第10話:長い資格の名前って覚えられないよね


 防災センターへ向かう道すがら、僕は藤原さんにさっき藤原さんの男性としての命を救った例の軟膏についてその中身を聞いていた。


「あー、あの軟膏な。そういえば、もう7月か……もう少しすればわかるよ」

「もう少しすればわかる?」


 僕のオウム返しに藤原さんはにっこりと意味深な笑顔を浮かべる。そして一言だけ「あぁ、梅雨に入ったらな」とだけ言って黙ってしまった。梅雨時期に入ったら何があるんだろう。それと軟膏に何の関係が?僕が頭にはてなマークを何個もつけて考えている間に防災センターへ着いた。部屋に入ると所長の早坂がいた。


「おかえり藤原くんと山下くん。地下はどんな感じだった?」

「あー、それが今日の地下での記憶がねーんだよな」

「い、いつも通りって感じでしたよ。べ、別段問題はありませんでした」


 地下の記憶がないという藤原さんの話を遮るように僕は誤魔化した。僕が所長へそう言うと、所長は僕に抱えられている女の子に気づいたようだ。


「ところで山下くんが抱えてる女の子は誰?」

「あ、あ、これは、その……」


 一難去ってまた一難。僕は所長の問いかけに詰まってしまった。慌てる僕を更に慌てさせるかのように、僕が抱きかかえていた美少女も目を覚ます。


「ん……んん?あなた誰!私をどうするつもり!離して」


 女の子は僕が慌てふためく間に僕の手から逃れて地面に足をつき自身の足で立ち上がると、周りをキョロキョロと見回した。


「どこ、ここ?それにあなた達は誰なの?」


 女の子の切迫した問いかけに慌てる僕を含め、事情を聞いていない所長も地下の事を丸々忘れている藤原さんも答えられない。とりあえず彼女を気絶させたのは僕だという事は、ぼかして自己紹介も含め彼女へ話しかける事にした。


「こんにちは、僕は防災センターの職員の山下大輔です。君が地下で気を失っていたのでここまで連れてきたんですよ」

「ふーん、それでここがその防災センターって訳ね。だいたいわかったわ」

 

 僕と女の子が話しているのを黙って見ていた所長と藤原さんも今の僕の話で納得したみたいだ。しかし藤原さんは女の子姿を見てさっきまでの自身の記憶が蘇ってきたのか、頭を抱えていた。「あれは夢だったんだよな?俺がオカマ口調だなんて……」そう言っている藤原さんを無視して所長が僕に話しかけてきた。


「あぁそういう事か。でも専用運転にしてるから私たちビルメン以外は地下に行けないはずじゃないかな?」


 所長の疑問は最もで、僕も実際のところ目の前の女の子がどうして地下へ来れたのかさっぱりわからない。僕らのが持つ共通の疑問に地下に降りてきた本人が僕に向かって答えた。


「地下に無理やり降りたのは私の力。それに私は他の人には見えないモンスターの姿が見える」

「他の人には見えないモンスター?」

「そう、私は一言で言えばこの地下のモンスターの主、ダンジョンマスターのモンスターが見えるの」

「ダンジョンマスター?」


 僕の脳内で情報が錯綜する。彼女の言う事を真に受けるならば僕達ビルメンが日々命を賭けて戦う地下には目の前の、目の前の?僕はそこで彼女の名前すら聞いていないことに気が付いた。


「それはそうと君の名前は?」

「私は、金島沙夜(かねしまさよ)小さいからって舐めないで、私はここまで既に2体のダンジョンマスターを葬ってきてる」

「小さいって君小学生でしょ?……って痛い!」


 僕の一言は彼女、金島沙夜のコンプレックスに触れたらしい。僕は彼女が素早く繰り出したローキックをスネに受け痛みに悶える。沙夜と名乗った少女はこちらをジト目で見る。


「こう見えても私、成人したばかりなのだけど……」

「合法ロリきたああああ!……って痛い!」


 僕の異世界日本に来てから一番の雄叫びに、目の前の彼女は僕のスネへの再度のローキックで答えた。僕のスネは前世の日本で何か悪いことをしたのだろうか。こっちの世界に来てから僕のスネは女性からのキックで酷使されている。そのうち松葉杖をつかなければ歩けなくなる日も近いだろう。


「ッ!もう少し言葉を選びなさい。こっちは淑女レディーよ」


 スネを押さえて跳ね回る僕を横目に彼女は僕に向かってそう言うと更に話を続けた。


「いい?あなた達の居た地下何階だったかしら。あの階層には間違いなくダンジョンマスターがいるわ」


 事の成り行きを見ていた所長が口を挟む。


「お嬢さん、沙夜さんって言ったかな。それはわかったけど、どうやって我々ビルメンの職場へ侵入を?」

「あーそれね……」


 彼女は自身の上着をゴソゴソと何か探し始める。そこにはさっきのネコミミ看護師さんのような双丘は存在せず、当然パンドラの谷間は出現していない。僕はそんな自らを金島沙夜と名乗った女性を少し悲しみを込めた目で見つめた。沙夜は僕が悲しい目で見つめているのに気が付いた。


「なによ……その目は」

「……いえ、別に」


 これ以上余計な事をして、スネを蹴られる訳にもいかない。沈黙は金とはよく言ったものだ。程なくして、彼女は探し物を見つけたのか、1枚の免許証のようなサイズの紙を僕らに見せる。


「あったわ!これよ見なさい。フフン」


 そこには彼女の写真が載っており、その上に彼女の名前金島沙夜、そして一番上の資格欄のような場所に「建築物環境衛生管理者」と書かれている。なんだ?この資格。僕は首を傾げた。しかし、所長は驚いたかのように口をポカンと開けてメガネの奥では目を見開いていた。藤原さんはそんな僕らの集まりから外れた場所で、ぶつぶつと呟きながら未だに自身との戦いをしていた。所長が口を開く。


「そ、それは……」

「あら?あまりにも驚いて言葉も出ないかしら?そうよ私は国に認可を受けたビルメンなの」


 国に認可を受けたビルメン……?どういう事だ?彼女の持つ資格はそんなに、すごいものなのか?所長が知っている様な雰囲気だったので、彼女の持つ資格については、所長の口から語られるだろう。そう思った僕は成り行きを静観する事にした。所長は尊敬のまなざしで、彼女へ話しかける。


「あなた様が国に100人しかいないと言われる伝説の……」

「そうよ!……と言っても、私も最近おじいちゃんの後を継いだだけで、駆け出しだけどね」

「お話し中すいません。それってそんなにすごい資格なんですか?」


 静観していても話がいまいち見えてこなかった僕は、所長と沙夜の話へ割り込んだ。彼女と所長は僕の言った事が信じられない、とでも言うような目でこっちを見る。資格のすごさは所長の口から語られた。


「いいか山下君。まずこの資格を得るにはビルメンとして働いて地下で100体のモンスターを狩らなければ、試験を受けることすらできない」

「100体ですか、それなら僕でもいけそうですね」

「それが入口だからね。そしてその後試験を受けるわけだが、最悪『志望者』の半数が『死亡者』に成り代わる試験内容らしいよ」

「えっ!そんな危険な試験なんですか?」


 僕と所長の会話を黙って聞いていた金島沙夜は、そこまで僕らの話を聞くと、こちらに無い胸を、無い胸を! 張って誇らしげに語りだした。僕の邪(よこしま)な視線に気づいた彼女は、再び僕のスネを執拗にいじめる。


「いたっ!ちょ!痛いですって」「私がどれだけ素晴らしいビルメンかお分かり頂けたかしら?」

「わかりました!わかりましたから!僕のスネをこれ以上いじめないで!だいたい何も言ってないじゃないですか」

「あなたの視線が邪(よこしま)なのよ!人のコンプレックスの胸ばっかり見て」

「あ、はい」


 ぐうの音もでない。僕はしばらく彼女のスネ蹴りを受け続けた。しばらく蹴り続けて、気が晴れたのか彼女は僕への執拗なスネキックを止める。あまりの痛みにスネを押さえてうずくまる僕。そこへ自身を取り戻したらしい藤原さんが彼女へ話しかけた。


「よぉ嬢ちゃんよ。それでその何とかって資格を持ってると俺らの職場である地下へ入ってこれるって訳か?無断で」

「そうよ。私はこの『建築物環境衛生管理者』の資格があるから、いつでも、どこでも、私が必要と思ったら地下へ入れるわ」

「あーなんだ、その長ったらしい資格名は……おじいちゃん覚えきれないよ」

「頭に叩き込みなさい!」

「あ、あぁ……」


 さすがの藤原さんも彼女の勢いに押され気味だ。それとも藤原さんの好みの女性ではないのかもしれない。いや、あの胸だと藤原さんは女性と認識していないのかもしれない。僕は、うずくまった状態で彼女の無い胸を見上げながらそんな事を考えていた。すると般若のような顔をした金島沙夜がキッ!とこっちを睨みつけたので、僕は慌てて視線を反らす。もう僕のスネのHPは0よ!


「ゴホン……。という訳で私はこれから地下へ行くわ。さっきは何者かの不意打ちを食らって倒れてしまったみたいだけど、いいわよね所長さん?」

「え、えぇ。お好きにどうぞ」


 所長は彼女に気圧されたみたいだ。それだけ彼女へ言うと自身の椅子に戻り腰かけた。僕と藤原さんは納得がいっていないが、所長が言うなら仕方ないかと藤原さんは諦めの表情である。しかし、一点だけ気になった事があった僕は彼女に聞いた。


「エレベーターで地下に降りるには階層ボタンの下の鍵を開けないと駄目なはずですけど?鍵を持っていないあなたが何故?」

「あーそれね。悪いけど私たち『エリートビルメン』は、あなたのような『ビルメン』とは根本的に違うの。簡単な解錠魔法くらい使えるんだから」

「ま、魔法だと……!」


 魔法という言葉にフリーズしている僕を無視して、彼女は「話は終わり。それじゃあ」と言い残して防災センターを出て行ってしまった。普段の雰囲気を取り戻した防災センター内。しかし、あんな女の子1人を危険な地下へ向かわせていいのか。所長と藤原さんはそれでいいのだろうか?もうすぐ定時となるので帰り支度をしている藤原さんに尋ねた。


「藤原さん」

「ん、どうした大輔君」

「あの、さっきの女の子の事なんですけど」

「あ?あぁ、あの子、女の子だったのか」


 やはり藤原さんは女性として見ていなかったみたいだ。でもそういう事を確認したい訳じゃないので、僕は更に話を続けた。

 

「いや、それはどうでも良くてですね。あの子1人で地下に向かわせてよかったんですか?」

「あぁ所長が良いって言うんだから俺たちが口を挟む事じゃねぇな」

「そんな……」

「話は終わりか?俺はもう帰るぞ」

「はい……お疲れ様でした」


 所長が良いって言うならか……。でもそれでいいんだろうか?僕は今からでも地下へ降りて行った彼女を追いかけることができる。僕のポケットには地下へ向かうために必要なエレベーターの鍵が入っている。所長はいつ自宅に戻っているのか、さっき腰かけた椅子で居眠りをしている。今なら、ばれずに彼女を追う事もできるだろう。彼女を追うべきだろうか?それともこのまま、大人しくララの待つ社宅へ帰るべきだろうか。僕は悩みに悩んで自身の行動を決めた。


 地下に降りた金島沙夜を追う。僕は防災センターを出て地下へ降りるため、エレベーターへと向かった。

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