第2話

 事件は大臣達にも知らされました。

 一番偉い大臣は、言いました。

「いつまでも子供のようであられては困る。ぬいぐるみなど、捨ておけばよい」

 そして、ぬいぐるみなどより、よい后に慰めてもらえばよろしい、と自分の娘たちをよこしました。どれも気立よく美しい娘たちが、王様を心から案じてお見舞いの歌を歌いました。

 けれど王様は、だれも部屋に近づかせません。


 二番目の大臣は、古ぼけたぬいぐるみよりこちらをどうぞ、と、代わりのぬいぐるみをたくさん作らせてよこしました。うっとりする滑らかな手触りと完璧な愛らしさ。色とりどりのぬいぐるみたちの目は、どれも最高級の大きな宝石でできています。

 けれど王様は、ひとつも受け取りません。


 ナラカ王は、眠れなくなりました。

 一睡もできない夜を過ごすと、疲れがたまり、思考が鈍ります。それが二夜、三夜と続き、ナラカ王は目の下に隈ができ、顎が細くなり、頬骨がくっきりと浮き出ました。

 公の場では気を張っていても、部屋に戻れば気が抜けて、ベッドに転がってしまいます。

 そのベッドにいつも転がっていたぬいぐるみは、もういません。

 大人になって初めて、ナラカ王は涙を流しました。


 部屋から出ないでいると、大臣たちが呼びに来ます。

 けれど玉座に座っても、何をしていても、思い浮かぶのはぬいぐるみのことばかり。

 ナラカ王は、王様の仕事はひとつもしなくなり、誰とも目を合わさず、口もきかなくなりました。

 まるでナラカ王こそが、玉座に座った人形のようでした。

 人々は、いよいよ王様が心を失って凍ってしまったと噂しました。



 三番目の大臣だけが悲しげな顔をして、こう言いました。


「……古きネスク神殿の新しき巫女は、失せ物探しの占いが得意とか。前の王家とネスク神殿とは仲違いをして、今も付き合いはないままですが、一度、巫女をお召しになって失せ物探しを依頼されてはいかがでしょう」

「おお、それはいい!」

 お城に長く使えている近衛隊長も喜びました。

「探しても探しても見つからない、王様の大事なものの在処を、ぜひ占ってもらおう」


 ナラカ王は心ここに在らずでしたが、近衛隊長の計らいで、失せ物探しの上手なネスク神殿の巫女が城に呼び出されました。

 お城の大広間、大臣たちをはじめ、多くの人の前で、頭から足の先まで布で覆った小柄な巫女は、朗々と占いを披露しました。

 それは、普通の失せ物探しとは、少し違う様子になりました。


「その命なき獣は王様を癒して疲れたのだろう。一時神の国にて預かるので、その間に、国の憂いを払うが吉」


 国の憂いとは、と巫女は続けて言いました。

「ひとつ、一の大臣が屋敷に隠した欲の心」

 駆け出して行ったお城の近衛兵たちが、一の大臣の屋敷からたくさんの金銀財宝を見つけ出しました。お城から紛失した国の宝も多く含まれていました。

 一の大臣の美しい娘たちはその宝をさも自分たちのもののように、没収しようとする近衛兵たちを泥棒呼ばわりして、爪を立てて歯を剥いて、飛びかかったそうです。


「ふたつ、二の大臣が屋敷に秘めた罪の証」

 近衛兵たちは、今度は二の大臣の屋敷からたくさんの剣や弓、そして毒を見つけ出しました。

 二の大臣は、王様への謀反を計画していたようでした。王様へ献上した高貴なぬいぐるみたちにも、毒にもなるという香りが仕込まれていました。


「みっつ、三の大臣の忠義心に付いた錆」

 いつも他の大臣たちからこき使われている三の大臣の家からは、何も見つかりませんでした。妻は既に亡く、娘がいたはずが、どこかへ嫁いだのかいなくなっており、屋敷は暗く、寂しく、空洞でした。


 すべてのことはその日のうちに大広間で明らかにされました。

 巫女は、占って以降はただ黙って立っています。

 ぼんやりとどこかを見たままのナラカ王の側で、近衛隊長が大臣達を捕まえるように指示しました。

 一の大臣と、二の大臣は、すぐさまお城の牢屋に入れられました。三の大臣は、不在の娘が怪しいからと、家に謹慎となり見張りがつきました。

 近衛隊長は、その場の誰より真っ白な髭を揺らして、王様に、というよりも大広間に集まった人々に向かって、大声でこう言いました。

「王様に逆らう大逆の罪は重い、法に則り、彼らはすぐに死罪にするべきです」

 と。

 その話は、すぐにお城の外にも伝わりました。

 人々は、王様を裏切った大臣達を責め、凍ってしまった王様ならすぐに死罪にしてくれるだろう、と噂しました。

 けれどそれ以外の人々は、大臣達も悪いけれど、死罪なんて厳しすぎる。けれど凍った王様ならすぐに死罪にしてしまうだろう、と噂しました。




 ナラカ王は、暗い部屋のベッドに転がり、今夜も眠れないまま虚空を眺めていました。

 発言もせずに座っていただけですが、すべてを見聞きして理解もしています。

 ぬいぐるみのことだけでなく、三人の大臣のことが、ぐるぐると頭の中で渦巻いていました。

 ナラカ王は、大臣達と共に、国を良くしてきたはずでした。彼らの語る理想が、ナラカ王の進む道を決めてきました。

 けれど彼らは裏切った。そして罪を犯した者は、裁かれる。確かに、王様を裏切れば、法の上でも死罪です。法にもとづく正しい裁きです。悩む必要ははないはずでした。

 国に人は数多くいます。大臣として国を良くするという役割を果たさなくなった者が去れば、誰かが代わりにその役に就くでしょう。それで、何も問題はないはずなのです。

 ナラカ王の大事なぬいぐるみが失われた時、代わりの何かをあてがえばよいと、彼らも言っていたのですから。


 けれど、ナラカ王の心は暗いままです。

 ずっと眠れていない頭は、うまく働いてくれません。

 心が、真冬の沼の底のようなどろりと冷たい場所に、寂しく沈んでいくようでした。

 人々が噂するように、本当に冷たく凍りつきそうでした。

 やがて、ナラカ王の体も重たくなり、息をするのも苦しくなりました。


 このまま息を忘れて世を去ってもいいと目を瞑った時、思い浮かんだのは、ぬいぐるみをくれた友人でした。

 お互いにひとりぼっちで、ナラカよりもずっと弱くて泣いてばかりだった小さな友人は、どこかの家に貰われていくときに、大切にしていたぬいぐるみをナラカに押し付けたのです。

「これから私は幸せになるから、この子はあげる」

 自分だって不安でいっぱいだったはずなのに、残していくナラカを案じた優しい友人でした。

 あの友人は、今どうしているのか。

 あの子を、いつだって笑わせてあげたいと思ったものでした。

 はっと、ナラカ王は飛び起きました。

 なぜ、忘れていたのでしょう。王様になってからは身を削るような忙しい日々でしたが、だからといって、大切な思いを忘れるなんて。

 王様は確かに与えられた役割でしかありませんが、なぜ王様になったのかといえば、あの友人の笑顔のためといえるでしょう。笑わせてあげたいと、そのためにがむしゃらにやっているうちに、王様になっていたのです。

 だからこそ、友人に繋がるぬいぐるみが、ナラカ王をずっと癒して励ましてくれたのです。


 自分の心が見えてくると、世界が、ぐるりと景色を変えました。

 ぬいぐるみは、王様の特別でした。けれど、友人に繋がるならば、ぬいぐるみでない別の品であっても王様を癒やしたかもしれません。大切なのは、友人との繋がりだったのです。けれどそれは、他の人の目には見えません。ぬいぐるみは、他の人から見れば、ただのぬいぐるみです。

 ナラカ王は、国を愛せない王様です。民の前でにこりともしない王様です。けれど国のために精一杯働いて来たと胸を張れます。友人を笑顔にするために王様になったように、国が良くなり人々が笑顔になることを、嬉しいと思います。けれど他の人から見ると、嫌々押し付けられた仕事をしている冷たい王様に見えるのでしょう。


 役割はただの役割であり、人や物の本質は、そこにおさまるものではないのです。

 信じるべきは、その人の歩んできた道と、心の在り様のはずです。

 大臣は、屋敷にこっそり財宝や武器を集めるべきではないでしょう。それこそ、国への忠誠を疑われるからです。けれど、集めていたからと言って、彼らが悪いことをするような人間でしょうか。

 ナラカ王は、彼らと共に歩んできた日々を思い出しました。

 彼らもぬいぐるみのように失っては、もう取り返しがつきません。

 ナラカ王の鈍っていた思考が、ようやく動き始めました。

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