第5話

 今日の園内周りは俺が着ぐるみで、中島がサポートだ。

「段差あるから気をつけて」

 中島の言葉に、俺は口の覗き穴から足元を確認する。右足がしっかりと地面を踏んだことを確かめてから、左足も続く。あの転倒以来、動きには慎重になっていた。もうあんな恥をかくのはごめんだ。

「見て見て、黄色いカメさん」

「この子はアルマジロのマシロウだよ。よかったらあいさつしてあげて」

 通りかかった親子に中島がにこやかに声をかける。俺は子どもに手を振り、ハグをし、写真を撮られ、また手を振って親子を見送る。歩き始めると、すぐに別の家族に声をかけられた。

 学校が夏休みに入った途端、急に来場者数が増えた。毎日園内を歩いてきたけど、人をよけながら進まなければならないのは初めてだ。増えるだろうとは思っていたが、まさかここまでとは。潰れそうだと言われ続けても潰れず持っているだけのことはあるなと、ちょっと見直した。

 そうやって歩いていると、血相変えた夫婦が中島に声をかけてきた。

「息子とはぐれてしまったんですけど、迷子センターみたいのってありますか?」

 中島が園内マップを広げて場所を教える。入り口に近いあたりで、ここからだと大人の足でも少し距離がある。

「よければ確認してみましょうか? お子様は何歳ですか?」

「四歳です。水色のTシャツを着てます。戦隊ヒーローのプリントが入ってて」

 中島がインカムで本部に連絡してみたけど、迷子は預かっていなかった。

「とりあえず、迷子センターに行ってみてください。園内の情報は全部あそこに集まるので、見つかったらすぐに連絡が行きますから」

「わかりました」

 夫婦はもう一度迷子センターへの行き方を確認し、早足で去っていった。

 遊園地エリアは人でいっぱいだ。子どもの声がそこら中から聞こえる。家族の会話、興奮して走り回る声、絶叫マシーンの悲鳴。こんなところで名前を呼んだって、近くにいなければ聞こえっこない。

「大丈夫。すぐに見つかるよ」

 そうなることを願い、俺たちはまた控え室を目指して歩きだす。

「なにあれ」

「アリクイじゃない?」

「おーい、アリクイ!」

 ジェットコースターの列に並んでいる子どもが、こっちに手を振っていた。いつもなら待っても数分なのに、乗り場の前には待機列が何重にもでき上がっていた。

 俺は歩きながら手を振り返す。

 ふと、視界の端で何かが動いた気がした。乗り場兼倉庫の横にある花壇では、満開になったヒマワリがそろってこちらを向いて揺れている。

「どうしたの?」

 振り向いた中島に、俺はちょっと待ってとジェスチャーし、花壇に近づく。互い違いに並んだ花壇に間をひとつずつ覗きこんでみる。

 真ん中あたりの花壇を背に、小さな男の子が座っていた。男の子はちらっとこちらを見たけど、すぐにかかえたひざの間に顔を伏せた。かくれんぼじゃなさそうだ。

 中島もすぐに気がついた。

「どうしたの? 家族とはぐれちゃった?」

 腰を落とした中島が色々と声をかけるけど、会話を拒否するみたいに背を向けられてしまう。

 周りに家族らしき人の姿は見当たらない。服の色も年齢も、さっきの夫婦が言っていたことと一致する。きっとこの子がその迷子だろう。

「今ならまだ近くいると思うんだけどな……」

 中島が、夫婦を探してあたりを見回す。確かに、迷子センターまで行ってからこっちに戻って来るのでは時間がかかってしまう。かといって、この子を迷子センターまで連れて行くのはさらに時間がかかるだろう。

 周りに人がいないので、俺は中島に頭を寄せて話しかけた。

「俺が見てますから、呼んできてください」

「大丈夫?」

 うなずきとサムズアップで答える。見守るだけなら、ひとりでもなんとかなるだろう。

「わかった。すぐ戻ってくるから、頼むね」

 言い終わらないうちに走りだす中島を、手を振って見送る。

 さて。どうしようか。

 気になるようで、男の子はたまにこちらを振り返る。試しに少し近づいてみたけど、あとずさられた。まあ、自分の体より大きい頭をした何かが無言でせまってきたら、そりゃ怖いよな。気持ちは分かるけど、やっぱりちょっと傷つく。

 うつむいた俺の目が、地面のシミに吸い寄せられる。ぬれた跡に見える。ついさっきまで男の子の尻があった場所だ。ハーフパンツは黒だからぬれているかどうかはよくわからない。けれどTシャツも髪も乾いているから、水遊びしたというわけじゃなさそうだ。着ぐるみ越しだからにおいはよくわからないけど、たぶん、そういうことだろう。もしかしたら、恥ずかしくて隠れていたのかもしれない。

 となると、そっとしておいたあげた方がいいだろうか。かといって目を離すわけにはいかないし、じっと見ているのも気まずい。何か気を紛らわせるものでもあればいいんだけど。

 その時、うずくまるその子の背中にプリントされたロゴが飛びこんできた。

『舞闘戦隊ファイブビート』

 俺の頭に、バカな考えが浮かぶ。まあ、このまま泣かせっぱなしにしておくより、いくらかましか。

 俺はスペースのある場所まで下がり、男の子の方を向いた。着ぐるみの中でそっと腕を抜き、人差し指と親指をくわえて口笛を吹く。

 男の子の顔が上がった。

 俺はすぐに腕を戻して、腰に両手を当てたポーズを取る。頭の中でカウントを始める。

 ワン、ツー、スリー、フォー。

 体は左に向け、両腕は右上に伸ばした状態でランニングマンをしてみせる。

 地面についた足を後ろにスライドさせて、その場で走っているように見せるわけだけど、着ぐるみでやるのは思った以上に重労働だった。足を引くたび、スリッポンの中で足が滑ってひやっとする。そんなに難しいダンスじゃないから見よう見真似でなんとかなるだろうと思ったけど、考えが甘かったかもしれない。

 けれど男の子は、まばたきもせずにこっちを見つめていた。いつもテレビで見ているダンスだと気づいた様子だ。こうなったら、続けるしかない。

 腕と脚をクロスさせるヒップホップのサイドステップ。足を踏み鳴らしながら、要所要所で手を叩くフラメンコの動き。バレエの片足立ちポーズ、からの一回転ジャンプ。ベリーダンスの腰と腕を波打たせる動きは着ぐるみには無理なので、腕と肩で代用した。次はこぶしを交互に上に突き上げるチアの動き。そしてまたランニングマンに戻る。

 気づけば、男の子がじりじりとこっちに歩み寄ってきていた。まつ毛はぬれているが、もう泣いていない。顔にはまだ緊張が残っているものの、ひざが弾んでいる。

 いいぞ! 俺は手招きして、もう一回最初から踊る。

 踊っていたら、近くを通りかかった女の子が俺に気づいた。

「見て! ゾウがファイブビートダンスしてる!」

 アルマジロだけど、この際どうでもいい。俺は踊りながら、その女の子にも手招きする。

 女の子はぱっとこっちに駆け寄ってきて、一緒になって踊りだした。五歳か六歳くらいだろうか。ダンスは完全に覚えているようで、動きに迷いがなかった。

「じょうず! じょうず!」

 女の子は踊りながら男の子をほめる。ナイスアシストだ。年の近い子が来たおかげか、男の子の体から徐々に強ばりが取れてくる。

 女の子の両親は、戸惑いつつも笑って見守っている。母親にいたっては、なぜか着ぐるみと一緒に踊り始めた娘をスマホで撮影している。ノリがいい家族でよかった。

 心強いことに女の子は自分で歌まで歌ってくれた。踊りながらなので音が途切れたりテンポがずれたりするけど、音程はしっかりしていて結構うまい。

 しかし歌がついたことで思わぬ問題が起きた。この先の振りを、俺は知らない。ケントはオリジナルのブレイクダンスをしていたけど、着ぐるみじゃ無理だ。

「見てて!」

 突然女の子がめちゃくちゃに踊りだした。リズム無視で髪を激しく振り乱す、プリミティブなダンスだ。どうやらもともと曲の中にフリースタイルの時間が設けられてるようだ。横ではすっかり元気になった男の子が、一緒になって手足をバタバタさせている。踊りのおかしさと安堵あんどがごっちゃになって、俺もつい笑ってしまう。うっかり声が出てしまい、慌てて口を閉じる。

 踊るふたりを手拍子しながら見守っていたら、突然、女の子がビシッと俺を指さした。

「次、ゾウの番!」

 えっ、俺もやんの?

 どうする。この着ぐるみでできるダンスは?

 迷いとは裏腹に、体は勝手に動いていた。

 直立の姿勢から、腕だけを持ち上げて、ぴたりと一時停止。足を上げて一時停止、下ろして一位停止。方向転換。前傾。ひとつひとつの動作をストップモーションで見せる。今度はスピードを上げて今までの動きを逆再生した。

 女の子が手を叩いて笑う。両親も「えっ、すっご!」「動きヤベえ、うける」と笑っている。

 ところが、男の子はぽかんとしていた。まずい、びっくりさせてしまったらしい。

 俺はロボットの動きのまま、男の子の前に片ひざをついて、手を差し出した。しばらくじっと手を見つめていたその子は、おそるおそるミトンの手に触れた。その瞬間、俺は右腕を波打たせる、右肩、左肩、左腕とウェーブさせ、また左腕、肩、右腕と戻ってくる。

 男の子の目が輝いた。もうひと押しだ。

 俺は再び手を差し出す。男の子がまた手にふれる。その瞬間、俺は感電したみたいに全身をぶるぶると震わせた。

「キャキャキャッ」

 男の子が顔をくしゃっとさせて声を上げた。突然スイッチが入ったみたいに笑い続けている。

 よおっし! 俺は心でガッツポーズする。

「あっ、いた。マシロウ!」

 声がした方を振り向くと、小走りする中島が見えた。さっきの夫婦も一緒だ。

 俺は男の子の手を引いてそっちへ促す。両親に気づいたその子はまっすぐに走っていった。おもらしのことなんかすっかり忘れたみたいで、駆け寄った母親に抱っこされて笑っている。

 一緒に踊っていた女の子が俺の腹をポンと叩いた。

「ゾウ、ダンスじょうずだね」

 俺は胸をはって応える。演技は必要なかった。

「楽しかったよ。バイバイ」

 去っていく少女を、俺はほんの少しだけ名残惜しい気持ちで見送った。

 俺も、楽しかったよ。

 だれにも聞こえない小さな声で、つぶやいた。

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