ひとりぼっちの王様とわたし
ちぐ・日室千種
第1話
内乱によって荒れ果てたシュタフ王国に、一人の若者ナラカが現れました。
金と黒の斑らの髪、褐色の肌、金の瞳。強くしなやかな、立派な若者です。
王国の片隅の小さな町で、荷運びの仕事をしていたナラカは、ある日、女子供の弱い者に乱暴をしていた兵たちをなぎ倒し、町から追い出したのです。
きっかけは仲間を救うためだったとも、孤児院を守るためだったとも言われます。
ナラカは、近くの大きな街からも乱暴な兵たちを追い出し、街の長たちを味方につけました。
けれど国中が荒廃と動乱のただ中では、街一つ自由にしてもどうにもなりません。
そこでナラカは仲間を連れて、内乱の中心地である王都へ向かいました。
シュタフ王国の内乱の始まりは王と王妃の事故死、いえ、そのさらに十年前、おふたりの間に生まれた御子が産婆と共に姿を消した時でした。御子の失踪には、きっと誰か悪意あるものが関わっていたはずです。けれどひとつの手がかりもなく、御子の行方は知れないまま、年月ばかりが経ちました。
王と王妃は子を失った悲しみを乗り越え、善政を敷いていましたが、彼らが亡くなって、国はにわかに暗い時代に突入しました。
疑い合い、裏切り合って、王族は数を減らし、とうとう、前々王の弟が興した公爵家と、前王の王女が嫁いだ侯爵家とだけが残って、全面戦争を繰り広げるようになりました。
互いに譲らず、戰三昧。
十年もの長い間、王は不在のままとなっていたのです。
王都まで来たナラカは、睨み合う公爵家と侯爵家の兵たちの横に、お祭りのように飾り付けた荷車をずらりと並べ、美味しい食べ物をどんどん作らせました。
じゅうじゅうと焼ける肉の音、ぱちぱちと踊る油の香り、ぐつぐつ煮炊きの汁の湯気が辺りを漂います。
「さあ、誰でも並んで食べてくれ、行儀よく食べるならお代わり自由だ、たくさんあるぞ!」
前線で戦う兵たちの多くは、ふさふさの耳や尾など、獣の特性を持つというだけで奴隷のような扱いをされる獣人たちでした。彼らは常に、お腹を空かせていました。しばらくは持ち場で我慢していましたが、上官の騎士たちが何も言わないので、ついに武器を放り出し、兜を脱いで逆さまにして、汁や肉を兜によそってもらおうと列を作りました。
実はナラカは、事前に公爵と侯爵、両方にひそかに使者を送っていたのです。使者は上手に相手に信用させると、これから腕のいい詐欺師が敵の陣営を混乱させて隙を作ると信じこませました。だから騎士たちは素知らぬ顔をしていたのです。
獣人たちの何列もの厚い盾陣が、砂の城のようにボロボロと崩れていくのを、ニヤニヤ笑って見ていたほどでした。
敵だけではなく自分達の陣も手薄になると不安がる者もいましたが、使者はもっともらしく言いました。
「獣人は体が丈夫で、防壁としてはとても優秀です。だが、騎馬一体のひと駆けひと突きこそ、最も強い攻撃です。獣人たちの防壁が崩れたその瞬間、騎士たちの狙い澄ました槍が敵の心臓を貫き、この戦を勝ち取る。それこそ、真の勝利というものでしょう」
両陣営とも、戦いの指揮を取るのは貴族の青年たちで、自ら騎士として華々しく活躍したいと、気を昂らせていました。
彼らは使者の言葉に気を良くして、薄雲のような不安を笑い飛ばしました。たやすく敵を倒す自分達の勇姿を想像して、それを手放せなくなりました。
そして、獣人たちが温かな食事にありついて、戦場をすっぽかしている間に、騎士たちは敵の陣営へと我先に突進したのです。
同時に敵方からも騎馬が駆け出してきたことに、驚く間もなく。
がつんと中央でぶつかって、駆け抜けた先で、向きを変え、またぶつかります。
落馬したもの、落ちかけたもの、それを助ける従者たち、主人を失ってあちこちに走り去る馬……。
予想を超えた混戦になりました。
公爵と、侯爵は、安全なところから自軍の勝利を見届けようと背伸びをしていましたが、そこにまで馬が迷い込んできます。
守る兵も少なく突然の激戦に慌てふためいていた彼らを、横から忍び寄ったナラカと仲間が、あっという間に捕まえてしまいました。
こうしてナラカは、圧倒的な武勇と知略で内乱をおさめ、皆に是非とお願いをされて、王様になりました。
内乱は終わり、落ち着きを取り戻したものの、王都も国も荒れ放題でした。
若いナラカ王の親代わりのような三人の大臣が、言いました。
王様のつよさは、よくよく国中に知れ渡りました。
次は賢い王となり、国を豊かにしてください。
さらに正しき王となり、国を平和に治めてください。
そして慈愛ある王となり、国を愛してください。
だからナラカ王は、その通りにしました。
森を拓き岩を砕き川を治め、民が一年中お腹いっぱい食べられるだけの恵みを得ました。
法をつくってこれに従い、悪を懲らしめ不正を正し、人々が安心して暮らせるようにしました。
国は豊かに、平和になりました。
国の民は皆、自分たちの育った土地で安心して暮らし、風そよぐ黄金の原に沈む夕陽を、明日を夢見ながら眺められるようになったのです。
だれもがナラカ王の偉業に自ずと頭を垂れました。
けれど、ひとつだけ、ナラカ王が思うようにできないことがありました。
ナラカ王には、国を愛するということが、わからないのです。
ナラカ王は王様という与えられた役割を果たしているだけでした。国を良くするのは、王様の役割だから。かつて剣をとった時のような湧き起こる熱い気持ちなど、今はありません。
ナラカ王は、民の前に立つ時も、にこりともしませんでした。
どれだけ素晴らしい政治をしても、ナラカ王はこわいお顔ばかりで笑うことのない冷たい方だ、と皆が囁くようになりました。
そこで大臣たちは言いました。
王様には、愛を知ることが必要です。
王様のためにも、ふさわしいお后様を迎えましょう。
妻を持ち、子を持てば、愛情を知ることができるでしょう。
そうすれば、国を愛することができるでしょう。
ナラカ王は首を傾げました。
ナラカ王には父も母もいなかったので、親になるということがわかりません。子供は力がなく弱いから、好きではありません。妻や子に対する愛情というものも、よくわかりません。
けれどそれで困ったことはありません。寂しさを感じたことも、ありません。
それに、国を愛していなくとも、国が良くなっているならよいように思います。
何が問題なのか、ナラカ王には分かりませんでした。
お城の奥、王様の家族が住むはずの場所に、ナラカ王はひとりきりで暮らしています。
疲れた時や元気が出ない時、ナラカ王はベッドの上に転がるぬいぐるみを揉んだり撫でたりして過ごします。
ふわふわで、ふかふかで、ちょっと埃っぽいけど馴染みのあるいい匂い。
この国で一番ありふれた、白い子兎の形を模したぬいぐるみです。
王様の部屋にあるけれど、特段高貴なぬいぐるみではありません。国いちばんのぬいぐるみ師が縫ったわけではないでしょうし、目が宝石なわけでもありません。ところどころ綻びがあるし、落ちない黒ずみもあります。
でもこのぬいぐるみは、特別なのです。
国のすべては、王様のもののようで国のものです。人も土地も宝物も、王様が毎日使うベッドも服も、ペンとインク、そして愛用の剣でさえ。
でもこのぬいぐるみだけは、ナラカ王が幼い頃に友人から譲られた、ナラカ王だけのものなのです。
ぬいぐるみは、ただそこにいるだけ。
それが、例えようもなく大切なことでした。
ひたすらぬいぐるみの手触りを感じていると、余計なことを考えずに眠れます。ナラカ王はそのおかげで気力と体力をなんとか回復させ、楽しみがなく終わりもない王様としての激務の日々を過ごすことができていたのです。
ところが、そのぬいぐるみが、ある日突然消えてしまいました。
ナラカ王は、自分でも驚くほどの衝撃を受けました。
お城の管理を任されている侍女たちと近衛兵たちは、真っ青になってぬいぐるみを探しました。
けれど、だれも何も知らず、まるで神様がいたずらで消してしまったかのようでした。
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