第5話 化け物の痕跡

 途方に暮れていた。

 もう何もやる気が起きなかった。やらなくちゃいけない事があるはずだ。だが、俺は全てをうっちゃっておいた。


 ナデッタがそんな俺を説得してどうにかテントを組む事は出来た。彼女は微笑んで「頑張ったね」と言って優しかった。それが優しい分だけ俺には何かが突き刺さるように感じられた。


 トレフェンは俺の世話を焼く事をもうやめてしまったかのように無関心を装っている。どうやら不干渉を決め込んでいるらしい。


 お情けのような飯を食って俺は早々にテントに引き籠った。いつもならもう少し自由な時間がある。装備の調整を行いながら互いの事を話したって良いし、好きな事をしていたって良い。


 マイノアは良く本を読んでいたっけ。ルーリーはお気に入りのナイフを研いだり、靴をケアしたり、明日に備える事に余念がなかった。


 俺は何をしていたっけなあ。

 全く思い出せない。記憶がそれだけ欠落している。これはこの事態にパニックに陥っただけってわけじゃなさそうだ。


 でも、もう良いんだ。


 俺は泣いていた。めそめそと年甲斐もないほど情けなく泣いている。


「ね、ライモンド。C班に義手装具に詳しい人がいるんだって。その人のお祖父ちゃんが義手を使ってて、良くお世話をしていたと言っていた人がいるの。良かったら、散歩がてらそっちの方に行ってみない? もしかしたら義手のつけ方を教えてくれるかもしれないよ」


 まだ時間はあった。

 泣いて過ごすよりは最後までとことん抗った方が良いのかもしれない。

 それに、こんな風に俺を心配してくれる人の気遣いを無碍のするほど落ちたくもない。


 涙を拭いて起きるとテントを出た。

 すると、そこにはナデッタとトレフェンが立っていた。


「行ってみる?」


「ああ」


 俺たちはC班のいる方へと歩き出した。


 最初の数分は沈黙していた。どうやって話そうかと考えていた。


 その中でナデッタが口を開いた。


「義手のつけ方、分かるといいね」


 それを機にぽつぽつと話し始めた。


 そもそも俺はナデッタとトレフェンの事は顔と名前を知っているぐらいで詳細な事は分からない。ライモンドという義手を付けた男がいるという事を知っている程度だった。


 それがどんどんと明らかになっていく。


 ナデッタは綺麗な髪の毛を肩の辺りまで切り揃えた女性だった。風になびく髪の毛を見ているとさらさらとしていて光が流れ落ちるように見えていた。

 小さな顔に小ぶりな口、耳にはピアスが光っている。5姉妹の長女で、次女が来月結婚するらしい。この訓練が終わったら休暇をもらって実家の方へ帰省すると嬉しそうに語った。


 トレフェンは丸坊主の男で、毎晩就寝前に剃る。それをすると良く眠れるらしい。よく鍛えられた肉体をしている。トレフェンの父親は研究者で地質学を専攻しているらしく、彼の兄がその父親の後継者だと誇らしげに語った。


 C班の敷地内にたどり着くとナデッタがその人物の居場所を手近な人に尋ねた。


 居場所が分かると、俺たちは真っすぐにそこへ向かった。


 義手装具の取り扱いが分かると言われた男は寝る直前だったらしい。

 俺たちが事情を説明すると、「ふむ」と頷いて俺が渡した義手の造りと接合部の俺の肩の辺りを丹念に調べると「なんとかなりそうだ」と呟いた。


 ナデッタとトレフェンに見守られながら俺はその男に義手を取り付けてもらった。

 がちゃんとはまり込み、何かが繋がる感触にじわりと気怠い感覚が上半身に広がった。


 心配そうに見つめるナデッタに男が「大丈夫だ。上手く出来たからな」と請け合った。


 いや、上手く出来ているのか。

 本当か。


 俺が腕を持ち上げようとすると、右腕はぴくりともしなかった。

 はめ込まれ、繋がる感覚があったはずだ。


「動かしてみろ」


 トレフェンが言う。


「いや、それが………」


 ぴくりとも動かない。

 左手で持ち上げてみるとそれは簡単に持ち上がった。手を放して右肩に力を込めてみるが右腕の自由は取り戻せなかった。


 だらりと力なく垂れてしまう。

 取り付けを行った男は戸惑っていた。


 義手を取り外して、もう一度、はめ込んでみたが感覚は変わらない。繋がる感覚と気怠い感覚に襲われつつも、右腕は俺の意志に反して力なく垂れたままだった。


 何度かそんな事を繰り返してみるが結果は変わらなかった。男はお手上げという様子で本部へ帰ったら医者へ行けと助言をされた。


 俺はあまり気落ちしなかったが、ナデッタとトレフェンがそれでも俺を気遣って慰めの言葉をかけてくれた。


 帰り道は気分転換になると言って来た道とは別の道を選んで歩いた。


 その道半ば、ナデッタが立ち止って言った。


「あれ、何だろう?」


「ん?」


「ほら、あれ」


「ん~」


「ねずみ?」


「本当だ。広場の中央にねずみの死骸が転がってるな」


 トレフェンが言った。

 俺は顔をあげてそちらを見た。

 そこはスレアンドラ旧駐屯地の入り口の前だった。


 ここだ、俺がこの駐屯地内にやって来たのはここだったはずだ、


「あれだ、あれだよ!」


 俺は思わずそのねずみの方へと駆け出していた。

 俺の記憶が確かならあのねずみは何かに串刺しにされて死んでいるはずだ。


 果たしてそのねずみは昨日、俺だったねずみだった。


 串刺しにされて死んでいる。


「これだ………」


 ぽつりと呟いた。

 この死体がここにあるという事は、これを行った奴もここに居るという事だ。


「ライモンド?」


「これだよ。俺が話していた串刺しになったねずみって」


 ナデッタとトレフェンは気味悪そうに蒼い表情をしてそのねずみの死骸を見つめていた。

 その次に俺を見たその眼は人を見るような眼ではなかった。


 居る。あの得体のしれない奴がいる。


「備えよう。今日の夜にも奴を見るはずだ」


 どんな備えが有効なのかは分からないが、とにかくそうするしか他にない。

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