祈り

百舌すえひろ

祈り

 一番古い記憶は、真っ暗な部屋だった。

からだをぎゅうぎゅうに押し込まれ、とても窮屈な場所にいるのがわかった。

息苦しいとはこういうことかとぼんやり思っていたら、なにかが頭を触り、首のまわりを掴まれた。

その手は明るい空間にわたしを引っ張り出した。

黒い前掛けをした茶色の頭の女が、無表情に冷たい台の上にわたしのからだを乗せた。

横を見ると、左から白、黒、茶色のふわふわしたものが並び、わたしの右の空いた場所にも同じようなふわふわしたものが次々と置かれていく。

前掛けの彼女は並べ終えると小さく息を吐いて、目の前にある透明の板をスライドさせ、鍵をかけるとどこかへ行ってしまった。

「よう、兄弟」

左隣の耳の長い白いやつが話しかけてきた。

「こんにちは」わたしは驚きながら返事をした。

「しばらく一緒に過ごすだろうから、仲良くやろうぜ」

そう言うと、白いやつは私の尻から出てるものをちょんと引っ張った。

「ここどこ?」

「“げぇむせんたぁ”だ」

「なに?」

「俺たちは景品なんだ」

「けいひん?」

よくわからずぼんやりしているわたしに、左奥の茶色くて口元に髭を生やしたやつが首を上げた。

「見なよ。あの上についてる銀色を」

わたしも首を傾けた。

眩しく照らす蛍光灯のすぐそばに、太く波打つ黒い管を付けた二本の細く曲がった銀色の手。

「あの手が、人間の操作で動くんだ。僕たちを引っ張ったり、突いたりして、足元の穴っぽこに落としにくる」

わたしは足元にある暗い奈落ならくを見て、身震いした。

「落とされるの……?」

「そうだ。人間が金を入れて、僕たちを落とすんだ」

「落ちたらどうなるの?」

「その人間のものになる」

黒くてくちばしの尖ったふわふわしたのが答えた。

「落とした人間の家に連れてかれるのさ」

「それからどうなるの?」

「それは知らない」

「俺たちはまだ人間のものになってないから、ここに残ってる」

「優しい人のお家に行きたいわ」右隣りに座っていた桃色の丸耳が答えた。

「女の子のお家なんて、居心地よさそう」

「それはどうかなぁ」黒い嘴のやつが小さく笑った。

「お前たちを並べたさっきの人間も女だけど、ずいぶん雑な扱いしてくるぜ。戸の締め方も荒いし」

「ぼくの時は優しく置いてもらえたよ。眼鏡をかけた男の人だった」一番左奥にいた茶色い髭が、ふふんと鼻をひくつかせた。

「男の人の方が優しいのかな?」

「どうかなぁ。女の方はいい匂いするから、嫌いじゃないけど」

いい匂いとはどんなものだろうと悩んでいると、わたしは急激に眠くなった。


*


次にある記憶は、丸い顔の男だった。

太い指先でわたしのからだを包み、目尻を下げて小さな女の子にわたしを差し出していた。

「ほぅら、可愛いでしょう?」

男は赤いスカートを履いた女の子の前で、わたしのからだを数回揺らした。

「ねこちゃん!」

おさげ髪の女の子は、きらきらと輝く瞳でわたしを見た。

「欲しいかい?」男は女の子に言う。

「欲しい! ちょうだい!」女の子が両手を差し出す。

「……じゃあ、おじさんを道案内してくれないかな」

男はそう言うと、わたしを車の座席に置いた。

女の子は嬉しそうに頷くと、わたしのからだを手に取り、そのまま席に着席した。


女の子の膝に載せられ、左耳にわずかに触れる彼女の顎先の柔らかさを感じると、彼女の両腕はわたしのからだを力いっぱい絞めつけた。とても窮屈だった。

彼女の身体からは、日光に当てて干された時のシーツのような香りがして、わたしの鼻先をくすぐる。

これをいい匂いというのかと考えてると、目の前が暗くなった。


*


三番目の記憶では、わたしは冷たいコンクリートの床にうつ伏せになっていた。男も女の子もいない。

ただ、黒くつやつやした羽根をはばたかせるやつらが、三匹ほどまわりをうろうろしていた。

「こんにちは」

わたしはうつ伏せの状態から彼らに声をかけた。

「こんにちは。ここはどこ?」

黒い羽根をまとった彼らは、わたしのまわりでなにかを突いていた。

「食事中ダ、邪魔スンナ」

一匹がそう言って私のからだをついばんだ。

そのおかげでわたしは仰向けになれた。

空を見ると、彼らと同じ黒い羽根をもったやつらがあちこちから集まり、かしましく喋っている。

「今日ハ、ゴ馳走ちそうダ」

「黄色イあみガナイ。素晴ラシイ」

「オオイ! コッチニ飯ガアルゾゥ」

「バカ! 大勢おおぜい集マルト人間ガ来ルゾ」

黒い彼らはせわしなくくちばしを動かし、一生懸命なにかを突いていた。

「……ここはどこ?」

心細くなった私は、もう一度話しかけた。

人間がいない場所に、わたしはなぜいるのだろう。

「コイツ、ウルサイナ。廃工場ッテトコダ」

「……ねぇ、わたしを抱えてた女の子知らない?」

「知ラナイヨッ。オオカタ捨テラレタンダロ」

「捨てられた?」

「ソウサ、人間ノ子供ハスグニ目移リスル。オ前ノヨウナ玩具おもちゃハ珍シクナイ」

「わたしはどうしたらいいの?」

「自然ニ身ヲ任セナ。運ガ良ケレバ、ゴミ収集車ニ拾ワレテ燃ヤシテモラエルゾ」

「運が悪いとどうなるの?」

「ボロキレニナッテ、跡形ガナクナルマデ、ソノママサ」

「そんなのいや……」わたしは泣きたい気持ちになった。

しかし、ポリエステルで形作られた目からは何も出せなかった。

「泣キタイカイ? カカカッ! 涙ナンテ出ナイくせニ、オカシナ奴ダ」黒い一匹はわたしを突いて笑った。

「オ前ハ腹ガ減ラナイシ、突カレタッテ痛クナイダロウ」

「お腹が減るってどういうこと? 痛いってどういうこと?」

「ホゥラ、オ前ハ生キテナイカラ、ワカラナイ。幸セナ奴ダ」

黒いやつはあざけるようにわたしを見つめる。

「オ前タチハ、人間ノ寂シサ埋メルタメノ玩具おもちゃダ。遅カレ早カレ、捨テラレル。早イウチニ気ガツイテ、良カッタジャナイカ」

「良くないよ。痛くなくても、苦しいよ」

わたしは徐々に暗くなっていく空を見て、悲鳴のような声を上げた。

「わたしはもう抱きしめてもらえないの?」

「新品ノ状態ダッタラ、他ノ子供ニ拾ッテモラエタカモ知レナイ。今ノオ前ノ状態ジャア、無理ソウダナ」

黒いやつは、わたしの右耳を無遠慮に引っ張った。

「人間ッテノハ、新品ガ好キダカラネェ。他人ガ使イ古シタ物ヲ、アリガタガルノハ、一部ノ変人ダケサ」

「マア、イイジャナイカ。イツマデソノ形ガ保テルカ、ワカラナイガ。オイラタチガ、話シカケテヤルサ」黒いやつらはそう言って、一斉に飛び立って行った。

ひとり残されたわたしは、心細さに耐えられず眠ることにした。


*


 気がつくと、わたしは薄く透明なビニールの膜で覆われていた。

周囲には赤いランプを点滅させた車が集まり、青い服を着た人間たちが、黄色いテープを張り巡らしていた。

おしゃべりな黒いやつらは、空から人間を見下ろしてぺちゃくちゃ喋っていた。

「人間、思ッタヨリ遅カッタナ」

「今回ハ、ソコソコ食ベレタ方ダナ」

なんの話をしているのだろう。

わたしは包まれたビニールから、青い服の人間たちの動きを見ていた。


 彼らはしきりにコンクリートの床にへばりつき、小さな刷毛はけや白い紐などを使って作業をしている。

そのうちの一人がわたしを持って、車の後部座席に置いた。

「ひどいな」運転席に座った男が言った。

「今回も同じ手口ですね」助手席の男が言う。

「……むごいな。年端もいかない女の子ばかり狙って、はらわたを掻き出すなんて」

「子供の好きそうなぬいぐるみで釣って、人気ひとけの無い場所に誘い込む。一体どんな恨みがあるんだか」

「恨みでなく、歪んだ愛情かもしれませんが……」

わたしは捨てられたわけではなく、女の子を誘拐するために使われていたことを知った。

「クレーンゲームの景品を使ってるんだ。おろされた店は限られているだろうから、足が付きそうなものだが」

「非売品ですから、流通元を辿たどりやすいとは思います。でも今は転売も多いですから、個人間のやりとりで手に入れられてたら、厄介ですね」


なんてことだろう。

わたしたちは、人間の寂しさを埋めるために作られた玩具だと聞いていた。

抱きしめて、話しかけてもらえることが存在理由だと思っていた。

だけどわたしは初めて抱きしめてくれた女の子を、殺すための道具として利用されたのだ。

車内の男たちの話をこれ以上聞きたくなくて、わたしは眠ることにした。


*


――神様、もしいるのでしたら聞いてください。

お腹が空いてもいいです。

突つかれて痛くても構いません。

次にあの子と会える時は、本物の猫にしてください。

……いいえ、猫じゃなくてもいいです。

一方的に抱きしめられるだけでなく、わたしからも彼女を抱きしめられる腕や、ありがとうと伝えられる声をください。


わたしの気持ちを伝えられる生き物にしてください。

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祈り 百舌すえひろ @gaku_seji

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