第13話 一か八かの勇気


 中庭は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 エンドリの身体に入っていた時にお見舞いした生首の眼への攻撃は奴を激怒させるに十分だったらしい。


 駐屯地の建物はほとんど崩落していた。

 外へ向く外壁が中庭を取り囲むように残っていて、中庭の方を向いた内壁は瓦礫の山と化していた。中庭はその範囲を広げているように見えた。隔てる物が無くなって、広がった中庭を自由に飛び回り、怒りを発散するためだけに飛び回る化け物があった。


 俺はそれを見ていた。はっきりと、この目で、震える足で、怖気づいた全身で受け止めていた。


 死ぬかもしれないと思った。ゲリーの肉体が死へと向かうその時は俺の魂も死へと向かうはずだった。


 いずれにせよ兵士であるのなら死とは隣り合わせだ。俺は助かる道も探すが、敵を撃滅する道も同じように探すのだ。後者の方がはるかに助かる命が多い。


 諦めたつもりはないのに、投げやりな向こう見ずな気持ちが湧いてくる。


 このどうしようもない飛び込みは俺の気持ちだろうか、それともゲリーの気持ちだろうか。


 俺は正面玄関へと向かった。


 大砲を確認すると瓦礫が砲身の上に載っていた。

 瓦礫を取り除き、砲身を露にした。ざっと点検してみるが幸いな事に大きな傷はない。


 それを力づくで向きを変える。生首は血液や涎を混ぜ合わせたどろどろとした液体を口から垂らして跳ね回っている。


「くそっ!」


 ゲリーの身体は弱々しい。エンドリの身体と比べると金と石のような閃きしかない。


 俺が大砲の向きを中庭の方へと押していると左側の柱の影を生首が通ったらしい。凄まじい音とけたけたという笑い声、怒りを孕んだ叫びが聞こえて来た。


 奴の攻撃を寸でのところで避けた者たちがその柱の傍に逃げ込んでいた。


「ゲリー?」


 ひとりが近づいてくる。


「手伝ってくれ。こいつを使うしかない!」


「お前、逃げたんじゃなかったのかよ」


 そうだ、ゲリーならそうしたかもしれない。あの場で蹲った男なら。だが、俺は今、ゲリーじゃない。ゲリーだが、ゲリーじゃないんだ。


「手伝うよ。おい、みんな手を貸せ!」


 名も知らない男が呼びかける。

 目の前で嵐のように飛び交う生首が襲い続ける中で俺たちは大砲を中庭へと向けるために全力を注いだ。


「ゲリー、これは奴に当たるのか?」


「分からないさ。でも、これを試すしかない」


 男はこっくりと頷いた。


「ゲリー?」


 ひとりの女性が俺の傍について言った。


 俺は返事をしなかった。


「ゲリーなの?」


 俺が声のする方を見るとそこにはナデッタがいた。


「ナデッタ………」


 無事だったのかという安堵が生まれた。彼女は土埃や泥、雨のように降る生首から出るどろどろとした液体に汚された姿をしていた。


 髪の毛は薄い膜を張ったように白んでいて、頬には泥が付いている。


「他のみんなは?」


 俺が尋ねるとその問いに彼女は全てを納得して理解してくれたらしい。


「分からない。逸れちゃったのかも」


 「そうか」と答えるしかなかった。それ以外に言葉は見つからなかった。


 大砲の口を中庭に向ける事が出来た。後は発射の準備をして、奴を射線へおびき寄せるだけ。これだけ飛んだり跳ねたりしている奴に当てるにはどんな名射手だって不可能だろう。


 そうと分かればするべき事は絞られる。


「発射のための準備をしておいてくれ」


 男に言うと驚いた様な眼で俺を見た。言葉に出せないままこっくりと頷くと砲弾を確認し始める。


 ナデッタが俺の腕を掴んだ。


「どうするの?」


 彼女の眼は次に俺が言う言葉を分かっているような表情をしていた。


「俺が囮になる。合図は送る。その時に奴を撃て」


 囮になる事だけは決まっていた。合図をどんな方法で送るのか、そもそも奴からどのように逃げるのか、立ち向かう術はひとつとして決まっていない。


 一か八かの勇気はどのような言葉で言えるのだろうか。


 馬鹿と言われるかもしれない。それでもあの怪物を討つためには立ち向かえるもので立ち向かうしかない。


 ナデッタは悲し気な表情を浮かべた。恐らく俺が無策である事を見抜いたのだろう。


 すると、彼女は俺を抱きしめた。ゆっくりと優しく添えられた掌が俺の背中を叩く。

 胸の前で彼女が顔を埋めていた。背中を叩いた音と俺の鼓動とが繋がってその押し付けられた彼女の耳へと届いただろう。


「もう一度、名前を教えて」


「○○○○・○○○○だ」


 口にしたが伝わらなかった。彼女もそれと受け止めたらしい。


「あなたみたいな人がいた事をわたし、忘れないから」


 恐らくその言葉が最も強い言葉だったに違いない。俺は挫かれそうで、不安で、恐ろしくて堪らなかった現在に力が漲る感じがあった。


「幸運を、あなたに」


 ナデッタが俺の傍を離れていく。


 恐れもあったが、それと同じくらい勇気もあった。

 死の予感もあるが、生の予感もある。


 中庭の方へと目を向けた時に、生首がちょうど俺の方を振り返るのが見えた。


 そして眼が合った。


 奴は笑った。

 俺も笑っていた。

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エドゼル・ホワイトの災難 天勝翔丸 @amakatsushomaru

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