第12話 固まっている身体
俺は卓の前に座っている。いつもと変わらぬ景色に嫌気がさした。
代り映えのない景色と面子。
「よお」
俺は眼の前の兎たちに挨拶をした。
「ええ、こんばんは」
「ふふ、良い夜ですね」
良い夜?
良い夜だって?
どこが良い夜だって言うんだ?
「ここはお前たちだけなのか?」
ユートゥとユェートゥはきょとんとした顔をして目を見合わせた後にくすくすと笑いながら艶めいて言った。
「他に人が必要ですか?」
「いや、聞いてみただけだ」
俺は今、確かに俺だ。顔の形、全身の感覚、掌の皺の感じ、あらゆる情報が俺だった。
「あの扉はどこに続いているんだ?」
「気になりますか?」
「当然だな。開かれたところを見た事がない」
「どうぞ、開けてみてください」
くすくすと笑いながらユートゥが言った。
俺は戸惑いながら立ち上がり、窓の方へと近づいた。思えばここでこんな風に歩いたのは初めてだったかもしれない。足の裏が伝える感覚は重厚な硬い石畳の床だった。
俺がここで自由に振舞おうとすると頑なにそれを許可しなかったはずが、今になって自由を得ている。
扉の前に立った。大きな扉だ。改めてその全貌を見直してもそう思う。ノッカーもない、夥しい装飾が近づいてみるとかなりグロテスクだ。
「鍵は?」
俺が尋ねると2人は今度はくすくすとした笑いではなくはっきりと声に出して笑った。
「鍵だなんてありませんわ。施錠なんてする必要がありませんもの」
「閉ざされているという思い込み、二重に閉められているという思い込みですよ。ふふ、そんな風に考えていらっしゃったのですね」
気分が悪い。そんな風に面白く楽しんでいやがったのか。
俺は扉を押してみた。
扉はぎぎぃっと酷い軋み音を鳴らしながら開いた。
そして見えたのは、城だった。
夜の城、そのうちの一角に設けられた尖塔の上部に俺はいるらしい。
月が近い。大きな月が城の屋根の稜線に一部を隠して浮かんでいる。
月光が差し込んで俺のいる部屋は変に明るくなった。
俺がいるのは別棟の屋根から伸びる尖塔である。本棟は別棟の2倍ほどの大きさがあり、その屋根から伸びる尖塔は低いのがひとつ、高いのがひとつ、全部で2つの尖塔を俺は見上げていた。
山の上に建てられた城で、木々の向こう側に小さな家々が並んでいるのが見えた。煙が立ち上り、微かな光が漏れて見える。
変に現実味のある夢だった。
扉は窓だった。
窓枠に手を置いて、その冷ややかな様子から俺は腕へ、心臓へ、肺へ、そして頭へと冷たさを伝達すると、途端にここが現実なのだという実感が湧いて来た。
「答えてくれ。ここはどこなんだ?」
城、このような辺鄙な土地にある城はそれほど多くはないだろう。考えれば分かるはずだ。俺は城の外観と周囲の光景を記憶に刻み込むために良く見ようとした。
「必要ですか?」
「当然だ」
「何のために?」
「俺の事を知るために。ここが何処なのかを知るために」
「知ったところで賭けられませんよ?」
妖艶に笑う兎たち。そうだ、お前らも何者なんだ?
風が吹き込んで来た。俺が兎たちを睨む瞳の後ろを押すように俺を前へと押し出している。
兎たちの長い髪の毛が風にそよいだ。冷たい風に当てられた彼女たちの白い肌が粟立つように見えたのは月光に照らされてその白さが際立って見えたからかもしれない。
俺は椅子に座り直した。
窓は開いたままだ。風が必要だった。月光も必要だった。
「月光が綺麗だと思うか?」
「「ええ、月光はいつだって綺麗ですよ」」
兎たちは声を揃えて言った。まるで俺がそう尋ねるのを知っていたかのような口ぶりだった。
「だが、時として月光はある伝承を作る事もある。その光を浴びた男を恐ろしい狼へと変えてしまうという伝承だ。聞いた事はあるか?」
兎たちは答えなかった。
俺は次に言う言葉の準備があった。
卓についたんだ。やるべき事は分かっている。
「賭けよう」
ユートゥとユェートゥが準備を始めた。
回転盤の中央のつまみを握る。
「何を賭けますか?」
俺は2人の兎を見て言った。
「俺の魂を駆けよう」
負けるわけにはいかない勝負が始まる。
いつか言われた言葉を思い出す。
『手を出してはいけない物に手を出してから本当のギャンブルが始まる』
回転盤が勢いよく回り始めた。
全てを失うか、それとも………。
眼を覚ました。
眼を開けたはずなのだが、暗かった。
いや、全身に感覚が行き渡る。固まっていた筋肉や感覚、思考が解れていく。
まるで糊で固められたかのように身体が動かない。いや、身体だけじゃなく、心も落ち込んだ底から起き上がる事も出来そうにない様子だった。
エンドリじゃない事だけは確かだった。
なら、誰だ?
俺はいったい誰の身体に入り込んだんだ?
べりべりと糊を引き剥がすような音さえも聞こえて来そうな素振りで立ち上がる。
背丈はエンドリよりも少しだけ低い程度、力の入り具合は悪かった。拳を握った手ごたえはまるでない。脚を踏み出して力を入れてもすぐに萎えてしまいそうになる。
恐怖に支配されている身体だった。
瓦礫の山、悲鳴と怒号の渦、激しい戦闘音の最中を歩いて俺は武器を探した。
手に取ったのは落ちていたナイフと小銃だった。
心許ない。力がない代わりに強大な武器が必要だった。あるいは強大な武器がない代わりに強い力が必要だった。
一面が血の海と化していた。そこに映る俺の姿を見る。
そこには恐怖に絶望した男が映っていた。
「ゲリー………」
外から恐ろしい音が聞こえる。戦闘は続いているのだ。脚は震えている。心臓も、いや、心が恐怖に震えている。
鼓動は恐ろしさのあまり、少しの衝撃や激しい轟音が鳴るたびに停まりそうだ。
喉は悲鳴が上り、今にもそれを出しそうにひくついている。
視界は色を薄め、眼は輪郭をはっきりと伝えなかった。
俺の立ち尽くす眼の前で人が逃げていく。走り去る男が通り過ぎて行った。それはトレフェンだったかもしれないが、ゲリーのぼやけた何もかもに恐れをなした瞳ではそれは正しく映らなかった。
「いいさ。これもこれでありさ」
心から俺はそう思った。それはトレフェンの逃亡か、それともこの窮地のためか。
俺はあの賭けに負けたのか。
賭けに負けたからと言って全ての勝負に負けるとは限らない。
ゲリーの足は萎んだ心をそのまま映して少しも動きそうにない。
立つことは出来た。そのままどちらかの足を前に出すのだが、少しも出ようとしない。
「ゲリー………」
手を思い切り広げて腿を力強く叩いた。
ばしんと強い音が鳴ると筋肉が鳴動し、震えと同調するとそのまま一歩が踏み出された。
カードで勝負する際には配られたカードで勝負するしかないと、誰かが言っていたのを思い出した。
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