第2話

 このあと、は一時間後にやってきた。

 今回着ぐるみを着るのは俺だけだった。付き添い役の中島は、制服のポロシャツ姿だ。なんで俺だけ! とのどまで出かかったけど、ぐっとこらえた。

 ステージは遊園地の敷地のすみにある。控え室を出てから、アトラクションがあるあたりまで歩いていく。普通に歩けば五分程度だろうが、ちょこちょこ歩きしかできないので、とにかく時間がかかる。太いブーツの底にはスリッポンがはりつけてあるのだが、いかんせんサイズが大きすぎて歩きづらさに拍車をかけている。だれでもはけるように大きいサイズにしたのだろうが、この着ぐるみを着られる人間の身長とまったく合っていない。

 観覧車に、メリーゴーラウンドに、小さめのジェットコースターに、空中でぶん回す系の絶叫がいくつか。ザ・遊園地という感じのアトラクションが並ぶエリアに来た。ここをぐるっと一周するのだという。

「あれなにー?」

 どこかから子どもの声がした。俺は声を探して首を回すが、見えたのは頭部の内側だけだった。

「こんにちはー。この子はマシロウだよ」

 すかさず反応した中島が、さり気なく俺の腕を引いて振り返るよううながした。俺はあわてて体ごと向きを変える。

 覗き穴から、兄妹きょうだいと思しき小学生くらいの子どもが見えた。どうしていいかわからない俺は、とりあえず手を振ってみる。年下の女の子が小走りで寄ってきて、そのまま着ぐるみの腹に抱きついた。ぺったりとくっついたまま顔を上げた女の子と、目が合った。まあ、向こうから見えているのは口だから、目が合ったとは言わないのかもしれないけど。

「かわいー」

 かわいいか、これ?

 でも嬉しそうにしている女の子の夢を壊すわけにはいかないので、俺はミトン状の手をその子の頭にせてポンポンする。

 突然、横から男の子が割りこんできた。着ぐるみの腹を乱暴にボンボン叩く。そのたびに衝撃が内部に響き渡り、視界が激しく揺れる。やめろ、う。

「すっげえ固え。おもしれえ」

「ねえ、やめてよ」

 妹の声など耳に入っていない男の子は、真下から着ぐるみの頭部をじろじろと見上げる。

「あっ、穴空いてる!」

 男の子が、口の覗き穴に指を突き立てた。反応できず、頭部が後ろにのけぞる。何すんだ! と危うく声が出そうになる。中島が慌ててその子の手を押さえた。

「おっと、人の口に指突っこんじゃダメだよ」

「人じゃないじゃん」

「マシロウは僕たちの大切な友達だから、人と同じように扱ってほしいな」

「やーだ」

 男の子が視界から消えた。かと思うと、体がぐるんと大きく左に回転した。足がもつれて危うく転びそうになったところを、中島が支えてくれる。

 後ろの方で、男の子の笑い声と「コラッ!」とそれをしかる母親の声が聞こえた。しっぽを蹴られたのだと、遅れて気づく。

 母親がなぜか中島に謝る。

「すみません」

「いえいえ、大丈夫です。だよね、マシロウ?」

 俺はしぶしぶ、うなずく。しゃべれないんじゃ、文句の言いようもない。

 それから中島は、ひざをついて男の子と目線を合わせた。

「でも今度からは、もうちょっと優しくしてあげてね」

「やーだ」

 中島の言葉を見事に笑い飛ばした男の子は、俺のすねのあたりを蹴って逃げていった。

「コラッ!」

 母親がまた注意するが、男の子はケラケラ笑いながら走っていってしまう。母親はまた中島に「すみません」とひとこと残して、慌てて男の子を追いかける。母親に手を引かれた女の子が手を振ったので、俺たちも振り返した。

 嵐が去って、俺は着ぐるみの中でため息をつく。

 中に人が入っているとわかっていて、あんな躊躇ちゅうちょなく蹴るかね。分厚いブーツのおかげで痛くはなかったけど。

 そしてまた、思考は同じ場所に戻ってきてしまう。

 俺は、いったい何をやってるんだ?



 俺がダンスを始めたのは中学生の時。たまたま行ったショッピングセンターで見たダンスボーカルグループのライブパフォーマンスがきっかけだった。

 家族で出かける時、年の離れた弟と妹の面倒を見るのはいつも俺だった。特にショッピングセンターみたいなまっすぐな場所を見ると走らずにいられないふたりなので、一瞬たりとも目が離せない。だけどその時は、ふたりが入園式ではく靴を選ぶために靴屋へ連れて行かれたので、珍しく俺はひとりでいられた。

 丁度靴屋の前がイベントスペースで、俺はぼんやりそのショーを眺めていた。

 デビューしたてだったから観客は数えるくらいしかいなかった。歌はほとんど覚えていない。それよりも俺の目を引いたのは、後ろで踊っているメンバーの方だった。

 ロボットみたいに時々一時停止しながらぎくしゃくと腕を動かしていたかと思えば、急に足の裏にローラーがついているみたいにスライド移動したり、足はグネグネとものすごい速さでステップを踏んでいるのに肩から上はまったく揺れなかったり。そんなトンチキな動きなのに、リズムにはピッタリ合っている。むしろ彼がこの曲のリズムを作り出しているようにすら見えて、最高にカッコよかった。

 あんな動きが人間にできるのかと衝撃を受けた俺は、気づけば自分でも体を動かしていた。次々に繰り出される技に手足が絡まりそうになりながらも、夢中で真似していた。

 そしたら、彼が俺に気づいて手まねきした。俺がステージのそばまで来ると、なんと彼が曲の途中でステージから下りてきてくれたのだ。

 俺の目の前まで来ると、簡単な動きをして一時停止した。俺がそれを真似ると、彼が再び動きだす。俺がまたそれを真似る。

 彼はステージの上では決め顔で踊っていたけど、俺の前にいる間はずっとニコニコしていた。

 これはできる?

 じゃあこれは?

 と期待がこもった目を俺に向け、俺が下手くそなりに頑張って真似すると、笑顔が弾けた。

 彼はものの数十秒でまたステージに戻ってしまったけど、俺は客席で踊り続けた。それはダンスと呼べるものではなかったけど、一緒に体を動かしているだけで楽しかった。

 そこから俺は、アホみたいにダンスにのめりこんだ。

 まずやったのは、中学のダンス部に入部することだ。そこで、彼がやっていたのはポップダンスと呼ばれるものだと知る。その時、俺はポップダンサーになると決めた。まあ、今ではヒップホップやジャズダンスなど、色々練習するようになったけど。引き出しが多い方がダンサーとしての道も広がるし。

 両親は大学進学を勧めてくれたが、ダンスに打ちこみたかったから進学はしなかった。遊園地のアルバイトに応募したのも、働きながら練習ができると思ったからだ。例え潰れかけの遊園地でやっている子ども相手のショーでも、本番を毎日こなし続ければ必ず得るものはあるはずだと思った。

 思ったんだけどなぁ。



 インストラクターの指示で、全員のシューズがキュッと鳴る。

 ストリングスの刻むリズムに鼓動を、ピアノのメロディーに呼吸を同調させ、体をしなやかに弾ませる。頭上に上げた腕を、弧を描くように滑らかに落とす。反対の腕をピッと上げてターン。回転速度、ステップのキレ、腕の伸びや角度。鏡に映る自分の動きのひとつひとつに、目を光らせる。

 まだだ。まだ足りない。

 もっと大きく、もっと速く。

 けれど焦って手足を動かすと、体幹がブレる。バランスを取り戻すのに一拍取られて、ステップが抜け落ちる。

 こんなんじゃ、ダメだ。

 前回落ちたオーディションでは、表現力が足りないと言われた。ただでさえ俺はフィジカル面でハンデがある。手足の長さが足りない分は、技術で補うしかない。だれよりもダイナミックに、速く、そして美しいダンスを目指す。

「よし、いったん休憩」

 インストラクターが曲を止めると、生徒たちが休憩に入る。俺も床に座り、脚のストレッチをしながら水分補給する。

 俺は週に三日、ジャズダンスのレッスンに通っている。商店街にあるスタジオで、一階のクリニックが終了した夜にだけ開催される。メンバーはいつも同じ。高校生からアラフォー会社員まで様々な人が、大体十二、三人集まる。

 レッスン仲間のケントが寄ってきた。同い年ということもあって、このメンバーの中では一番親しい。

「ねえねえ、ちょっと撮影手伝ってくんない?」

「撮影?」

「スマホ持っててくれるだけでいいからさ」

 言いながらケントは俺にスマホを押しつける。それからインストラクターの方を向いた。

「スピーカー借りていっすか?」

「いいけど、ちゃんと休憩しろよ」

「はーい」

 調子よく返事しながら、ケントは自分のMP3プレイヤーをスピーカーにつなぐ。そしてそのプレイヤーも俺に渡した。

「んじゃ、再生と撮影よろしく!」

 ケントはスタジオの真ん中まで行き、腰に手を当てたポーズでスタンバイする。仕方がない、つき合ってやるか。

 俺はスマホを構え、プレイヤーの再生ボタンを押した。

 スピーカーから、ディスコ調の派手な曲が流れる。『舞闘ぶとう戦隊ファイブビート』とかいうヒーロー番組の曲だ。まったく興味はないけど、ケントが何度もここで練習していたので、いい加減、覚えてしまった。

 ステップはほぼない。たまに腰を振ったりひざでリズムを取るくらいで、基本的に腕だけのダンスだ。動きも単純で覚えやすい。いかにも子ども向けという感じのダンスだ。左向きになり両腕を右上に伸ばしたランニングマン、次は逆向き。それからヒップホップ、フラメンコ、バレエなど、色々なダンスの動きが少しずつ入ってくる。

 突然、ケントが軽やかにステップを踏んだ。かと思うと床に手をつき両足をぶん回し始めた。そのまま肩をついて回転するウィンドミルを決める。今までと明らかに動きが違う。どうやらここはケントのオリジナルらしい。五回転したら、斜めの三点倒立のような姿勢で片足を伸ばしたチェアーで止まる。

 そこで曲が終わった。

 俺は録画を止めたスマホをケントに返す。ケントはその場で映像を確認した。

「うん、ばっちり撮れてる。サンキュー!」

 ケントはそれで満足したらしく、床に座ってTシャツのえりをぱたぱたする。

 俺の目には、最後のチェアーがだいぶ流れたように見えたし、ウィンドミルも潰れ気味だった。けれどケントは気にしていないらしい。撮影のために練習した技なのに、それでいいのだろうか。

「これ、撮ってどうすんの?」

「番組に送るんだ。もしかしたらエンディングで流してもらえるかも」

「それって、子どもがテレビの前で踊ってるとこを親が撮って送るみたいなやつ?」

「そうそう、まさにそれ。でも今回の戦隊はダンスがテーマだから、たまにちゃんとしたダンサーも混ざってたりするんだよ」

 だけどそれが放送されたとして、何か意味があるのだろうか? 子どもに混ざって放送されたって、ダンサーとしての評価が上がるとは思えない。

「まあね。でも、もし流れたらおもしろくね?」

 ケントが能天気に笑うので、俺はそれ以上、言うのはやめた。

 せっかくの見せ場で、専門のジャズダンスではなく、ちょっと練習しただけのブレイクダンスを持ってきてしまうくらいだ。これで評価を得ようという気は初めからないのだろう。

 でも身内の話のネタのために貴重な時間を使うなんて、俺には理解ができない。しかも、わざわざ練習したのに、中途半端な完成度のままで提出するなんて、さらに理解できない。仮にもプロを目指すダンサーなのだから、映像に残すなら、人の目に触れても恥ずかしくないパフォーマンスをするべきだ。ケントはそのあたりの意識が欠けている。

 それなのに。

 数ヶ月前、俺が一次審査で落ちたCMのバックダンサーのオーディションで、ケントは二次審査まで進んだ。その理由が、俺にはさっぱりわからない。

 技術じゃ負けていないはずなのに。

 ここにいるだれよりも、たくさん練習しているはずなのに。

 俺は、俺よりも頭ひとつ分くらい高いところにあるケントの顔を見上げる。凹凸がはっきりしていて、照明が映えそう顔をしている。肩からすらりと伸びた腕も、ハーフパンツの下に続く脚も、腹が立つくらい長い。

 やっかみじみた考えが浮かびかけたところで、ケントの「あ、そういえば」に遮られた。

「前に言ってたダンサーのバイトってどうしたの? 受かった?」

 余計なことを思い出させやがって。

「あー、まあ、受かったよ。一応」

「やったじゃん! 今度カノジョと遊び行くわ」

「いい。来んな」

「えー、なんで?」

「子ども相手のダサいダンスだから」

「そう言われると余計見たくなっちゃうなあ」

「ぜってー来んな」

 ニヤニヤと笑うケントに釘を刺す。着ぐるみで踊っているところを見られたりしたら、恥ずかしくて死んでしまう。

 俺は中島の熱烈なオファーを断りきれず、前任者が戻ってくるまでのつなぎで、という約束でマシロウを引き受けた。ところが一週間で復帰すると言っていた前任者は、二週間経っても戻って来ない。前任者は中島よりも年上で、長年の無理がたたったらしく、ヘルニアの手術することになってしまった。リハビリの進み具合にもよるが、元通り踊れるようになるには数ヶ月かかりそうだ。事情が事情なので話が違うとも言えず、俺はまだマシロウを続けている。俺自身、金銭的に余裕がないのもまた事実だ。今辞めたら、来月のレッスン代が払えなくなる。

 俺は休憩を切り上げて、さっきのレッスンのおさらいをする。

 ワン、ツー、スリー、フォー。

 頭の中のカウントに合わせて、鏡の前でステップからターン、ターンからステップへのつなぎを何度も繰り返す。

 時間は有限だ。のんびりしているひまはない。

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