第3話

 ナラカ王は力の入りにくい体で起き上がり、記憶をたどり、本棚の一部の細工を動かしました。秘密の通路があるのです。ここを知る者は、本当に限られた人間だけ。

 一の大臣も二の大臣も知らないはずです。三の大臣と近衛隊長が知っていて、ナラカ王も知っていることを知っているのは、三の大臣のみ。

 ぬいぐるみはそれなりに大きく、潰しても嵩張ります。どこを探してもカケラも姿がないので、誰かが外へ持ち去ったと思っていました。隠して運んだ形跡ばかりを探していました。けれど、すぐ近くの誰かが、ただ見つからないように隠したのだとしたら。


 通路を開けるのは、初めてでした。本当に開くのか半信半疑でしたが、案の定、指四本分ほどの隙間が空いたところで、カラクリは止まってしまいました。

 ナラカ王が隙間に手をかけて力一杯にぐいっと引き開けると、どこかで何かが壊れた音がしました。きっと仕組みの部品か何かが限界だったのでしょう。通路は開いたまま、カラクリはうんともすんとも反応しなくなりました。

 その暗い通路に、ころりと落ちていたもの。

 それは、ナラカ王のぬいぐるみでした。

 だれかが、狭くしか開かない出入り口からここに押し込んだのです。





 翌日の、よく晴れた日。

 城の前の広場に連れてこられた大臣たちが、ナラカ王の前に跪きます。

 ナラカ王は、静かに玉座に座っていました。近衛隊長は、その側に大きな剣を腰に佩いて立ちました。

「いかがです、王様!」

 近衛隊長が、老いた体から出たとは信じられないほどの声で叫びました。

「この巫女の占いは正確無比! さあ、悪しき大臣どもを死罪になされい! さすれば、貴方の大切なものが戻ってくるでしょう!」

 興奮した様子で、今日も布をすっぽりと被った巫女の肩を掴んで揺さぶります。子供のように小柄な巫女は言葉もなく、ぐらぐらと揺れておりました。


「私の大切なものとは、何だ」

 ナラカ王の声は、叫んでもいないのに、よく響きました。


「もちろん、王様のぬいぐるみでございますとも!」

「それは、昨夜見つかった。犯人の目星もついている」

 近衛隊長が言葉に詰まり、巫女がびくりと反応しました。

 ナラカ王はそれをじっと見つめます。

「犯人のことは心配せずともいいが、それより、私の大切なものの話だ。ぬいぐるみだけとは、情けない」


 近衛隊長はしばらく白い髭をビクビクとさせていましたが、ナラカ王が静かに座ったままだったので、ふたたび両腕を広げて、大きな声を出しました。

「おお、それはそれは。大切なものの一つが戻ってきたのはめでたいことですが、より大切なのは、王様のご出生の秘密についてでございますとも!」

 広場にいる多くの人が、息を呑みました。

「偉大なる王様が、そのご出生もまた数奇な運命に翻弄された、高貴なものだったとしたら、今後のご治世がなお一層盤石になり、輝きを増すというもの! 失われていたご出生の秘密を、この巫女がしっかりと占いましょう。巫女の失せ物占いは、百発百中ですぞ」

 御子が消えたあの時も占いなどと馬鹿にせず使ってみれば、という呟きは近衛隊長の口の中に消えました。


 ナラカ王は、立ち上がって玉座を離れ、大臣たちの前をゆっくりと歩きました。

「私にとって血筋など意味がない。私はみなしごだ。この国の、誰もが知っている」

 ただし、そのナラカ王こそ前王の遺児ではないかと、国の誰もが、一度は思ったことがあるでしょう。

 ナラカ王も、そんな囁きを知っていました。けれど本当にそんなことは、ナラカ王にとっては大切なことではないのです。


「私にとって大切なものは、これまで共に国のために働いてきた者達だ。ここにいる一の大臣も二の大臣もだ。裏切りの証拠だと? ではその証拠、存分に精査しようではないか。精査なく死罪にすべしというのが法であれば、法を変えよう。皆は私が心の冷たい王であると思っているかもしれないが、――私は疑心に呑まれて死罪を言い渡したりはしない。裏切られても、裏切りはしない。私はこの国を愛してはいない。だが、この国に住む者たちは幸せであれと思う。その気持ちが、かつて私を立ち上がらせ、王にまでしたのだ」


 大臣達が、そして物見高く広場を囲んでいた者達が、皆、ナラカ王に平伏しました。




 近衛隊長だけが、目をぎょろつかせ、白髭の口元を震わせて、玉座の横で立ち尽くしました。

「なんと、では、ではこの獣人の大臣達をこれからも重用すると……」

 一の大臣は、頭に大きな黒羽根を一枚生やし、本能的に光るものが大好きでした。

 二の大臣は豊かな白黒の尾を持ち、香りにうるさく金属が大好きです。

 どちらも、もとは気のいい地方の街の長と、ギルド長でした。知り合ってからは家族の様に付き合ってきた、ナラカ王の仲間なのです。

 どちらも大臣としてとても優秀です。

 けれど、わななく近衛隊長に呼応して嘆く者達も少なくありませんでした。まだまだ獣人に対する偏見は根強いようでした。


「獣人といって、姿形がほんの一部異なるだけの者がほとんどではないか。まして、人と人の間に、突然生まれる者たちだ。天命のようなもの。なぜ、差別をする?」

「王様! 全き人と獣人とを比べるとは! 前王も急に獣人に対し寛容な政に切り替えられた。いくらお諌めしても、聞き入れられず! だから、あのような死に様となるのだ!」

 鋭い視線に貫かれて、近衛隊長が危うい口を閉じました。

 けれど、ナラカ王は意外にも優しげな声を出して、巫女を手招きました。

「近衛隊長の意向はわかった。私の出生を気にかけてくれていることも。――巫女、せっかくここまで来たのだ。その出生の占いとやらをやってみせるがいい」

 近衛隊長は、その言葉に目を輝かせて、巫女の背を押しやりました。


 よろよろと歩み出た巫女でしたが、ナラカ王の側まで寄ると背を伸ばしました。

 立派な体格のナラカ王に並ぶと、巫女は華奢で、まるで子供の様でした。

 そして、高く澄んだ声で、占じました。


「……前王の御子は、ここにいる」


 広場に、ざわめきが走りました。

 やはり、王様が、という声。

 苦い声でした。

 多くの人々は、内乱で苦しめられた記憶が濃く、喜びの色はありません。彼らにとって、前王家は辛い歴史の一部なのです。

 けれど、前王家の時代の暮らしが忘れられない者もいるようで、その多くは、近衛隊長の周りに賛同を示すように集まってきました。

「さよう、さようですとも! やはり、血は争えぬ。見事な資質は血にこそ宿るのです! 正しき人の血を、正しき王家の血を継ぎ、人の国を作っていかなければなりません。獣人の身で大臣を名乗る輩の処分、もう一度、お考え直しを!」


「それは、かつて獣人だというだけで多くの人を殺めた自分の立場が危うくなるからですかな、近衛隊長殿」

 突然、三の大臣に鋭く問いかけられて、近衛隊長は目をギョロリと見張り、しばらく呆然としました。

 それから、真っ赤になって怒り出しました。

「なにを、なにを! 王様! 御子の誘拐、つまり貴方様の誘拐に関わった者こそ、この三の大臣ですぞ! 私が巫女に占わせたのですから、間違いない」

 近衛隊長は唾を飛ばして叫ぶうちに、勢いを取り戻しました。指を突きつけ、地団駄を踏んで、反逆者だ、重罪人だ、と叫びます。

 自分以外のあらゆる存在を、なんとかして引き摺り下ろさねば、という執念に突き動かされているようでした。


「この大臣だけは、前王の時代から城にいる! 忠義者の顔をして、王様が変わっても、何食わぬ顔をして城にいる! 考えてみてください、おかしくはないですか? 王様、貴方が三の大臣を重用するのは、なぜなのです? ――調べましたぞ、何の血縁もないはずの王様の若き時から、三の大臣は王様を自分の領地に住まわせ、自分の息のかかった教師を充てがった。それはまさに、拐かした前王の御子を、自分の傀儡となるよう育てるためでしょう! まことの悪とはこのことですぞっ」



 たしかに、ナラカ王は親の顔を知らないまま、道に捨てられていました。

 そしてたしかに、三の大臣は幼いナラカ王を自分の領地の町に連れ行き、よい先生をつけました。

 しかしその理由は。

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