第4話
今日は今年何回目かの「今年一番の暑さ」らしい。膜で覆われた覗き穴越しなのに、日差しが目に刺さる。気温も湿度も
ステージは修行だと割り切ることにしていた。毎日Tシャツがしぼれるくらい汗をかくので、ホットヨガとかそういうやつだと自分に言い聞かせる。金を稼ぎながら体力トレーニングをしていると考えれば、いくらかバカバカしさもまぎれる。
とはいえ、逃げ場のない暑さに、じわじわと精神が
間奏になると、俺と中島は後ろに下がる。かわりに前に出たバックダンサーが、ひとりずつ得意技を
技が決まるたびに俺は、驚いたり、喜んだふりをする。着ぐるみの感情表現は振り付けと同じだ。手を振ったり、ガッツポーズしたり、頭をかかえたり。いくつかのポーズを、状況に応じて機械的に使い分けている。
間奏がバックダンサーの見せ場になっているが、元々は、着ぐるみ担当が呼吸を整えるための時間だったらしい。だけど俺にとっては、この時間が一番しんどい。
軽やかに踊るダンサーたちを小さな覗き穴越しに見ていると、自分だけが独房に閉じこめられているような感覚になる。
本当なら俺も、そこで技を
ちょっと飛び跳ねるだけで肩に食いこんで俺の動きを押さえつける着ぐるみの重さが、どうしようもなく
大サビで、俺と中島はまた前に出る。
リズムに合わせて足踏みと手拍子。両腕を横に広げながら、左足を外に一歩広げる。直立に戻して、今度は右足。その場でぴょんぴょん跳ねながら尻を左右に振る。しっぽが大きく揺れるので、体が持っていかれないように体幹をしっかり保つ。次は両腕を前に伸ばしてから右に向ける。腕はそのまま、ジャンプして体を右に向ける。さらに腕を右に回しジャンプする。それを繰り返して一回転する。
あと少しだ。この間抜けなダンスも、あと少しで終わる。
これが最後のジャンプ。
着地の瞬間、汗でしめった足がブカブカのスリッポンの中で滑った。ぶわっと背中に冷や汗が噴き出す。
体が大きく横に傾く。とっさに手をつこうとしたけど、肩が引っかかって腕が上がらなかった。そのまま着ぐるみの重さに体が引っぱられていく。地面に倒れ、頭部の縁にのどを打ちつけた。ぐえっ、と変な声がもれる。
どっと会場が沸いた。
横倒しになった覗き穴から客席が見えた。目と同じ高さにある観客の顔が、俺を見てゲラゲラと笑っている。
かっと顔が熱くなり、冷や汗が一瞬で蒸発する。
大した人数の観客はいないはずなのに、笑い声で音楽をかき消される。
いつもは着ぐるみ越しで、すべてがくぐもって聞こえるのに。
今ばかりは、
「本当に大丈夫? もっと冷房下げようか?」
パイプイスに沈みこんだ俺は、かろうじて「大丈夫です……」と答える。
中島にはそんな俺が熱中症か何かに見えるらしい。「水飲める?」「塩アメいる?」とあれこれ世話を焼いてくれる。心配してくれる気持ちはありがたいけど、正直、今はそっとしておいてほしかった。
あり得ない。
あんな、子どもの体操みたいな単純なダンスで失敗したなんて。
暑さや疲労は言い訳にならない。どんなことがあろうと、ステージに立ったからには完璧なダンスをしなければならないのに。
「おー、さっきは大丈夫だったか?」
控え室に入ってきた裏方のスタッフに声をかけられた。すぐに反応できない俺を、中島がフォローする。
「この暑さであれだけ動いてたら、具合も悪くなるよ。今日は僕も危なかったもん」
「だよなー。あんな重いの着てあんだけ動けるんだから、大したもんだよ」
ほめようとしてくれているのはわかるが、今の俺には傷口に塩をぬりこまれるような感覚だった。
「やっぱりちゃんとダンスやってる人は躍動感が違うよね」
中島の言葉に、俺は重たい頭を上げる。
「中島さんは違うんですか?」
「僕? 僕はこの仕事するまで、人前で踊ったことなんかなかったよ」
「ナカちゃん、こう見えて役者だったんだよ」
「今も役者だからね。僕の
中島に訂正され、照明担当が「あいあい、失礼しやした」と苦笑する。
「じゃあ、テレビとか出てたんですか?」
俺が尋ねると、中島は少し照れくさそうな顔になった。
「まあ、先輩俳優の付き人やりながら、たまに映画のエキストラやったりはしてたよ。結局、ものにならなかったけどね。丁度、辞めてこれから何しようかなってフラフラしてたタイミングに、知り合いからこの仕事の話もらってね。暇だし、お金も必要だったから、とりあえずやってみることにしたの」
少し意外だった。中島のロコちゃんぶりは完璧と言っていい。これだけ難がある着ぐるみなのに、中島がやるとそれを感じさせない。ちまちました動きがかえって小動物っぽくて、生き生きして見える。子どもの相手もじょうずだ。だから当然、最初からこの仕事を希望していたのだと思いこんでいた。
「ナカちゃん、だれの付き人やってたのか教えてあげなよ」
「やめてよ」
「聞いたら絶対びっくりするぞ」
「いい、いい、余計なこと吹きこまないで」
茶々を入れる照明担当を中島は追い返そうとする。その手をすり抜けた照明担当は、わざわざ俺の耳元まで来て、だれの付き人だったのか教えてくれた。かなりの大御所で、硬派な映画に多く出演している俳優だ。確かにびっくりした。
「すごいですね」
「たまたま同じ事務所だっただけだよ」
「なー、辞める前にサインもらっとけばよかったのに。高く売れたのにさ」
中島がひっぱたくふりをすると、照明担当はひょいっと避けて逃げていった。
そんなふたりをよそに、俺はちょっと考えこんでしまう。
中島にも夢を追いかけていた頃があったのか。
俳優の業界がどんな仕組みなのかは知らない。でもそれだけ人気のある人の仕事をそばで見られて、たまに映画にも出演してっていうのは、俺からすればとてもうらやましい環境に見える。少なくとも、今の俺よりもずっと夢に近い場所にいたはずだ。それなのにその道を諦めて、本来やりたかったことからどんどんそれて、そのままずっと。それって……。
気づけば、中島が心配そうな顔で俺を見ていた。
「大丈夫? 横になって休む?」
「あ、いえ、大丈夫です」
俺は質問を飲みこんで、首を振る。
後悔してないんですか?
たったそれだけなのに言えなかった。
なんとなく、答えを聞くのが怖かった。
夜、商店街のアーケードで俺はよく自主練をする。
店が閉まったあとの時間帯は人気がなくなるし、雨風の影響を受けない。アーケードのライトは終電を前に消えるけど、街灯は夜通しついている。お気に入りは小さな婦人服店の前だ。格子状のシャッター越しに見える窓が鏡になる。
現在はジャズダンスのレッスンしか受けていないので、他のダンスは自主練でカバーしている。今練習しているのはアッシャーのライブでのダンスの再現だ。ポップやブレイクなど色々なダンスが入っているし、緩急が効いていて、勉強になる。
だが、今日はなんだか思うようにいかない。関節がサビついたみたいにギクギクと引っかかる。ピタッと止めるにしても、ぬるぬる波打たせるにしても、ぎこちない。これじゃロボットいうよりぜんまい仕掛けのおもちゃだ。それも壊れかけのやつ。ポップの基本であるヒット(リズムに合わせて全身の筋肉をビクッと弾けさせる動作)もキレがなくて、タイミングがずれる。
頭の中で思い描く踊りと、ウィンドウに映る自分との差に、いらだちばかりがふくらんでいく。なんとかその差を埋めようと、俺はサビた体を無理やり動かし続ける。
力任せに踊っていたせいか、曲が終わる頃にはすっかり息が切れていた。
Tシャツの袖で、汗だくになった顔を拭う。暗くなっても一向に気温は下がらず、むしむしとした夜だった。
顔を上げると、暗い店のウィンドウの中に自分が立っていた。一瞬その姿が、間抜けづらで
目を閉じる。深いため息が出た。昼間のことを忘れようと思ってここに来たのに。これじゃ意味がない。
まさか俺が、あんな間抜けをさらすなんて。
あんなに簡単なダンスなのに。
何をやってるんだ、俺は。
これまで、ダンスユニットのメンバー募集や、ミュージシャンのバックダンサー、商業施設のイベントなど、とにかくダンサーと名のつくオーディションは受けまくった。ダンスバトルやコンテストにもたくさん参加してきた。けれどぱっとした実績はないまま、気づけば今年で二十五歳だ。早いダンサーは十代の頃から実績を残している。大学進学した同級生も、社会に出て働いている。今年に入ってすぐ結婚したやつもいた。みんな前に進んでいる。俺だけ、いつまでもこんなところでじっとしているわけにはいかないんだ。
水分補給をしていたら、足音が近づいてきた。ビジネススーツ姿だから一瞬だれかわからなかったが、ケントだ。思わぬ人物の登場に俺は少し驚きつつ、イヤホンを外す。
「あれ、職場このへんなんだっけ?」
「ううん。さっきまで会社の先輩とメシ食ってた。――自主練?」
「まあね」
返事に苦笑が混ざった。今のめちゃくちゃなダンスを見られていたと思うと少し恥ずかしくて、話をそらす。
「やっぱ、仕事の時はちゃんとしてんだな」
「そりゃね。早く帰って脱ぎたいわ」
今度はケントが苦笑する。
オーバーサイズのTシャツにハーフパンツ姿のケントしか見たことがなかったから、なんだか変な感じがした。見るからに固そうな革靴に、薄くストライプが入った紺色のスーツを着こなしているケントが、自分とは違う世界の人間に見えてくる。
「ポップもやってたんだ?」
「ああ、まあ、元々こっちが専門」
せっかくそした話を戻されてしまい、歯切れが悪くなった。
ケントは意外そうな顔をする。
「え、そうなの? てっきり必要に迫られて練習してるのかと思った」
「どういう意味?」
「すっげえ難しそうな顔で踊ってたから」
ああ、そういうことね。ケントの言葉に俺は思わずうなずく。
自分の動きのひとつひとつに目をこらし、自分とお手本の違いはどこにあるのか分析して、修正する。納得いくまで何度だってやり直す。考えなくても動けるようになるまで、体に叩きこむ。ジャズダンスと違ってポップはずっとやっているから、見る目は余計に厳しくなる。そりゃ、難しい顔にもなるだろう。
「俺、本気だから」
自分の背中を叩くみたいに宣言した。
けれど、ケントはそれをヘラっと笑い飛ばす。
「本気なのは知ってるけどさ、もうちょっと肩の力抜いたら? お前のダンス、必死すぎてたまに怖いぞ」
かちんときた。
ただ
「その場のフィーリングだけで踊ってるお前にはわかんねえよ」
プロのダンスには見ている人を惹きつける技術があり、構成には常にねらいがある。そのをひとつひとつ解剖して理解していくことで、ようやく自分のものにできる。内輪でならただのサル真似でもチヤホヤされるかもしれないが、それより先に進めば絶対に限界が来る。俺が目指しているのは、そういう世界だ。
趣味の延長みたいな感覚でダンスをやっているお前にだけは、とやかく言われたくない。
声には出さなかったが伝わっていたようで、ケントはムスッとした顔になる。
「じゃあずっと鏡とにらみ合ってろよ」
言うだけ言って、ケントはさっさと去ってしまう。
反論しそこねた俺は、持っていたペットボトルをカバンに投げつけた。
昼間は働いているケントには、俺の焦りが理解できるはずがない。
ダンスがなくなったって、ケントには仕事がある。学歴もある。常に安全地帯に片足かけながら夢を語るやつに、俺の何がわかるっていうんだ。
俺には、ダンスしかないんだ。
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