ぬいぐるみ王子と星の瞳

ろくまる

ぬいぐるみ王子と星の瞳

「き、ら、きー、ら。ひーか、る、おーそ、ら、の、ほーし、よ……♪」


 小さな、可愛らしい歌声が響く。歌うのはまだ10にも満たない、少し乱れた黄金の髪に少し丈の短いワンピース姿の少女だった。

 誰かに教わるでもなくただ遠くから聞こえたものを歌うだけの拙い歌は、褒められる事なくむしろ眉をしかめられるだけの存在だ。少女も何年もこの古びた塔の上で暮らしているから、世界が寝静まり誰も彼女を訪ねない夜に歌っているのである。


 ──少女の生きる世界には「魔術」というのが存在する。それを用いれば誰でも思う通りの事が出来る、夢のような技術だ。

自分の中にある魔力という力を使って魔術を通して……と聞くと難しくなってしまいがちだが、要は魔術とは道具と同じだ。例えば大木を切りたいのなら、道具として刃物を使うのと同じように魔術で圧縮された空気を使う。

 しかし、その道具を使わずに大木を切り倒せるとしたら? 大木ならずとも森を全て切り伏せてしまう事が出来たら? ……魔術にはそれと似たような「魔法」と呼ばれる、強大で畏怖するべきとされているものがある。魔術にはない、人智を超えた力。それをいとも容易く使えるのが魔法だ。

 少女は、生まれついてその「魔法」がしてしまっている。

 それも「他人の心が見える」という魔法だ。


「お星様、今日もアリスのお歌聞いてくれて、ありがとうございます」


 不意に少女、アリスが目を開ける。その瞳は、彼女の目の前に広がる夜空に浮かぶ、星のような模様が浮かんでいる。宝石にも見られるようなその12本の光が交差した線のようなものが浮かぶこれを昔から「星の瞳」と呼ばれていた。

 この瞳を持つ者は空の星が世界を見下ろすように、相手の心が見えるのだ。望むのなら全て見えると文献では伝わるものの、アリスの前に同じ瞳を持つ者は実に三百年以上も前の事だった。

 しかし「星の瞳」は今のアリスのように、国王や魔術の研究者の手によって幽閉されるので、本当に三百年前なのかは分からない。


「アリス、お星様がいるからさびしくありません。でも……ひとりぼっちは、寒いなぁ」


 アリスは体を丸めて、そう呟いた。

 彼女の両親は生まれてきたアリスの瞳を見て気味が悪いと思い、領主に捨てるなら良い案が無いか相談した。領主はアリスが特別な子供だと分かると、両親に数ヶ月分の増税と引き換えてアリスを国王の元に渡して大金を手にしたという。

 ただの平民のアリスなら、最低限の衣食住の保証された今の生活は無かったかもしれない。しかしそれでも、広大な世界を目の当たりにする事と絵や魔術の投影で外を見る事、どちらがアリスにとって良かったのだろうか。

 アリスは、まるで飼育される肉食動物のような扱いだ。

 日中は常に目隠しする事でアリスの暮らす塔に、アリスのお世話をする女性達がやってくる。アリスを布で拭ったりしてくれるものの、目隠しを外さねばならない時は彼女達が恐れているのをアリスは知っている。

 そうして、アリスは国王からいつか呼ばれる日を待つ。国王の敵の心の内を読まねばならない、その日まで。


 ──アリスが胸の辺りに痛みを感じていると、突然窓に布で作られた人形がふわりと浮かんだ。満月を背負うその姿は、まるで月からやってきたようにすら思える。


「だぁれ?」


 形は「うさぎ」、布で作られているから「ぬいぐるみ」だとアリスは絵本を読んでいて分かったものの、普通は動かないはずだと考えて、アリスは窓を開けてうさぎを中に招き入れた。

 うさぎはアリスより綺麗で立派な服を着て、ゆったりとした動きでアリスの目の前にやってくる。


『お嬢さん、はじめまして。星の美しい夜ですね』

「えっ、う、うん。はじめまして……?」


 アリスは声というものをあまり聞いた事は無かった。だが目の前のうさぎは、不思議な声をしているように聞こえた。しかも、意思があるはずの相手の心が見えない。

 アリスから見える心は、文字だったり色だったり映像の記憶だったりする。それを知っている国王はアリスに勉強はさせたが、遊びはさせなかった。だから、。むしろ絵本やお伽話のぬいぐるみは動いて喋るので、違和感は抱かなかった。

 ぬいぐるみは布と綿で出来たものである、という知識はあっても実際にそうだと知らなかったのだ。


「あなたは、うさぎ、さんで、合ってる? ぬいぐるみ、なの?」

『うーん……僕の事はただのうさぎでいいよ。お嬢さんの名前も、教えて』

「アリスだよ!」


 アリスは嬉しくて思わず声が大きくなってしまった。名前を教えて、と言われるのは初めてだったからだ。やってくる人は皆、彼女の事を分かった上で会う人だから名前を伝えなくて良くなってしまう。そのため、名乗る事がひとつの憧れでもあったのだ。

 うさぎによってひとつ憧れが叶ったアリスは、うさぎへの親しみが上がった。それに目隠ししなくても怖いという心が見えない、それだけでもアリスは嬉しかった。


「アリスは、アリス。うさぎさん、いっぱいお話して?」

『もちろん。僕は朝がやって来る前に帰ってしまうけど、次の満月にもお話してくれる?』

「満月……うん、分かった! 満月の夜、窓を開けるね」


 ──こうして、アリスは友達を得た。

 夢のあるお伽話にいつもより難しいお勉強、絵や映像だけでは伝わらない外の世界の事。アリスの塔の上の質素な世界は、満月の夜だけ「うさぎの王子様」が彩る美しい世界になった。



 それから8年もの月日が経った。

 うさぎに習ったマナーや知識を身につけ、アリスは立派な18歳の淑女になった。相変わらず質素な生活をし満月の夜を楽しみに過ごす毎日ではあったが、うさぎの王子様が普通ではない事を分かりつつある。

 彼はぬいぐるみを魔術で操ってアリスと交流してくれる。そこに何かの意図があったとしても、アリスには関係ない。

 だって彼は、アリスにとって唯一心の内を晒せる相手だから。

 ──しかし、出会いがあれば別れがある事を、その時が来るまで彼女は忘れていたのだ。


『アリス、僕は……もう君に教えられる事は無くなってしまったね』

「そうかな? うさぎさんはいつも私の知らない事を、外の世界を肌で感じさせてくれるから、本当に嬉しいよ。もうすぐこの国がお隣の国によって消えてしまうのだって、貴方が教えてくれたから怖くないの」


 明日は隣国、帝国によってこの王国は事実上消えてしまう。

 国王ら王族が民を税などで苦しめ、大切な人達を守るため帝国と協力した貴族と民によって、王政は崩壊した。王家で何も知らされていなかった11歳になる第二王子が次代の王となり、王太子や国王はもちろん、王妃に側妃と姫達もそれぞれ死刑や魔力を封じるなどの社会的に重い罰を課せられる。

 帝国はこの第二王子の教育のため、第三皇子を派遣すると発表した。第二王子が王太子となるその日まで政治も皇子が務める。つまり、王国は帝国の属国になるのだ。

 幸いにもアリスは能力を使う事なく、帝国にも気付かれる事なく、平穏無事に最後の日を過ごしている。アリスはお世話をしてくれる女性達が今日までよく世話をしてくれたな、と不思議には思いこそしたが、平穏だ。


「うさぎさん、ありがとう。もし何も知らないままなら、明日この塔から出て酷い扱いを受けるとしても……悔いはないの。今日までお世話をしてくださった人達が、私を処刑する為に人員を変える事なく私が逃げないようにしていたとしても、憎まずにいられる」

『アリス……逃げたい、とは言わないんだね』

「ええ、逃げたらきっと彼女達が咎められる。それは出来ない。だってここまで私が生きられたのは彼女達のおかげなのよ? だからこの目の力を酷使させられる生活が来ても、殺されるとしても、逃げない」


 むしろ、何もせずここに閉じ込められて苦しまなかった平民という意味では、自分も罰を受けるべきだとアリスは考えた。

 自分がここで苦しまず生きていたから苦しんだ命がある、アリスにそう考える機会をくれたのは目の前のうさぎだ。


「大丈夫、貴方が教えてくれたもの。世界は怖いとか嫌いとか以外にも、あるって」

『そっか……アリス、明日はきっといい日になるよ。君が、


 うさぎはそう言って窓へ飛び出して、手を振って行ってしまった。

 アリスが、さようならを言う前に。


 次の日の朝、アリスは世話をする女性の手を借りて目隠しをしたまま初めて塔を降りる。運動というものをした事がないからか、階段を降りるだけで一苦労だ。

 塔を出ると、柔らかな踏み心地の床にアリスは驚いてしまった。これが彼女にとって初めての「土を踏む」という経験だった。うさぎが教えてくれたそのままの土の感触に、アリスは嬉しくて涙が落ちる。

 アリスの心には、あの小さなぬいぐるみの王子様がずっといるのだ、とあたたかな気持ちになったのだ。

 人の手を借りて初めて王城へ行き、アリスはこれまたふかふかの椅子に座らせられた。濃い花の香り、たくさんの人が周りを歩く音、触った事のない布の椅子。アリスの耳に入室を知らせる人の声がするまで、短い時のように思えた。


「──貴女が、「星の瞳」のアリスか」

「はじめまして、見知らぬ方。私の事はよくご存知のようですね」

「報告だけだ。だから、その目隠しを外してもらえないか。本当に相手の心を読む力があるのか知りたい」


 アリスは目隠しを外し、ゆっくりと目を開ける。

 そうして、アリスは相手に目を向けて──驚いた。


「──うさぎ、さん?」


 紅茶のような優しい茶色の髪、月のように優しい光を灯した緑色の瞳。そんな相手の男の周りに浮かぶ「うさぎの王子様」の姿。それに合わせて見える幼い自分の笑顔に、愛おしい、この時を待っていた、という文字。

 アリスは、戸惑いを隠せなかった。目の前にいるのが、そのだと分かってしまったから。


「この姿でははじめましてだね、アリス。僕は帝国の外交官であり、第三皇子殿下の側近の一人、ヘンリー・ホワイトです。やっとこの姿で会えて光栄です、お嬢さん」

「うさぎさ……ヘンリー、さん。その、どういう事なのでしょうか? 貴方が帝国の方なら私の事は邪魔なはず、では──」

「僕は国の為に君にコンタクトを取った訳じゃない。ただ、君を知りたかった。塔の上で誰も見ないようにされた、女の子を」


 ヘンリーの父も外交官でそれに付いて行った8年前、迷子になった彼が見つけたのは塔から出てくる女性達。彼女らが「人の心を見る気味の悪い少女」の話をした事で、ヘンリーは父に報告した。そして、どんな少女なのか見たくて、妹へのお土産にと買ったうさぎのぬいぐるみを操ってアリスに接触した。

 5歳年下の彼女に妹を重ねたヘンリーは、第三皇子の側近となる事を条件にアリスとの逢瀬を許された。ヘンリーも後で知ったが、本来なら大切にするべき「星のアリス」が飼い殺しにされている現状を知った皇帝が、彼女だけでも守れるようにと帝国の諜報員を少しずつ世話係の女性と護衛に混ぜ、完全に帝国の関係者に固められたのは4年前だった。王国がアリスの力を使おうとした時は帝国へ引き込む算段だったのだ。


「では、彼女達は、むしろ私を守って……?」

「彼女達は騙してすまなかった、と言ってたよ。アリスが自分達の、民のために死ぬ覚悟があるって言ってたから、申し訳なかったみたいでね」

「それは、申し訳ない事を……でも、私は今でも気持ちは変わりません。平民の身でなんの苦労もなく過ごしていたのですから、」

「苦労はしてたじゃないか、寂しいっていう」


 ヘンリーはアリスの隣に座って、そう微笑んだ。そんな彼に、アリスは驚きつつも微笑み返す。


「それは、貴方がいたから問題ありませんでした。私の大切な、うさぎの王子様が守ってくれたから、寂しい思いはしなかったんです」


 アリスはヘンリーの手に触れた。ずっと、知りたかったぬくもり。ふわふわじゃない、ごつごつとした手。

 自分を救った、人のぬくもり。


「でも、僕はこれから君を苦しませてしまう。それでも、いい?」

「苦しませる、?」

「──僕と、結婚してもらうんだ。第三皇子殿下の部下の妻となれば、君の安全は保障される。断るなら君の身柄は拘束されて、帝国のどこかで同じような生活を、送ってもらう」


 結婚。それはお伽話のおしまいで、幸せの象徴。しかしヘンリーの声色は幸せではなさそうだとアリスは頭を悩ませた。

 ヘンリーはアリスと一緒にいたくないのだろうか。そうアリスが俯いた時、昨夜の彼の言葉を思い出す。


「『……アリス、明日はきっといい日になるよ。君が、』そう、貴方は言いましたね。ヘンリーさんは、私と一緒にいてくださいますか?」


 今度はヘンリーが驚く番だった。そして、真剣に答えた。


「僕は、アリスを幸せにするよ」

「なら、私といてください。うさぎさん」


 ──そうして帝国に長く語り継がれる事となる恋物語が終わりを告げ、世界で語り継がれる幸せな夫婦の逸話が続く事に、なる。

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