黒宮零が生きる意味

『……アウナス。ソロモン七十二柱における炎の化身か』


「そうそう。……まあ、言い伝えられてるそれと全く同一の存在かって言われたらそうじゃないんだろうけどね」

 

 ナベリウスの確認に首肯して、零は淡々とそう付け加える。それは普段の無気力からくるものではなく、燃え盛るような感情を抑え込んだ結果の声色だ。……炎の化身に対して、零はどうしようもないくらいに大きな憎しみの炎を燃え滾らせていた。


「悪魔の中でも、炎を操るタイプの物はそう多くない。独占市場とでもいうべきか、よっぽどの専門家じゃないと操れないんだよね。……だから、火災事件に悪魔憑きが絡んでるってだけで大体の想像がつく」


『……ああ、だから写真を見た瞬間にいきなりやる気を出したわけだ。火事を巻き起こす悪魔がどいつかなんて、大体想像がついてるんだから』


 あれほどまでに飲みたがっていたピーチティーを先送りにしてまで零が腰を上げた理由を、今更ながらにナベリウスは察する。……つまるところ、あの写真に零は影を見たのだ。……黒宮 零の人生を根底から変えた、憎むべき対象の影を。


「そうそう、後は誰に憑いてるかを突き止めるかだけだよ。……そこまでやって数少ない別の悪魔を引き当ててたら、私は思いっきり不貞腐れるけど」


 そうならないことを祈りたいね、と零はいたって平然を装ってそう締めくくる。……だが、ナベリウスから見ても分かるほどに今の零は普通ではなかった。


 零がそこまで感情をあらわにする理由を、ナベリウスは知っている。……聞くならば今しかないと悟って、ナベリウスは重い口を開いた。


『……あれからもう、十年なんだな』


「………………うん、そうだよ。あっという間に十年がたった。私はたくさん背が伸びて、たくさん賢くなった。子供だった私も、今や大人の美人なお姉さんだ」


 つややかな黒髪に手を当てながら、零は冗談めかしてそう答える。普段ならば茶化してやるところだが、今だけはそんな気も起きない。人間のデリカシーとやらに疎いナベリウスにも、それくらいのことは理解できた。


「……だけど、私の中にある炎は消えてない。願いも何も変わってない。……不思議だね、もう遠い出来事のはずなのに」


『燃料がある限り、一度大きくなった炎が消えることはねえよ。……そんでもって、今のお前の心の中から燃料が無くなることはねえ。……その燃料がアウナスだったってのは、今初めて知ったけどさ』


 小さな笑みを浮かべる零に対して、ナベリウスは一切笑みを浮かべることなく言葉を返す。間違っても、ナベリウスが笑っていい話だとは到底思えなかった。


 零とナベリウスが縁を結ぶきっかけとなったあの日のことについて、ナベリウスは意図的に情報を取り込まないようにしてきた。何度か調べ物をしていたのは知っていたが、それ以上のことを知ろうとしなかった。……それが零のためになっていたかは、全く定かではないけれど。もしかしたら、ただナベリウスの自己満足でしか中田のかもしれないけど。


『……皮肉な話だな。お前から何もかもを奪っていった奴が、今のお前の生きる理由になってるだなんて』


「……………そうかもね。私が生きるのは、アウナスを殺すため。アイツへの殺意だけで、生きる理由の半分くらいは構成されてるかもしれない」


 ゆっくりと目を瞑って、零はそんな風に呟く。まぶたの裏に映るのは、いつだってあの燃え盛る景色だ。全てを奪っていったあの日に見た、地獄のような――いや、地獄そのものの景色。あれを地獄と呼ばないのなら、この世界の全ては地獄ではなくなってしまうだろう。


『……おう、そりゃご大層な事だな。……それじゃ、残り半分は?』


 零の痛ましい声を聞きながら、ナベリウスは問いを重ねる。復讐だけが全てでないことに安堵しながら、答えの分かり切っている問いを投げかける。……それに、零はふっと笑みをこぼしながら答えた。


「……もう半分は、君が間違いなく覚えている事だよ。……あの日君に願った日から、それはずっと変わってないから」


 道行く人に聞こえないようにか細く、しかししっかりとした声で零はナベリウスの問いに答える。それが期待通りだったことにひとまず安堵しながら、ナベリウスは小さく息を吐いた。


『……おう、それなら上出来だ。仮に復讐を果たした後に燃え尽きられたら、俺としてはやってられないからな』


「……うん、大丈夫だよ。あの日のことは全部覚えてる。辛かったことも、痛かったことも、熱かったことも、死を覚悟したことも――」


 目を瞑ったまま、零はナベリウスの言葉に答えを重ねていく。その度にまぶたの裏に映る景色は鮮明になっていって、その時に感じた絶望感が胸の中に蘇って来る。それは一人の少女には決して覆せないもので、あらゆる人間の心を折るには十分すぎた。


 だが、零はその絶望を対峙してなお生きている。生きて、この世界に立っている。明確な生きる意味と、一つの契約を縁にして――


「……あの夜に君と出会ったことも、全部覚えてるんだよ」


 ――あの日聞いたヒーローの声を思い返して、零ははっきりと口にする。久しぶりに引っ張り出されたことを喜ぶかのように、零の意識は遠く十年前――警察組織の間では『二千年代に入ってから最悪の失敗』と呼ばれる火災事件の起きた夜へと誘われていた。

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