ」

「軟膏の正体?」

「あー、俺じゃあ上手く説明できねーな。しょちょー」

「はいはい、あぁ今年もこの季節が来たんだね」


 所長はなんだか嬉しそうな声をしている。なんだ祭りか?何かの祭りが始まるのか。僕は少しだけ期待した。所長がそんな僕に説明してくる。

 

「これは梅雨時期限定モンスターのスライムだよ」

「限定モンスター?」


 いい響きだ。限定と書かれているだけで、食べもしないのに買ってしまう魔力を秘めた言葉。それで僕は多くの後悔をここまでの人生してきた。人はなぜ限定という文字に弱いのか。待て……軟膏の正体って言ってなかったか?つまり……。


「軟膏の正体はスライムなんですか!?」

「「あぁそうだよ(ぜ)」」


 所長と藤原さん、ふたりが声を揃えて返事をした。なんてこったい。まさか食べ物だけじゃなくて医療にまでモンスターの素材が使われているなんて。改めて、ここが僕の知る日本ではないと思い知らされた。

 

 気になるのはスライムの強さだ。僕の知るスライムと言えばモンスター界において最弱。しかし、育てれば最強魔法を覚える程度の知識しかない。……役に立たないな僕の前世チート。そこで聞いてみる事にした。


「スライムって強いんですか?」

「いや弱い、はっきり言って雑魚だ!」

「それなら楽勝ですね」

「あぁ……そうだな。大輔君はまだ若いからな……」


 藤原さんは僕にそう言うと遠い目をしてしまった。一体何があるっていうんだ。まさか合体するのか?キングになっちゃうのか?藤原さんは遠い目をしたまま帰って来ない。その間に今日の業務内容の確認をする。


「所長、今日の業務内容ってどうなってます?」

「今日は定時まで地下をお願いしようかな。地上階の点検は私の方でやっておくよ」

「了解です。藤原さん行きますよ?」

「お、おう。いくか」


 藤原さんは地下へ行く事が決まると、防災センターの端にひとつだけポツンとあるロッカーへ向かい、そこからサンタクロースが手に持っているような大きな白い袋をふたつ取り出した。その袋を手に地下へのエレベーターへ向かう様なので僕も続く。


 地下2階に到着した。エレベーターのカゴから降りる前に、藤原さんは僕に白い袋を手渡してくる。


「何に使うんです?」

「スライムを倒したらこれに入れて地上へ運ぶんだ」

「えっ!? 僕らが運ぶんですか?」

「スライムはかなり重い、大輔君、腰は現役か?」


 この年まで生きてきて、腰関連の病気をしたことは一度もない。僕はその旨を藤原さんに伝えると、「そうか、じゃあ俺が倒れたら頼む……」と言って地下2階に降り立った。


「うわっ! 大量じゃないですか」


 地下2階層は初めて来たが、何処からか照明で照らされているように明るい。そしてグラウンドの様に整備された平地で、その平地に見渡す限りスライムらしきモンスターが大量にいた。


「最近のビルメン辞職ランキング3位にランクインしている、『通称:梅雨のスライム祭り』だ」


 やはりお祭りだったらしい。しかもどこで調べているのか「ビルメン辞職ランキング」なるものまであるみたいだ。でもさっきの話だとスライムは弱いんじゃなかったかな?


 その答えは手当たり次第にスライムを討伐した、1時間後にわかった。


「お、重い。なんじゃこりやぁああ」

「俺も袋が重くて限界だぜ。一度地上へ戻ろうか」


 30ℓのゴミ袋が破れるくらいにボーリングの球を詰めるだけ詰めた様な重さだ。日常生活では、まず担いだ事のない重みが僕と藤原さんに襲い掛かる。これは確かに嫌になる。辞職ランキングの上位2位はこれよりも酷い事が待ってるっていうのか……。

 

 整備されたグラウンドのような平地を袋いっぱいにスライムを詰めた男ふたりがひーこら言いながら、ずるずると袋を引きずり地上を目指す。エレベーター前まで何とか来て、この重さから解放される。そう思った矢先に僕の後ろを同じくスライム満載の袋を引きづっていた藤原さんから悲鳴が上がった。


「ぬおおおおおおおお!!」


 ゴキリッ。何かが折れた様な音が聞こえた気がした僕は、慌てて後ろを振り向く。藤原さんは顔面蒼白で腰に片手を当てた状態で地面に伸びていた。


「ふ、ふじはらさん?」

「おれはここまでみたいだ……先に行ってくれ」

「そんな……。まだスライムはあんなに居るのに……」

「後は、任せたぞ……」

「ふじはらさあああん!」


 藤原さんは祭り初日に腰をぎっくり、やってしまった。藤原さんも自身でこうなる事が事前にわかっていたのか。腰にはサポーターが巻かれていた。しかし、この重さではサポーターもサポートしきれなかったのだろう。R.I.P.……(安らかに眠りたまへ)。

 

 とりあえず、ふたり分の袋をなんとかエレベーターに積み込み(カゴの積載重量ギリギリ)地上へ上がった。地下2階から地上までなので、いつもより到着は早かった。

 

 藤原さんいわく、あの謎の軟膏もぎっくり腰には効き目が薄いらしい。なんてピンポイントな……。とはいえ、藤原さんをこのままにしておくのも可哀そうなので、一度防災センターに運ぶ。

 

 スライム入りの袋2個は、そのままエレベーターホールに置いてきた。あんなの誰も触らないだろうし。仮に触っても、あの重さで持って逃げられる事はないだろうという考えのもとだ。


「所長! 藤原さんが……藤原さんが!」


 防災センターまで藤原さんを担いで行って所長に声を掛けると、所長は「あぁ今年もか、藤原くん」と諦めの表情だ。毎年ぎっくり腰してるの藤原さん!?と驚く暇もなく。僕はある事実に気づいてしまう。それは、藤原さんが倒れた今、僕はひとりでこの仕事を終えなければいけない、という事だ。


「所長……」


 事実に気づいた僕が所長に声を掛けると、所長は「あぁ忙しい、忙しい」と言って防災センターからそそくさと出て行った。あいつ!確信犯だな!逃げやがった。

 

 もしかすると、所長もこの時期はスライムになるのかもしれない。〇ぐれメタルの方だけど。そんなくだらない事を考えていても、仕事は進まない。僕は腰を押さえて悩まし気に呻(うめ)く老人を防災センターに放置して、袋を置いたままのエレベーターホールに戻った。これを地上3階にある『薬剤精製科』まで運ぶのが仕事だ。

 

 その後、お昼休憩になるまで地下と薬剤精製科を往復したか覚えていない。唯一の救いは薬剤精製科の受付をしている女性が美人で、笑顔で「ありがとうございます。助かります」と言ってくれた事くらいだ。

 

 この仕事を梅雨の間、少なくとも藤原さんの腰が治るまでひとりでやる?無理に決まってんだろ!どこかに筋肉自慢はいないのか!?あ、いたわ。

 

 僕は昼休憩の間にララの部屋へ戻ってきていた。金島沙夜は今さっき起きたのか寝ぐせまみれで目はうつろだ。夜行性が過ぎるだろ。僕はベットに腰かけて夢うつつな金島沙夜に頭を下げた。


「僕と地下でデートして欲しい!」


 あ、違ったわ。勢いそのままに言ってから気づいたけど、これ違うわ。目の前の彼女は目をパチクリとしてから、僕の言ったことを理解したのか。


「あら? 押しかけてきてデートのお誘いだなんて。いいわよ、その申し込み受けるわ」


 彼女は少しだけ顔を赤らめて僕にそう言ってきた。まぁ結果オーライだ。果たして世の中の男女がスライム狩りをデートと呼ぶのかは謎だが、そんな事は今はどうでもいい。


 こうして、僕は腰をやってしまった藤原さんに代わり強力な助っ人をゲットしたのだ。

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