第6話 混乱の渦
俺は寝ずの番を申し出た。
ねずみを発見してから俺はかえって一言も話さずに沈黙を守っていた。その沈黙を破った第一声がそれだった。
ナデッタとトレフェンは俺の話を半信半疑で聞いていた。
「でも………」
ナデッタは心配そうに俺を見ている。彼女は義手が上手く入らずに使えない事を心配しているらしい。確かにこのままでは俺は満足に働けないだろう。だが、だからこそ動ける者の余力を残しておく必要もある。
トレフェンはぼそりと「好きにしろよ」と呟いて早々に自身のテントに引き籠ってしまった。それでいいのだ。トレフェンはたぶん分かってくれている。
俺はリュックを引き寄せてノートを取り出すと簡易的なスレアンドラ旧駐屯地の図を描いた。
旧駐屯地は中心部に約100年前の戦争の前戦支援の拠点としていた家屋があり、今でもその内部には当時の資料や周辺地図、武器がある。満足に使えるものは少なく、ほとんどがガラクタのはずだ。
その中心部から広がる敷地はただ広い平地となっている。当然ながら整備などされていないので荒れ放題だ。凸凹の地面に、疎らに生えている草草、錆びた武器が放置されたままになっていて、土地を汚すあらゆる手段が講じられている。
俺はねずみを見つけた地点と現在地を点で記した。
武器になりそうな物はごく少ない。俺たちが持っているのはナイフや小銃だけで正体不明の化け物を相手にするにはどうにも心もとないように思えた。
家屋の中から使えそうな物を探すべきだろうか。
うんうんと唸って考え込んでいると、俺の隣にナデッタが座った。
「眠れなくてさ」
「まあ、心配ってのもあるけど」と付け加えた。
「女の子が眠れないぐらい怖い話をするなんてライモンドって思ったよりも酷い男だよね」
冗談めかした軽い調子で言う。
「そういえばライモンドじゃなかったっけ」
名前を伝えられないのが残念だが、俺はライモンドじゃない。
「ああ、ライモンドじゃない。全てが終わって、片がついても覚えていたら挨拶へ来るよ。あの時はありがとうってね」
「お礼を言われるような事はしてないけど………」
そうかもしれない。でも、今、こうして話をしているだけでも良いんだ。
「何を書いてるの?」
ナデッタが俺のノートを覗き込む。
「ここの地図だよ。現状を把握しておこうと思ってな」
「なるほどね。良いと思う。正体の知れない化け物を相手にするなんて信じられないけどね」
「知れないからこそ、知れるところから始めるのさ」
とはいえ、知れないのは本当だ。
「わたしたちの持ってる武器なんて頼りないもんね」
そう、頼りない。
「武器の調達をするべきかな?」
「本当にそんな化け物がいるのならした方がいいけれど、存在の証明も出来ないんでしょ?」
俺は頷くしかない。
ねずみの死骸を見せて、俺の状況の説明をしても精神に異常を来した男と思われるに違いない。
だからこそ信じてくれる人を探していた。
俺はナデッタを見た。
彼女は俺と眼が合うときょとんとした表情で見つめ返した。
「なによ?」
ちょっと顔を背けて恥ずかしそうに尋ねて来る。
「いや、なんでもない」
「なによー」
トレフェンの方を見ると閉じられているテントの入り口は無口だった。
俺はリュックの中身をもう一度、見た。
そこには武器になりそうな物はほとんど入っていない。闘うことよりも生き抜く事を想定した装備ばかりが入れられている。
ナイフを取り出して点検した。
ライモンドはあまりナイフが好きではないらしい。最低限の手入れしか施されておらず俺が抱いた心許なさをより増幅させてきた。
俺がナイフの手入れを始めるとナデッタは立ち上がった。
「おやすみ、どっかの誰かさん」
離れていく彼女の背中に俺は言った。
「おやすみ、ナデッタ」
化け物め、来るなら来い。
決意を固めて俺はナイフの手入れを続けるのだった。
午前0時を過ぎようとする頃に俺の眠気のピークがやって来た。
どうしても寝るわけにはいかない。
何が何でも寝るわけにはいかないのだ。
波のように眠気がやって来る。決して目覚めの岸から離れないためにしがみつくのに寄せては返す波は激しいほど強かったり、甘いぐらい弱かったりした。
どうにか起きていられる方法を考えようと必死に思考を巡らせてみる。強烈な眠気という霧の前にこの取り組みが恐ろしいほど全てを暈してしまう。
これが俺の…身体なら…、足や指先に………傷を付けて痛みで………強制的に目覚めさせる事だって出来るのに。
すると、遠くの方から悲鳴が聞こえて来た。
眠気のための幻聴かと思った。
慌ただしい声も聞こえて来る。
何かが起きているんだ。
それなのに眠気は強くなる一方だ。
………なにが、どうなっているんだろう。
もう眼を開けているのも辛い。
なんとか立ち上がる。
ふらふらと歩いて騒ぎの方へと向かった。
「ライモンド!」
誰かが俺の後ろで叫んだ。
ライモンドだがライモンドじゃない。
俺は○○○○・○○○○だ。
がつっと腕を掴まれた。
その力に俺は引かれて身体が傾いた。
トレフェンだ。その隣にナデッタもいる。
「なにかが、あるみたいなんだ」
「行かなくちゃ」と続けたが口も上手く開かないので聞き取れるほどはっきりとした言葉としては出なかった。
だが、繰り返していた異変の訪れの予想から察してくれているだろう。
頼む、行かせてくれ。
この先に何があるのか見なくちゃならないんだ。
………悲鳴が響き、混乱が渦巻く向こう側で何かが飛んでいるのが見えていた。
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