第3話 負けたのなら笑えやしない
まただ。
またここにいる。
「何だってんだ?」
回転盤の設置されているテーブルがある。薄暗い部屋の中に回転盤とそのテーブル、俺が座る椅子がある。
だが、以前よりもはっきりと部屋の様子が分かっていた。
そして2人のバニーガールがいた。
「「ごきげんよう」」
お馴染みの2人。
もう3度目ともなれば嫌でも覚える。
賭けるか、賭けないか。
また同じように問うてくるに違いない。そうしたら間髪入れずに答えてやる。
沈黙。
兎たちの小さな心臓の音さえも聞こえて来そうな静寂が部屋の中を支配していた。
蒼バニーがクスッと笑い、白バニーをちらりと見た。白バニーは退屈そうに爪を指先で触れながら白い手の甲を光に当てて眺めている。そんな白バニーの腕に蒼バニーが指先でそっと触れてこの沈黙を教えた。
顔を見合わせて、くすくすと微笑み合う。
そして俺に向き直ると白バニーは回転盤のつまみを握った。
蒼バニーは俺の背後へ周り、椅子の背もたれをぐっと掴んだ。そのまま椅子を前に押し出した。俺の胸にがつんとテーブルの端が当たる。
「ごめんなさい。3度目ともなれば問いかけは不必要かと思っていましたが、どうやらそれがなくては気が乗らないようですね」
小首を傾げて微笑んだ。垂れる髪の毛が透き通って美しい分だけ腹立たしかった。
見透かされている。
「賭けますか?」「賭けませんか?」
間髪入れずに答えるつもりだったのが、見透かされていると思うと変に間を取らなければならないような気がした。
主導権を握られるのはごめんだ。握っているぐらいがちょうど良いんだ。
「ここは何なんだ?」
堪らずに俺は声を出していた。
きょとんとして俺を見るバニーたち。
優しく微笑んだ白バニーが身を乗り出してテーブルに手を突いた。尻の片側とそこから伸びる腿とでテーブルに乗っている。
「ご冗談がお上手ですね。2度も遊んだのに」
くそ、いちいち癇に障る奴だ。
でも、俺も尋ねる事は考えなくっちゃならない。もっと別の問い方があるはずだ。
「どこのカジノなんだ?」
白バニーが笑う。
蒼バニーが俺の肩に肘を置いてもたれて来た。
「どこかだなんて無粋だわ。ここはカジノ。目の前にはルーレットがある。賭けるか、賭けないかはあなたが決める。富める者も貧しい者も、病んだ者も健やかな者も、希望を持つ者も絶望する者も、どんな者だって関係ない。全ての背景を外へと置いて来て賭けるために差し出すの」
悟ったような事を言いやがる。
「お前らには名前があるのか?」
俺は分からない。自分の名前がとんと出て来ない。心の内で○○○○・○○○○と叫んでいるのに言葉として出て来ないんだ。
「わたしはユートゥ」
白バニーが名乗った。
「わたしはユェートゥ」
蒼バニーが名乗った。
覚えておこう。
2人が俺に名を尋ねないのが有難かった。名乗れないという恥を晒す事もなく、気落ちのない心持で俺は言った。
「賭けよう」
回転盤が回された。
ユートゥとユェートゥが俺の左右にやって来た。
良いさ、勝てば何かを得るはずだ。もう失う事には耐えられない。
眼が覚めた。
起き上がって様子を見る。
俺は人だった。ねずみなんかじゃない。
良かった、本当に良かった。
立ち上がろうと身体を動かすがバランスを取るのが難しかった。この個人の、男性で俺と同い年ぐらいの人の身体にまだ慣れていないのかもしれない。
だが、俺は人だった。ねずみなんかじゃない。それだけでも良いと思える。
立ち上がってあたりを見回してみる。
歩き出そうと一歩踏み出すとやっぱりどうにもバランスが悪かった。平衡感覚が上手く取れない。
もしかしたらまだ寝惚けているのかもしれないと喝を入れるために両頬をぴしゃりと打つつもりで両手をあげると右手が上がって来なかった。
左手でそちらの方を触れて確かめると右腕がない。
ライモンドだ。
ライモンド・コルテス。
この男は事故で右腕を失っている。ライモンドは義手を使っていた。事務員に入っても上手く仕事が出来ずに、義手を事務作業に順応させるよりもこうした肉体労働に順応させる方が性に合っていて気分が良いと言って義手のまま訓練に参加している男だった。
義手を探そう。あるはずだ。
良かった。最初にどこの誰かを知る事が出来たのならそれだけでも助かるってものだ。
場所は中継地点として小休止したあそこだった。
義手を見つける事は出来たが俺はそれをどのように使うのか分かっていなかった。ぐいとはめ込んで装着してしまえば使う事が出来ると思っていたのが甘かった。
もう時刻は夜明けの頃だった。続々と起床する者たちがいる。
ライモンドの組はトレフェンとナデッタだ。
2人はもう起きている。
「ライモンド、準備を始めろよ。いつもはお前がいちばん早いのにな。起こそうかと迷ったぐらいだぞ」
トレフェンが言う。
「トレフェンったらずーっとそんな心配ばっかりだったんだよ」
「止めろよ、ナデッタ。俺は純粋に心配してたんだぞ」
2人に聞いてみたら分かるだろうか、この義手の装着方法が。
「いや、済まないな」
「ほらほら、早く準備しちゃいなよ」
ナデッタが明るく笑いながら言った。
干し肉を咥えて噛みながら焚火の始末をしている。
「どうした?」
トレフェンが義手を持って固まる俺を見て尋ねた。
「この義手の装着方法が分からないんだ」
「分からねえってお前………」
焚火の始末を終えてナデッタがやって来る。
「どうしたの?」
「いや、ライモンドが………」
「ライモンド?」
ナデッタが俺の顔を覗き込む。小さな輪郭に擦り傷のある頬を見せていた。
その覗き込む仕草や心配そうに近寄る様子に親しみを感じた。良い関係を築いているのだろう。
「これをどうやって装着していたのか分からない」
「ら、ライモンド、落ち着いて、ね?」
「俺は落ち着いているよ」
ライモンドと言われると確かにそうなんだ。が、俺は○○○○・○○○○だ。そうだ、俺は○○○○・○○○○だ。また名前が思い出せない。
「ナデッタ、いつもライモンドがどうやって装着してるか分かるか?」
「ごめん、わたしは全然分からないや。あの、ライモンド、こういう事って良くあるの?」
俺はそんな質問にも答えられない。義手を持ったのも初めてなのに。
「それは、分からない。初めての事だから………」
俺は次々と何かを失っている。
自分の身体を失って、転々と何かに乗り移る事を繰り返している。
次には名前を、そして今は右腕を失った。
いったい何が起きてるって言うんだろうか。
分からない。まただ、また俺は分からないんだ。
「よし、分かった。ライモンドの大きい荷物は俺が運ぼう。代わりに俺の小さい荷を運んでくれ。ナデッタ、道中の事はお前がやってくれ。俺とライモンドは手が回りそうにない」
「うん」
荷をまとめるとトレフェンがライモンドの大きな荷を担いだ。そして俺が小さい方の荷を受け取る。
「なんとかなりそうだ。行こう」
どこへ行くんだろう。
「ライモンド、昨日はいつも通りに見えたけれど体調はどう? その、つまり他に問題はない?」
俺の歩調に合わせてナデッタが歩いている。
その先をトレフェンが歩いた。
「いや、俺はもう………」
ライモンドじゃないんだと言っても分かってもらえないだろう。
俺の思わず出た返答にナデッタは驚いていた。事態を深刻に受け止めて取り繕う言葉を探して眼を泳がせた。
もうこうとなったら突き進むしかない。
マイノア、ルーリーだけじゃない。みんなを助けるつもりでやるんだ。そのみんなの中にマイノアとルーリーがいて、そしてトレフェンやナデッタがいる。
そして俺のこの状況を分かってもらうんだ。
俺は○○○○・○○○○だ。
どうして名前が出て来ないんだ、どうして腕が無くなっているんだ、どうしてこんな状況に陥っているんだろう!
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