ぬいぐるみ保護局

青キング(Aoking)

ぬいぐるみ保護局

 フリーのルポライターである僕が受けた今回の仕事は、ぬいぐるみ保護局という団体代表者への取材だった。


 そもそもぬいぐるみ保護局とはなんだろう、と無知だった僕が代表者へ会う前にざっと調べてみたところ、処分される前のぬいぐるみを保護し次の受け取り手を探す、ことが主な活動のようだ。


 事前に団体にアポを取り、代表者の鵠沼寿人さんの都合の良い日を指定してもらい団体本部からほど近い喫茶店に取材の場を設けてもらった。

 取材当日、待ち合わせ喫茶店を訪ねると店の最奥にある壁際の席に聞き知られていたタートルネックのニットを着た男性が座っており近づく。


 鵠沼さんですか、と一応確かめると、板倉さんですか、とあちらからも名前の確認を受けた。

 板倉です、と名乗ると、どうも鵠沼ですと礼儀正しく頭を下げてくれる。


「今日はお忙しい中取材に応じていただき、ありがとうございます」

「いえいえ。ぬいぐるみ保護局の存在が少しでも皆に知られるところとなればこちらも幸いですから。取材依頼に感謝しています」

「それでは、早速」


 取材を始めようとメモ帳を取り出しながら向かいの席に座ろうとした僕に、鵠沼さんは温和な笑みを向けてきた。


「板倉さん。ぬいぐるみはお持ちかな?」

「……いえ。持っていないですけど」


 正直に答えた。

 相手に阿るために嘘を吐くのは、後々に無知が露呈してかえって失礼になってしまうケースがある。

 僕の返答を聞いた鵠沼さんは、手ぶりで座ってくださいと促す。

 言われるまでもなく座るつもりだったが、どうもと返してから席に腰を下ろした。


「板倉さんはぬいぐるみについて何か思うことはあるかな?」

「特には。人並みには可愛いぐらいには思いますけど」


 質問したいのはこちらなのだが、と思いながらも受け答える。

 鵠沼さんはこくりと頷き、口の端を上げて微笑んだ。


「一度、触れてごらんなさい」

「はあ」

「持ち合わせのぬるぐるみがあるので、こちらでも」


 鵠沼さんはそう告げると、足元に置いていたボストンバッグから白熊を小さく愛らしくしたような座位のぬいぐるみを取り出した。

 白熊のぬいぐるみをテーブルの上に置くと、ぬいぐるみの頭を軽く撫でる。


「このぬいぐるみは?」

「これは自分がぬいぐるみ保護局を創設するきっかけになったぬいぐるみです」


 答えながら愛おしそうに細めた目で白熊のぬいぐるみを撫でさする。

 そのきっかけ、とは尋ねる前に鵠沼さんは撫でる手を止めて目線を僕に据えた。


「このぬいぐるみ。もとは拾い物なんですよ」

「拾い物。どこで手に入れたんですか?」

「十八の時に近所のゴム捨て場でこの子は捨てられていたのです。今よりもだいぶ薄汚れた状態でね」

「何故、拾おうとお思いに?」

「あまりにもひどい有様で放っておけなくて。ほら、捨て犬と捨て猫を見つけると気になっちゃうでしょ。あれと似た感じです」

「犬や猫は世話をしなければいけませんが、ぬいぐるみは必要ないですからね」

「そうですね。やるとしても洗濯や手入れぐらいです」


 自然と話が弾んでいく。

 鵠沼さんは満足そうな様子で喋り、僕の質問にも柔和な笑みを浮かべたまま答えてくれる。

 質問がぬいぐるみ保護局の最近の活動について移った時、鵠沼さんが何か思い出したように手を顔の前に出して僕の言葉を遮った。


「板倉さん。質問の前にあなたにしてもらいたいことがあります」

「なんですか?」

「ぬいぐるみとの対話です」


 もしも鵠沼さんのぬいぐるみへの愛着を知らなかったら、訳が分からず訊き返していただろう。

 しかし鵠沼さんの話を聞いていたから、ぬるぐるみとの対話と訊いてすんなりと理解できた。


 鵠沼さんはバッグからもう一つぬいぐるみを取り出しテーブルに置いた。

 垂れ目が印象的なネズミのぬいぐるみだった。

 ぬいぐるみの顔をこちらに向けて僕の目の前で移動させる。


「ぬいぐるみに悩みを打ち明けてください」

「はあ。悩みですか」

「何でも構いません」

「そうですか。では……」


 原稿料が安いんですよ、と僕はおおよそぬいぐるみに聞かせるものじゃない悩みを打ち明けた。

 ぬいぐるみは何も答えない。


 そりゃそうだ。

 けれども何故かぬいぐるみを見つめていると、自分はそんなことを悩んでいたのかと馬鹿馬鹿しく感じてきた。


「どうです。少しは楽になりましたか?」

「楽になったというか馬鹿らしく感じてきたというか」


 そうでしょう、そうでしょう、と鵠沼さんは僕の返答を予期していたように嬉しそうに肯定した。


「ぬいぐるみに聞いてもらう、という行為は悩んでいるときには効果的だと思いますね。解決にはならないかもしれませんが、ぬいぐるみを愛らしさを前にすると大丈夫を言われているような気がしてくるはずです」

「確かに。一人で悩んでいるよりかはよっぽどマシかもしれません」


 鵠沼さんの意見に同意する。

 ぬいぐるみ仕舞いますね、と告げてバッグに戻してから鵠沼さんは続ける。


「ぬいぐるみには一種の癒し効果があると私は考えています。ですから、処分されるより誰かに癒しを与えるために保護局を立ち上げ、運営しています」

「そうでしたか。これでおおよそ聞きたいことは聞けたと思います。ありがとうございました」


 とりあえずこれで原稿をしたためるだけの質問は終えた。

 何か追加の質問はあるだろうか、と頭を捻っていると鵠沼さんが微笑みを向けてきてくれる。


「板倉さん。色々なぬいぐるみを扱うお勧めの店があるんですが、ご紹介しましょうか?」

「え。あー、いや大丈夫です」


 ぬいぐるみを持つことに興味を引かれてはいたが、忙しい中でさすがに御贔屓の店を紹介してもらうのは遠慮した。

 そうですか、と鵠沼さんは残念そうに言って、仕事があるからと取材を終わりにして喫茶店を去っていった。

 取材を終えてメモ帳を見直し、原稿をどんな感じにしたためようかと考えながら僕はコップに残った冷めたコーヒーを啜った。




 本当にあの時、誘いに応じなくて良かったと今では思っている。

 取材から約十年後、ぬいぐるみ保護局は一種のカルト宗教として社会から白眼視を受けることになったのだ。


 ぬいぐるみに悩みを聞いてもらう、という鵠沼さんが説いてくれた行為は、ぬいぐるみへの強い愛着を持つようになった人にとっては無条件で自分を肯定してくれる存在への問いかけに変わり果てるらしい。

 誰かへの恨みを打ち明ければ、全肯定するぬいぐるみは恨んでいることを肯定してしまい、恨みは増大する一方なのだ。

 肯定が最終的に殺人や犯罪への歯止めを失わせてしまうらしいのだ。


 僕がこの目でぬいぐるみの信者になった者の犯罪を見たわけではないから推察に過ぎないが、あながち僕の考えは的外れではないだろう。

 肯定だけされると人間は強くなれないらしい。

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