第5話 死闘の後で



「……ッ!」


 緊張からか呼吸が乱れて息苦しい。僕にできるとしたら、せいぜい時間稼ぎくらいだろう。 そして、その役割を果たせるかどうかも怪しい状況だ。


 ――この怪物は、あまりにも危険すぎる。


 僕の生存本能が全力で警鐘を打ち鳴らしていた。確実に言えるのは、入社して二日目の新人には手に余る案件だ、という事だろう。僕は、知らぬうちに頬に垂れてきた冷や汗を乱暴に袖で拭う。


 オーガはそんな些細な動きが隙に見えたのだろう。その巨体に似合わない速度で、僕の目の前まで詰め寄ると手にした鉄棍を振り回してきた。


「うわっ!」


 躱した、というよりも腰を抜かしたという表現が近いかもしれない。僕は、振るわれたオーガの鉄棍に驚いて尻もちをついた。鉄棍は、その頭上わずか数センチの所を通過していっただけに過ぎない。慌てて、尻もちをついたまま後ずさりする。


 こんな奇跡も二度は続かないだろう。仮に、あの鉄棍に触れでもしたら、その瞬間に僕は間違いなく死ぬ。

 ならば、なりふり構わず逃げるべきだろうか。……この仕事の先輩であり、今は気を失っているだろう藤原さんを置いてでも……。



「…………」



 ……それはできない。そんなことをすれば、藤原さんはどうなる? この怪物に美味しく頂かれるに違いない。そんな事になれば、僕が自分自身を許せなくなる!



 ――ならば、自身の命を賭して分が悪いとしても賭けにでるしかない!



 無様な尻もち状態から立ち上がると、不思議とさっきまでの緊張はなくなっていた。 「……ふぅ」

 大きく深呼吸をして、気持ちを整える。 大丈夫だ。僕は、僕にできることをやるだけだ。


「よしっ!いくぞ!」


 誰にあてるでもない言葉を呟いて、僕はオーガに向かって走り出す。オーガも僕を待ち構えるように鉄棍を振り上げた。

 周りの景色がスローモーションで流れていく。僕のこれまでの人生が走馬灯のように脳内を巡った。


――――もしかすると、ここで僕は死ぬのかもしれない……。でも藤原さんの為にも、こいつは倒さなければ……。


「うぁああああ!」


 僕が精一杯両手で振るった木製バットと、オーガが片手で振るう鉄棍が正面からぶつかり合う――――その直前、不思議なことが起こった。視界に映っているオーガの鉄棍の中心辺りに小さな光の玉が見えたのだ。

 

 ……これは一体? 突然の事に僕は動揺するが、元々が分の悪い賭けなのだ。僕は、普段なら神様という存在は全く信じない。しかし、人生の最後になるかもしれない瞬間くらい神様を信じてみてもいいだろう。僕は迷わずその光の玉に木製バットを振るった。


 例えばの話になるが、道行く小学生に『木と鉄はどっちが強い?』と尋ねたら十人中十人が『鉄です』と答えるだろう。 ――我ながら、馬鹿な最期だな……。そう僕が考えている間にも分の悪い賭けは進んでいく。


 通常ならば、僕の木製バットは相手の鉄棍に圧し折られ、僕も同様に圧し折られて勝負が決するのだろう。――しかし、目の前の現実は違った。僕の振った木製バットは、オーガの鉄棍を中心ほどから切れ味のいい刃物で引き裂いたかのように両断し、ついでに持ち主であるオーガまで真っ二つにしたのだ。僕はその事実を認識できず、呆然としていると、背後から声をかけられた。



「よぉ……大輔君。それが『スキル』ってやつなのかぁ?」



 振り向くと、そこには先ほどまで気を失っていたであろう藤原さんがいた。僕は自信がほんの少し前に行った現実に思考が追い付かないまま、ただ茫然と藤原さんに返答する。


「……どこも怪我とかないんですか?」

「あぁ……あばらは何本かいったがな。これくらい、この仕事をしてれば普通だ」


 藤原さんは自身の怪我はどうでもいいかのように言葉を続けた。その表情は鬼気迫るものがあり、顔の各所に皺が寄っているのが見えた。しかし、その吐息は虫の息であり、今にも倒れてしまってもおかしくないように見えた。


「……大輔君。さっきのオーガとの死合で『スキル』を得たんじゃねーか?それなら俺にもそのコツ…………」


 そこまで言ったところで、藤原さんは突然倒れた。オーガが倒れて以後、静寂を守っていたであろう地下に『ドシンッ!』と藤原さんが倒れる音が響く。


「藤原さん!」


 思えば、今日という日はこの人の名前を呼んでばかりだな……。

 そう思いながら来た道を引き返し(……確かにモンスターの死体は道しるべになる) 地上へ続く唯一のエレベーターへ藤原さんを担いでいく。レスキューの訓練を積んでいればどうという事はない救命のワンページだろう。こちとら、設備屋として前世では、無機質な機械を相手に仕事をしてきた人間だ。人間一人の命というのは僕の身に重くのしかかった。どうにかこうにか、藤原さんと僕がエレベーターの籠まで来たのが現実である。


 僕は、全身汗だくになりながらも、僕と救命相手である藤原さんをなんとかエレベータの籠内に乗せた。エレベーターは、自らもそうしたいと願っているのかモンスターのいない、安全な地上へと昇り始めた。


 ……入社二日目で他人の内面まで見えているとは言い難いが、藤原さんの印象は後輩に優しい好々爺という感じだった。なので、僕は藤原さんの事を、先ほどのような『鬼気迫る』といった表情とは無縁の人だと思っていた。……そう考えている間にもエレベーターは、僕らを安全な地上階へ運んでいく。


 ――藤原さんにも、こんな危険な仕事を続けてきた理由があるのだろうか?


 そんな僕の考えを地下に置き去りにするようなスピードで無情にもエレベーターは黙々と太陽の当たる地上を目指した。

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