わた毛ちゃん、海を渡る

 春菜が五才のとき、引越しをすることになりました。もうすっかりお姉さんですから、しっかりお母さんの手伝いをしています。


「お母さん、これはここに入れていったらいいの?」

「ありがとう。助かるわ」


 そんな春菜の様子を、たんぽぽちゃんとわた毛ちゃんは、棚の上から見ていました。いつもなら抱っこしてお話してくれたり踊ってくれたり、たくさん遊んでくれるのに、今日は全然相手にしてくれません。


(つまらないな。ちょっとくらい遊んでくれてもいいのにな)


 わた毛ちゃんは、一本わた毛をプランプランと揺らしました。


(春菜ちゃん、大きくなったわねぇ)


 たんぽぽちゃんは、灌漑深く春菜の動きを見つめていました。


 トラックに荷物を積み終え、最後に春菜はたんぽぽちゃんとわた毛ちゃんを抱えて荷台に乗り込みました。走り出してしばらくすると、春菜はうとうと居眠りをはじめました。ガタゴト揺れる振動がここちよかったのです。

 

「春菜。着いたわよ」


 お母さんに起こされ、寝ぼけまなこでトラックから降りた春菜は、腕に抱えているのがたんぽぽちゃんだけなのに気づきました。


「お母さん! わた毛ちゃんがいない~!」


 わた毛ちゃんはどこを探しても見つかりません。もしかすると、トラックから転げ落ちてしまったのかもしれません。


「どこで落ちたのかわからないから、探しようがないわね」


 お母さんの言葉に春菜は大泣きしましたが、しっかり抱えていなかった自分が悪いのでしかたありません。なくなってしまったのですから、犬に噛まれたときのように直すこともできません。


(春菜ちゃん、元気を出して)


 春菜は何日も何日もふさいでいましたが、黄色い笑顔のたんぽぽちゃんがなぐさめてくれたので、少しずつ元気をとりもどしました。





 わた毛ちゃんを拾ったのは、青い目に金髪の春菜と同じ年頃の女の子でした。女の子はトラックから落ちるところを見たのですが、トラックはあっという間に走り去ってしまったのです。


(落ちちゃった~! どうしよう!?)


 焦るわた毛ちゃんを女の子はじっと見つめ、それからトラックの去っていった方向を見ました。そして小首をかしげて少し考えた後、わた毛ちゃんを自分のかばんにしまいました。


(え? ええ? 何かに入れられた? 真っ暗だよ。どうしたらいいんだろう?)


 いい解決案が出ないまま暗いところに閉じ込められたわた毛ちゃんが、外に出してもらえたのは丸一日たってからでした。まぶしい光とともにぱかりと開けられたかばんの口から、女の子がのぞきこんでいます。そしてにゅうっと手を伸ばし、わた毛ちゃんを自分の目の高さまで持ち上げ、ぶら下がっている種を指ではじきました。


「やっぱりあなた、たんぽぽのわた毛なのね。とってもキュートだわ」


 ぎゅうっと抱きしめてキスをされ、わた毛ちゃんは戸惑いました。


「私、この旅ではお友だちがいなくて寂しかったの。仲良くしてね。ほわほわちゃん」


 女の子はわた毛ちゃんの向きを変えて、前に突き出しました。


「ほら! 見て! ほわほわちゃん。海よ。見たことある?」


 わた毛ちゃんの目の前に、真っ青な水平線が広がっています。初めて見る海です。きらきら輝く濃い青の水面と薄い水色の空。


(うわぁ~。すご~い。これが海か。春菜ちゃんが絵本で見せてくれたことがあるけど、こんなに大きいとは思わなかった)


 風がびゅうっとわた毛ちゃんを撫でていきます。ふと気がつくと、わた毛ちゃんを抱いた女の子が立っている地面は揺れているようです。


「この船はね、これからアメリカまで行くのよ。アメリカって知ってる? すっごく遠いの。私、退屈で死んじゃうと思ってたから、あなたと出会えて本当にうれしいのよ」


 女の子がわた毛ちゃんに頬ずりしたそのときです。


「マリー!」


 背後から女の人の声が聞こえてきて、わた毛ちゃんを持つ女の子の手がピクンと動きました。


「その羊のぬいぐるみはどうしたの? どこから持ってきたの? そんなの持ってなかったでしょう?」


(この子の名前はマリーっていうのか。ぼく、羊じゃないんだけどな)


 そろりと振り返りながらわた毛ちゃんを後ろに隠したマリーの背中で、わた毛ちゃんはこっそり呟きました。


「見せなさい」


 マリーはゆっくりとわた毛ちゃんを前に出しました。


「勝手に誰かの物を持ってきたらダメでしょう?」


 女の人がたしなめます。


「あのね、ママ。引越しの荷物をたくさん積んだトラックから落ちたの。引越しなら、もう戻ってこないでしょ? 持ち主のところへ戻れないなら、きっとごみにされちゃうと思ったの」


 マリーは一気に言った後、小さな声でつけくわえました。


「……だから、ごみにされちゃうなら、私が連れてきてあげようと思ったの」


 ママはわた毛ちゃんに視線を落とした後、マリーの目をじっと見ました。


「引っ越しトラックからの落とし物だったの?」


 腕を組んでしばらく難しい顔をしていたママは、ふうっとため息をつきました。


「仕方ないわね。もう返しようもないんだし」

「ママ! ありがとう!」


 マリーは小躍りして喜んで、わた毛ちゃんをママの目の前に差し出しました。


「あのね、この子、ほわほわちゃんっていうの。羊じゃあないの。たんぽぽのわた毛なのよ。だからきっと旅にでたかったんだと思うの!」


 こうしてママの許可を得たマリーは、堂々とわた毛ちゃんを抱いて船中を探検しました。天気のいい日は甲板にでて遊び、雨の日は船室でおままごとをしたり絵本を読んだりしました。長い長い船旅の間に、二人はとてもよい友だちになりました。

 最初のころ、春菜が恋しかったわた毛ちゃんでしたが、マリーとすっかり打ちとけてからは、寂しさをあまり感じなくなりました。


(ぼくはわた毛だから、旅に出る運命だったんだ)


 わた毛ちゃんは、そう思えるようになってマリーとの旅を楽しむことに決めたのでした。

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