熊井さんについて

吉田定理

熊井さんについて

 熊井さんは、クマのぬいぐるの背中を裂いて綿を取り出し、爆弾を入れて、また背中を縫い合わせた。


 小さなリボンの付いた、チェックのプリーツスカート。

 襟元に白いフリルをあしらった、制服風のシャツ。

 黒のニーハイソックスで、絶対領域を作って。

 甘く可愛い制服風コーデ。


 腰まで伸ばした波打つ豊かな髪は、左右でおさげにして、赤いリボンで結んでいる。

 長いまつ毛が縁取る、キラキラした瞳。

 口紅を差して、鏡の前で笑顔を作ってみる。


 ポシェットを肩にかけて。

 ベレー帽をちょこんと頭に載せて。

 爆弾の入ったクマちゃんを胸に抱きしめたら、お出かけの準備は万全だ。

 今日は雲一つない、お出かけ日和。


 熊井さんは全く非のない、最高に可愛らしい姿で、玄関を出ていく。

 身長が低くて童顔だから、よく中学生と間違えられるが、立派な高校生だ。


 駅前の人ごみを歩くときも、電車の座席に座っているときも、腕に抱えたクマちゃんが、心臓のドキドキを伝えてくる。

 お母さんと手を繋いだあの子も、くたびれた顔で寝ているおじさんも、駅員さんも、お巡りさんも、熊井さんのドキドキを知らない。

 このドキドキは熊井さんだけのもの。


 今日みたいな素敵な午後は、おしゃれな雑貨屋さんでネコのマグカップを眺めたり、エスニックな食品店で紅茶の香りを試したり、自然豊かな公園のベンチに座って小鳥の声を聴いたりする。


 何かの拍子にこの爆弾が破裂してしまったら、半径数十メートルは吹っ飛んでしまう。

 別に世界は滅びないけれど、世界から何人かは消えてしまう。


 それは悪いことだろうか。

 ちょっとだけ怖いし、胸も痛む。

 急に警察がやってきて、熊井さんを捕まえようとするかもしれない。

 だから熊井さんは、ぎゅっとクマちゃんを胸に引き寄せる。


 そうすれば勇気が出てくるって、知っている。


 熊井さんはいつも笑顔だ。

 いつこの爆弾が爆発したとしても、最後の瞬間は笑顔でいたいから。

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熊井さんについて 吉田定理 @yoshikuni027

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