ホップ・ステップ・ダンス

朝矢たかみ

第1話

「君しかいない」

 突然部屋に入ってきた男は、俺を見るなりそう言った。そしてダンサーの採用面接をやっていた部屋から俺を連れ出し、そのまま野外ステージへと引っぱっていく。

 そんなこと言われたのは生まれて初めてだったから、俺はすっかり舞い上がっていた。やっと俺の実力を認めてくれる人が現れたんだって。驚きを上回る期待で胸がいっぱいだった。

 だから、忘れていたのだ。

 俺はまだ、彼らにダンスを見せてすらいないことを。

 そしてここが、俺が子どもの頃から「いつ潰れてもおかしくない」と言われ続けている遊園地だってことを。

 屋根と袖幕そでまくしかない簡素な屋外ステージの横にあるプレハブ小屋へ連れていかれる。どうやらここがひかえ室らしい。

 控え室に入ると、生首さらしのごとくテーブルに並べられた、ふたつの頭が目に飛びこんできた。鼻が前方に長くせり出している。目や頬のあたりは白。鼻から頭頂部にかけては黄土色をしていて、等間隔に横線が入っている。もう片方はピンクの色違いで、目の上には長いまつ毛が描いてある。

 急激に、嫌な予感が押し寄せてきた。

「なんですか、これ」

 俺をここまで引っぱってきた、中島という小柄な中年の男が答える。

「マシロウ。ピンクの方はロコちゃん。ましろ遊園地のアイドル」

 アルマジロの、マシロウ。なんとひねりのない。って違う、違う。聞きたかったのはそんなことじゃない。

「あの、俺が応募したのはダンサーのアルバイトの方でして……だから、こういうのはやったことがなくて」

 中島がにっこりと笑う。

「大丈夫、大丈夫。やることは他のダンサーとほとんど一緒だから。進行役がいるから段取りのことは心配いらないし、動きに困ったら僕の真似すればオッケーだよ。まあ、最初はちょっと動きづらいかもしれないけど、それはすぐ慣れるよ。特に君は若いから大丈夫、大丈夫」

 中島は俺の両肩に手を置いて、控え室の中へと進める。

「マシロウ担当が今日、急に腰痛悪化して立てなくなっちゃってさ。マシロウなしじゃショーはできないし。どうしようって思ってたところに君だよ! いやぁー、まさに渡りに船だよ!」

 まくしたてながら、中島は巧みに俺を部屋の奥まで追いこんでいく。

 小ぶりのバランスボールくらいある黄土色の頭が、俺を見上げていた。



 そして、俺は今、マシロウを着てステージに立っている。

 外に出た瞬間は、日差しがさえぎられる分、いくらか楽に思えた。だが歩きだしてすぐ、中は温室と化した。熱気はすべてに内部たまり、とめどなく汗がき出してくる。踊る前に汗を拭っておこうとした手が、ゴンと固い頭部にぶつかった。

 おまけにスーツの内側は、ひどいにおいがした。ずっと口呼吸しているのだが、それでもふとした瞬間、知らないだれかの汗のにおいが鼻を突いて気が滅入めいる。

 左右についた目と、上を向いた三日月型の口、視界はこの三つの覗き穴だけだ。しかも細かい穴が空いた黒い膜越しなので、とにかく見づらい。

 そんな不自由な視界でも、客席がぽつぽつとしか埋まっていないことはわかった。そのわずかな観客もショーが目当てではなく、単に日陰とイスを求めて休憩に来ただけに見える。

 進行役の女性はそんなこと気にもせず、マイクを持って観客に呼びかける。

〈マシロウとロコちゃんも皆さんに会えて、とっても喜んでまーす〉

 俺は体を揺らしながら両手を大きく振った。俺が代打をやることは彼女にも伝わっているようで、何をすればいいのかさり気なく指示をくれる。これがなかったら、俺はステージで棒立ちだったかもしれない。

 俺の横には、同じ形のピンク色の着ぐるみが立っている。進行役のセリフに合わせて大げさにリアクションを取る動きは、堂に入っている。ビジュアルから想像した通り、ロコちゃんは女の子らしい。腕を下ろしている時はティンカーベルみたいに手の平を下に向け、驚いた時は両手で口を覆ったり、仕草のひとつひとつがわりやすいくらい、女の子だ。だけど、その中に入っているのは中島だ。五十をすぎたおじさんがこれをやっていると考えると、見ているだけでこっちまで恥ずかしくなってくる。

 などと考えていたら、無駄に元気なマーチ系の音楽が流れてきた。

 曲に合わせて、覚えたてのダンスを踊る。振り付けそのものは子どもでも踊れるくらい簡単だ。覚えやすさを求めたのか、単に思いつかなかったのか、同じ動きを何度も繰り返す単調なダンスだ。真面目にやっている自分がバカバカしくなってくる。

 だが、着ぐるみでやると話は変わってくる。とにかく動きにくい。すべての動きが、半拍遅れてついてくる。ならばと力任せに動けば、重たいしっぽが振り子のように揺れて胴体が振り回される。腕を上げるのは九十度が限界。足も、固い胴体が邪魔して、肩幅以上に開くことができない。額から滑り落ちてきた汗が目に入るのも黙って耐えるしかない。もはや、サウナで運動しているような感覚だ。

 永遠のような四分間を、必死に踊り続ける。

〈マシロウとロコちゃんに大きな拍手を!〉

 進行役の明るい声に、観客がまばらな拍手を返す。

 俺は中島にならって観客に手を振り、舞台袖にはけた。

 ふと、舞台袖に置かれた姿見が目に入った。二足歩行の黄色いカメみたいなシルエットだった。何も考えていなさそうな間抜けな顔が、俺を見返してくる。

 俺は、いったい何をやってるんだ?

 終わった途端、疑問と羞恥心しゅうちしんが体の中を駆けめぐった。



 文字通り重たい足取りで、ようやく控え室にたどり着く。スタッフが頭と胴体をつなぐジッパーを外し、頭を取ってくれる。クーラーの効きが悪くて部屋は大して冷えていないはずなのに、とんでもなく涼しく感じられた。悪臭から開放された喜びもあいまって、ひんやりした空気を存分に鼻に吸いこむ。

 俺が脱ぐのに苦労していると、さっさと自分の分を脱いだ中島が手伝ってくれた。

「お疲れ様! いや、いや、すごかったよ! 本当に初めて? もう完璧じゃない! やっぱりダンスやってる人はすごいね!」

 興奮してまくしたてる中島は、Tシャツも頭に巻いた手ぬぐいもぐっしょりぬらして、ゆでダコみたいに真っ赤な顔をしていた。きっと俺も同じような状態だろう。

 それからも中島は、俺の目の前に扇風機を持ってきてくれたり、タオルやスポーツドリンクやゼリー飲料や塩アメをすすめてくれたり、脱いだ着ぐるみを片づけたり、動き続けていた。一方俺は、パイプイスに沈みこんだまましばらく動けなかった。肉体的な疲労もそうだけど、それ以上に気力を根こそぎ持っていかれた感じだ。とりあえず水分だけはらないとまずいと思ってスポーツドリンクに口をつけたら、一瞬で五百ミリのペットボトルが空になった。

「いやぁー、急なこと言ってごめんね。本当に助かったよ。このスーツ着れる人、なかなかいないんだ」

 それもそのはずだ。この着ぐるみはたる型の胴体をかぶったあと、ブーツと頭を装着する。この胴体の着脱がびっくりするくらい大変だ。樽型ゆえに上下がすぼまっているので、小柄な俺が限界まで肩をすぼめてやっと着られたのだ。中島も、俺と同じか少し低いくらいの身長しかない。「君しかいない」とは、そういう意味だったのだ。

「で、どうだった?」

 中島が俺の顔を覗きこむ。

 答えに困った。

 中島がどんな返事を期待しているのかは、わかる。でも、答えたくない。これは俺が応募した仕事と違う。だけど、今さら面接の続きをやってもらえるものだろうか? もし面接を再開してくれたとしても、あっちは嫌だけどこっちはやりたいですっていうのは、心象しんしょう的にどうなんだ?

 時間かせぎのつもりで曖昧あいまいに笑ったら、中島は嬉しそうに目を細めた。目尻のシワと同化して目が一本の線になる。

「よかったぁ。じゃあ、このあとも頼むよ」

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