第8話 飛翔体の正体


 アダルフォの焚いた炎に引き寄せられて数人の兵士が集まっていた。


 この炎の他にもあちこちで火が焚かれている。そうなるとこのスレアンドラ旧駐屯地の敷地内は途端に明るくなった。


 飛翔体は間違いなく俺たちの方へと近づいていた。人の集まる場所を島から島へと飛び移るようにやって来ていた。


 悲鳴が近くなり、上がったかと思うと止んでいく。


 そしてぱたりと何も聞こえなくなった。


 いや、遠くからぜえぜえという喘鳴が聞こえて来る。それが徐々に大きくなってくる。


 今、目の前で聞こえている。


 びゅんと空を切る音が聞こえて来た。


 すると、俺の腕をばしぃっと何かが巻き付いた。ぐるりと腕を引き掴むそれが根の方へと俺を引っ張って来る。

 俺はエンドリの身体でその牽引力に抵抗した。


 牽引力はとても強かった。全身の力を振り絞って身体を持っていかれないように抵抗する事しか出来ない。


「エンドリ!」


 アダルフォが叫んで俺の腕を掴むその何かに向けてナイフを突き刺した。巻き付くそれは平たく、幅のある物で帯のようだった。


 ナイフはその短い刀身の半ばまで帯に突き刺さっている。それなのに俺を引く力は少しも弱まる事がない。アダルフォは突き刺さったナイフに全体重をかけてその帯を切り裂こうとした。


 集まっていた他の数人もアダルフォに加勢してその帯にナイフを突き立てる。


 ゲリーは青ざめた顔で立ち尽くしていた。


 ようやくアダルフォは帯を半分ほど切り裂いた。すると、途端に力は弱まった。俺の抵抗力と牽引力に耐えきれなくなった帯の繋がっているもう半分はみりみりと音をたてて引き裂かれていく。


 その最後の点を別の男がナイフで切り裂くと俺は勢いに負けて尻もちをついた。

 それでも俺の腕に巻き付いた帯は離れようとしない。繋がりを断たれたそれは俺の腕の周りでうねうねと気味悪く動いてすらいる。


 振り払って地面に落とすが、それはミミズのようにうねうねとのたうち回った。


「なんだこりゃあ」


 思わずそんな言葉が出るとアダルフォや俺を助けてくれた男たちも分からないらしく気味の悪い物を見る表情でそれを見ていた。


 蹴り上げてみるとそれはばらばらになった。

 そのばらばらになって風に乗ろうとする様子を見て俺は思った。


「髪の毛だ」


 長い髪の毛だった。


 変に艶のある髪の毛だ。油のようなぬるりとした水気が腕の周りに残っている。


 悲鳴がすぐ傍で聞こえて来た。

 俺からほど遠くないところにいる男の胴にあの帯が巻き付いている。


「アダルフォ、火だ、火を用意しろ!」


 俺はアダルフォに言いながら俺のように抵抗する男へと駆け寄った。


 帯へ大型のナイフを突き立てる。それは容易に刃の根元まで突き刺さった。この大型ナイフはとびっきり切れ味が良いらしい。


 そのままざっくりと切り裂くと俺は根の方へと続く帯を引っ掴んだ。

 そして炎を持つアダルフォを呼ぶ。


「アダルフォ、この帯に火をつけるんだ!」


 アダルフォは俺が掴んだすぐのところで下から帯を焼いた。じりじりと髪の毛が燃える臭いがする。


 燃やす事は出来るが火はつけられなかった。大量の油が必要だ。


 また大きな悲鳴が聞こえて来た。


 激しい悲鳴と混乱の渦がここでも繰り広げられている。

 俺が助けた男が短い悲鳴を繰り返した。


「わ、うわ、ああっ!!」


 その方を見ようと顔を向けると俺の目の前を途轍もない速度で通り過ぎた巨大物体があった。

 それが通過した時にぶわりと広がった臭いで髪の毛の根元がそいつだと理解した。


 酷い臭いだった。死臭ってやつだろう。鼻を反射的に覆いたくなる悪臭はいくら嗅いだとしても慣れそうにない。


 その巨大物体の何もかもに圧倒された衝撃に俺は思考が遅くなった。ゆっくりとその通過した先を見るとそこには下半身だけの人がふらついていた。


 肉が見える。臓物も見える。骨って白いんだな。虹色に光る薄い物さえも見えていた。


 そこには俺が助けた男が立っていたのじゃなかったか。奴はどこへ行ったのだろうか。


 そんな事を考えている間に股間から下だけになった下半身だけのそいつがばたりと尻の方から倒れて行った。


 ごろんと酷い音がする。


 阿鼻叫喚。

 血と消えた上半身を見て兵士たちが悲鳴をあげる。

 俺は肌が粟立つのを感じ、アダルフォは顔が真っ蒼になっているのを見た。

 ゲリーはついに崩れ落ちて吐いている。


 ぐちゃぐちゃと大きな咀嚼音が上から聞こえて来る。それからぼたりぼたりと何かが落ちる音も。


 俺はゆっくりと上空を見た。


 そこには長い髪をたゆたせた巨大な生首が浮かんでいた。

 汚らしい大きな乱杭歯、皮の裂けた色の悪い唇、痩せこけて右頬の肉が削げ落ちた口腔内が見えている両頬、眼はぎらぎらと何かに燃えていた。


 笑っていやがる。食事が美味しいからか、俺たちの恐怖を浮かべた表情を見て楽しいのか。


 ゆっくりと生首が下りて来た。口をすぼめて口先に何かを溜めている。それをぶっと地面に吐き出した。ごちゃっと砕ける音が聞こえてきた。それは奴が噛んだ俺たちが見失っていた上半身の一部、男の半分が砕けた頭蓋骨だった。


「こ、この野郎………!」


 エンドリの身体はこの危機を前にまだなお力に溢れている。


 小銃を無暗に乱発する兵士たちが現れ始めた。

 俺は咄嗟に距離を取る。アダルフォの肩を掴んで後ろへ引く。


 アダルフォは俺の手が身体に当たった事で我に返ったらしい。


 放たれたいくつもの銃弾は奴に当たる事もなく、夜の闇の中へと消えて行った。


 どうやら弾が尽きたらしい。取り乱した兵士たちはそれに絶望して恐慌をさらに酷くさせていく。もう俺の静止も届かないほど破滅へと上り詰めていく。


「エンドリ、どうする………?」


 アダルフォが尋ねる。

 策なんて練ろうにも、ここではあまりに難しすぎる。

 ここには防御に使えるような壁や物さえない。隔てる物の全くない平地なのだ。


 悲鳴と哄笑。

 銃声と咀嚼音。


「太刀打ちするには、俺たちの装備は弱すぎる。屋敷へ行こう」


 アダルフォは俺たちの持つ小さな武器を見た。それらは生首のあの大きな歯よりも小さかった。

 頷くと俺の言う事に同意したらしい。


「走れ!」


 アダルフォを促した。

 次には周りに居た連中に呼びかける。


「屋敷へ、屋敷へ走るんだー!!」


 蹲って嗚咽するゲリーの肩を蹴って叱咤する。


「走れ!」


 俺は声を出来る限り張り上げて屋敷へと向かうように呼びかけた。


 テントから油を取り出すと辺りに振り撒いた。

 そして炎を宿した松明を落とす。


 平地に炎が広がった。上空へと生首が飛び上がる。

 その飛び上がっていくところを見て気が付いた。


 奴の右の額に傷がある。首や頬に出来た傷とは種類の違う傷。

 俺はそれをどこかで見た事がある。そんな気がしていた。

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